第111話 「この駄馬めっ!」童女が禁句を口にした
「ぶふっ! ぶふふふっ!」
「どうどうどう! 落ち着けっ! 落ち着けクロガネ!」
「ぶふふっ!」
正門の前まで来てみると、激しく首を振る黒金と必死で宥めようとするシュテファンの姿。そして――――、
「――――ぎゃあああああああああ! 離せ! 離さんかっ!」
黒金に頭を噛み付かれ、悲鳴を上げる童女の姿があった。
黒金は気難しい馬だが、その裏返しで頭も良い。
むやみやたらと人に手を出すことはしない。
特に子供にはな。
あるとすれば、俺以外の者が背に乗ろうとした時や、己に害が及んだ時だ。
初めの内は街の童共が悪戯し、黒金が理解らせに掛かったのかと思うとおったが、童女の姿形を見るなり考えが変わった。
未だ喚き散らしておるこの童女、歳はせいぜい十程度であろうが、街の童とは明らかに見た目が違っておる。
まずもって着物が明らかに違っておる。
マルバッハ男爵令嬢のカロリーネが着ていたのと同様――いや、それ以上に華美な衣装を、嫌味なく見事に着こなしている。
容貌は人形の如く精緻に整い、肌は染み一つなく、頬は見事な薄紅、瞳は深く透き通った青磁の如しだ。
髪に至っては、あたかも金糸の如き代物で、朝靄を切り裂き光り輝いている。
銀糸の如き髪に、紅玉の如き瞳のミナと並べてみれば、輝きも倍増するに違いあるまい。
そして長く伸ばした金の髪は…………ん? 髪が長いのは分かるのだが、髪の束がえらく太いような……。
あれは何だ?
金の髪が、縦に螺旋を描いておる……だと?
如何にすれば髪が螺旋を描くのだ? 異界にはあんな癖毛の者がおるのか?
螺旋を描く長い髪が童女の容姿をより豪奢に見せておる、とは思うのだが……。
うむ。よう分からん。後でミナにでも尋ねてみよう。
兎にも角にも、どれをとっても町の童とは思えぬ姿形で、何処か高貴なる気配を漂わせている。
これは早く止めた方がよさそう――――、
「ええいっ! いい加減に離せっ!」
「ぶふんっ!」
「何っ!? 妾の命が聞けぬと申すか!?」
そして、怒りに顔を染めた童女は、口にしてはならぬ言葉を口にした。
「この駄馬めっ!」
その一瞬間、黒金の動きが止まった。
そして次の瞬間には、身体中から湯気を噴き出さんばかりに猛烈にいなないた。
「ぶふっ!? ぶふふふふふふふっ!」
「な、何じゃ? 何じゃと言うんじゃ!?」
「ぶふふっ! もしゃもしゃもしゃもしゃ!」
「ぬおおおおおおおっ! 妾の髪! 妾の髪を喰らうでないぃぃぃぃ!」
――――ふむ。高貴な気配は見事に雲散霧消した。
『駄馬』などと申すからだ。
己に対する悪口雑言を聞き逃すような『駄馬』ではないのだ、黒金はな。
腹を立てたのは黒金だけではない。
愛馬を馬鹿にされた俺は童女を助ける気なんぞ失せてしまったし、近習衆も「理解らせるべし」と黒金から距離を取った。
ミナも助けに入ることをやめ、「馬は馬鹿にして良いものじゃない。心を通わせるべきものだ」と厳しい顔で頷くのみ。
シュテファンまで「嬢ちゃん、馬に悪口はいけねぇな?」と黒金を宥めるのを止めてしまった。
思えば、ここにおるのは馬と共に戦う者と馬の世話をする者。
馬を慈しみ、大切に思う者ばかりなのだ。
『駄馬』と申した童女を救う道理なし。
俺達が止めないと見るや、黒金は攻め手を強め、童女の螺旋髪を散々にもてあそび、噛んで、舐めて、しゃぶって、また噛んで、ぐしゃぐしゃの涎まみれにしてしまう。
俺達は、ただ静かに黒金の気が済むようにさせるのみ――――。
「……ところでな、シュテファンよ」
「はい、何でしょうか? サイトー様?」
「今更遅いと思うが、何があってこうなった?」
「それがですね、黒金の散歩から戻ってきたら、あの嬢ちゃんが正門からお屋敷を覗き見していたんです。だから『こんな朝早くから辺境伯様のお屋敷に何の用だい?』って声を掛けまして……」
「ほう? では、其方に声を掛けられて逃げたのか?」
「いいえ全く。逃げようとする気配もありませんや。むしろ堂々としてましたよ。それでですね、こっちを振り向いて言っちゃいけない事を言っちまったんです」
なんとなくだが、予想はついた。
「この嬢ちゃん『背の低いずんぐりむっくりな馬じゃのう?』なんて言っちまったんですよ」
「……はあ。黒金には禁句だな」
「仰せの通りで。ですがね、きっとこの嬢ちゃんも異世界の馬を初めて見たと思うんですよ。責めるに責められませんや。ですからね、クロガネを必死で宥めてたんですが……」
