第114.6話 ヴィルヘルミナの回想・破壊者の巻【後編】
「今から騎士叙任を祝う宴会だ! お前は酌をしろ!」
野卑で威圧的な声が響く。
師匠――クリスの祖母――に、社会勉強の一環だと案内してもらった場末の安酒場を思い出す。
そうでなければ、程度の低い冒険者でひしめく三流の冒険者組合か。
厳かな雰囲気に包まれた皇城に、似付かわしくないことこの上ない。
声のした場所へ向かってみると、十代半ばくらいの男性騎士が五人、幼い顔立ちのメイドを壁際に追い込み、取り囲んでいた。
今から宴会だ、などと口にしているが、もしかしたら既に酒が入っているのかもしれない。
メイドは「仕事がありますから……」と何度も断るが、騎士達は聞かない。
見かねた衛兵が仲裁に入ろうとしたが、リーダー格と思しき騎士が「俺が誰か知っているのか!? この紋章を見ろ!」と横柄な態度で凄む。
途端に衛兵が硬直した。
きっと、それなりに地位ある貴族の紋章を見せられたに違いない。
騎士達は動きを止めた衛兵を嘲笑い、「邪魔をするな!」と、衛兵の腹部を殴り、蹴り倒した。
そして「面倒だ! さっさと来い!」とメイドの腕を掴む。
彼女は恐怖で口も利けない。
あのままでは何処かへ連れ去られてしまう。
そこでどんな目に遭うか……。
足を一歩踏み出しかけて、私は逡巡した。
叔父様との約束が頭を過ぎったからだ。
くれぐれも注意をしろと、何度も言われた。
今日、騎士に叙任された者の中には、関わり合いになるべきでない連中が紛れ込んでいる。
不用意に手を出せば、私自身にどんな不幸が降り掛かるか分かったものじゃない。
私一人で事が済めばよいが、アルテンブルグ辺境伯家だけでなく、グリューネ宮中伯家にも、累が及ぶかもしれない――――。
――――だが、私の逡巡は瞬きする間もなく終わった。
無理やり腕を引かれていくメイドの、小さな悲鳴が耳に入ったからだ。
恐怖のせいか、碌に声も出せていない弱々しい悲鳴だ。
頭を強かに殴られた気がした。
目を覚まされる思いがした。
そして、ここまでの道中で親切にしてくれた者達の顔が頭に浮かんだ。
あのメイドの女の子は、彼ら彼女らの同僚に違いない。
受けた親切に、仇を以って返すつもりか?
そんなことが出来るか!
今は、後先を考えて、お上品に自制するべき時じゃない!
そうだ!
私は騎士なのだ!
目の前で立場の弱い者が虐げられているのに、騎士たる者が黙って見過ごすのか?
ついさっき、叙任式にて騎士の誓いをしたばかりなんだぞ?
舌の根も乾かぬうちに、誓いを反故にするというのか?
出来るはずがない!
己が身を守るために、危殆に瀕した誰かを見捨てる――――これを称して、卑怯と言うのだ!
お父様、お母様、叔父様……申し訳ありません……。
ヴィルヘルミナのわがままです。
単純で、思慮の浅い結論です。
ですが、私は卑怯者になりたくありません――――!
「――――おい。貴様ら」
「あん? 何だお前は!?」
「誰でもいい。彼女から手を離せ」
なるべく脅すような声音で警告したが、連中は聞く耳を持たない。
どころかゲラゲラと下品に笑い始めた。
「そう言えば、こいつが叙任式にいるのを見たぞ!」
「なんだ! ご同輩かよ!」
「娘を騎士にするとはな! 実家は相当な貧乏貴族らしいぞ!」
「貧乏貴族の娘が叙任ねえ……。どんな手を使ったんだか!」
「手じゃない! 枕を使ったのさ!」
一瞬、周囲の音が遮断されたような感覚を味わった。
枕…………だと?
その手の話には疎いが、枕と言う言葉が何を意味するか、分からぬほど初心じゃない。
瞬く間に、頭の中は血で満たされた。
息は詰まり、知らぬ間に奥歯を強く噛み締めていた。
これは……いけない…………!