「『駄馬』は明らかに余計な一言であったな?」
「はい。『駄馬』は余計過ぎますよ」
シュテファンと話している間も黒金の攻め手は緩まない。
頭が涎で濡れそぼった童女からは、悪態どころか悲鳴すら聞こえなくなった。
さすがの黒金も怒りが収まったのであろう。
不味い大豆を「ぺっ」と吐き出すように童女を投げ捨てると、顔に向かって盛大なクシャミをかました。
お陰で人形の如く整っていたはずの精緻な顔は、黒金の鼻水と涎で、ねとねと、べとべとしておるわ。
黒金は満足げに鼻を鳴らした。
「よしよし黒金。もうよいか?」
「ぶふふっ!」
「うむうむ。そうか」
一方、童女に目を転じてみると――――、
「……………」
――――今や茫然自失の体である。
一言も発すること能わず、か。
うむ。仕置はこれくらいで良かろう。
「源三郎、水を持って来てやれ。源五郎、拭くものを用意せよ」
「「ははっ!」」
近習二人が屋敷へ駆けて行く。
ミナが手拭いを片手に駆け寄った。
「しっかりしろ。話せるか? 君っ!?」
「…………はっ!? わ、妾は何を!?」
肩を強く揺すられた童女はようやっと正気を取り戻した。
「良かった……。さあ、この手拭いで顔を拭いて……」
「うげぇ~……。妾の顔が……妾の顔がぐちょぐちょなのじゃ~……」
「馬を馬鹿にしてはいけないぞ? とても賢い生き物なんだ。悪口は必ず気付かれてしまう」
「馬……じゃと? 本当にあれが馬なのかえ? 魔物の類では――――」
「――――ぶふ?」
「ひいいいいい! 何でもないのじゃ!」
「気を付けてくれ。馬は賢いと言ったばかりだろう?」
「す、済まんかったのじゃ……。馬車を引く馬はこんなに暴れたことはなかったのじゃ……」
「ああ……。輓馬は大体去勢しているからな」
つい聞き流してしまったが、ミナがさらりと恐ろしい事を口にした。
おい……。今、馬を何と申した?
シュテファンが平然としておるところを見ると…………異界では、左様に恐ろしい仕打ちを馬にするのか!?
息が詰まる、尋ねようにも声が出ない。
ミナと童女の話はずんずん続いていく。
「は、話には聞いてはおったのじゃが、去勢するしないでかくも違いが出るとは思わなんだ。まるで別の生き物のようじゃ……。世界はまだまだ広いわい……」
「ははは。大袈裟な言い方だな」
「そんなことは無い。勉強になった。礼を申すのじゃ」
「なら、礼のついでに教えてもらえないか? 君は何処の御令嬢かな? ネッカーの町には君みたいな子は住んでいないし、君の衣装は庶民が着られるようなものじゃない。この光沢にこの手触り……帝国西方のエーゲル産の絹織物を使っているだろう? 相当な資産家でなければ手が出ないはずだ」
涎を拭う世話をしてやりながらスラスラと話すミナ。
童女が目を丸くする。
どうやら正解らしい。
布地の光沢や手触りだけで産地を言い当てるとは、さすがは辺境伯令嬢と言ったところか。
「……アルテンブルグ辺境伯は良い女性騎士を抱えておるようじゃな?」
「どうして私が騎士だと?」
「決まっておる。主が腰に下げた木剣とその麻服よ。いずれも若手の騎士が修練の際に好んで使うものじゃろ? たしか帝都の――――」
「マルシャル商会?」
「そう! それじゃ! 近衛騎士御用達の商会であろう?」
「正解だ。詳しいじゃないか」
「ぬふふふふ! ならば主が女性騎士というのも正解じゃろう!?」
「間違いではないんが……それだけでもないと言うか……」
「うん? 歯切れが悪いのう? …………いや……いやいやいや! 待て待て待て! アルテンブルグ辺境伯家の女性騎士で……銀髪に……赤い瞳……じゃと!?」
突然大声を上げ、ミナの顔まじまじと見つめる童女。
ミナが「どうしたんだ?」と尋ねるや、瞳を輝かせて言い放った。
「ヴィルヘルミナ・フォン・アルテンブルクじゃな!? アルテンブルク辺境伯アルバンの一人娘であろう!?」
「え……ああ……そうだが……。どうして気が付いて――――」
「おっと済まぬ。挨拶がまだであったのじゃ」
童女は「コホン……」と一つ息をつき、涎の滴る頭のままで威儀を正した。
「妾の名はシャルロッテ! シャルロッテ・コルネーリア・アルベルティナ・ヴェルツハイム・フォン・シュヴァーベン! シュヴァーベン帝国皇女にして、皇帝陛下の第十八女である!」
胸を反らし、声高らかにそう名乗った。
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