暴発寸前の心を、必死で宥めようとする――――が、昂る心が収まる前に、騎士の一人が私の肩を掴んだ。
「おい! 枕をようくご存知なんだ! こいつにも相手をしてもらおうぜ!」
「…………………この汚い手を、離せ」
「あん? 何だって!?」
「汚い手を離せと言ったのだ! 痴れ者めっ!」
「んあ? がほっ!」
肩に掛かった手を払い、思い切り股間を蹴り上げてやった。
「おご……。おごごごご…………」
騎士は奇妙な呻き声と共に、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。
「ご同輩は枕がお好きなようだ……。たっぷり接待してやろう!」
「お前っ!」
「何しやがる!?」
「黙れっ! 貴様らが騎士を名乗るなど片腹痛い!」
手袋を外し、連中へ向かって投げ付けた。
決闘だ――――!
「二度と女性に悪さを出来ぬ身体にしてやるっ! 掛かって来い!」
連中は一斉に剣を抜き、私に襲い掛かって来た――――。
――――数分後、男達は股間を押さえながら地に伏していた。
連中の実力は何てことはなかった。
態度だけでなく、剣の技量も「騎士になるなど以ての外」の連中だったのだ。
だが、これで終わらせるつもりはない。
ぷるぷると小刻みに震えて苦しむリーダー格の騎士を蹴って転がし、仰向けにして、胸を「ガッ!」と踏み付けた。
「おい……。よく聞け? 二度と女性に汚い手を出すな。この子にも、他の女性にもな」
「ぐ……ぐぐぐ…………」
「手を出してみろ? 次は貴様の粗末な物を踏み潰してやる! 分かったか!?」
これでトドメだっ!
股間を思い切り踏みつける!
鉄板を仕込んだ長靴の踵でな!
「ぐっ! ぐぶぶぶぶ…………」
「ああ、すまない。たった今、踏み潰してしまったかもしれんな?」
リーダー格は口から泡を吹き、ついに気絶してしまった。
他の者達は、痛みのせいか、それとも恐怖のせいか。
身じろぎも出来ず、青い顔で口をパクパクと動かすだけだった。
「――――あのっ!」
「え?」
「あの……ありがとうございます! 私……恐くて動けなくて……」
メイドの女の子が泣きながら礼を述べる。
騎士達に蹴り倒された衛兵も、腹部をさすりながら「お、お見事でした……」と頭を下げた。
遠巻きに様子を窺っていた官吏やメイドから拍手が起こり、騒ぎを聞きつけた近衛騎士や衛兵もこちらへ走って来た。
そして、叔父様がポカンと口を開けて私を見詰めていた――――。
えっと…………………………。
い、勢いのままに打ちのめしてしまったが……この騒ぎはちょっとまずい…………のではないだろうか!?
頭を抱える私だったが、結局、お咎めなしということになった。
私に非がないことを証明する多数の目撃証言があったのも然る事ながら、皇帝陛下と先帝陛下が揃って臨御なされ、複数の皇子殿下が騎士叙任された目出度い日に、騒ぎが起こったなど、とてもではないが表に出せないと事実自体が無かった事にされたのだ。
私が倒した騎士達もお咎めなしとなったのは業腹だったが、彼らの実家には、皇帝陛下の元から非公式ながらも譴責の勅使が派遣されることとなった。
叔父様は正式に処罰すべきとお怒りだったが、こればかりはどうしもようもないだろう。
これにてこの一件は幕を閉じ…………て欲しかったのだが、事はこれだけで済まなかった。
いくら事件が無かった事にされても、人の口に戸を立てることは出来ない。
私が助けたメイドや、事件を目撃した女官、侍女、メイド……宮廷に仕える女性達を中心に、私の行いは「壮挙」や「勇姿」とされ、秘かに語り継がれることとなる。
『ホーデン・ツェシュトゥーア』――『睾丸破壊者』の二つ名とともに――――。
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