第109.5話 ヴィルヘルミナの独白・その拾【前編】
「戦は懲り懲りだからな……」
組合長が立ち去った後、シンクローは苦笑しながら呟いた。
それを聞いたモチヅキ殿やホッタ殿も「左様ですなぁ」などと頷いた。
私は衝撃に打たれた。
耳がどうかしてしまったのではないかと、疑わざるを得なかった。
「待ってくれ……。ちょっと待ってくれ……」
「ん? 如何したのだ?」
「い、戦がこりごりだと? ほ、本気……なのか……? 本気で言っているのか!?」
「何を驚く? おかしな事を申したか?」
「おかしい! おかしいに決まっている! シンクローが戦を厭がるなんて……天地がひっくり返っても有り得ない!」
「おいおい……。ミナは俺を何だと――――」
「――――狂戦士!」
皆まで言わせず答えると、シンクローは「くっくっく……」と笑い始めた。
「やはり申したか、『ばあさあかあ』……。其方のう? 俺がいつまでも意味を知らんままだと思うたか?」
「えっ!?」
「先日の事だ。八千代がクリスとハンナを締め上げて…………ゴホン。丁重に尋ねたところと、親切に意味を教えてもらったそうだ」
「あっ! 言い直したな!?」
即座に口を挟んだが、シンクローはお構いなしに話を続ける。
「我を忘れ、獣の如く狂乱し、自ら好んで死地に飛び込み、戦いに明け暮れる者を『ばあさあかあ』と申すそうだな?」
「くっ……! ク、クリスとハンナはどうなったんだ!?」
「案ずるな。五体満足に過ごしておる。多少は従順になったやもしれんがのう? くっくっく……」
「酷い事を……!」
「其方がそれを申すのか? 他人を……しかも辺境伯家にこの上なき貢献を果たしたこの俺を狂人の如く申した其方が?」
「い、いやっ! 私はものの例えのつもりで――――!」
「悲しい! 悲しいのう……。ミナは俺の事を狂人と思うておったとは……」
「だからものの例えだ! こらっ! 泣き真似をしても騙されないぞ!?」
「何とっ! 騙されてくれんのか!?」
「騙されない! そもそもシンクロー達の戦い方は……その……私達には色々と規格外なんだ! 狂戦士と言ってしまうほどにな!」
「……八千代が申すには、クリスやハンナも左様な話を口にしたらしい」
「そうだろう!?」
「だがしかし、あ奴らが左様な無礼を申す事は二度とはあるまい。そう、二度とはな……」
「なっ……! ふ、二人に何をしたんだ!?」
「八千代曰く、『ナニ』をしたそうだぞ? クリスもハンナも、カロリーネの如く――いや、違うな。ミナが申すところの『ばあさあかあ』になって戻って来るやもしれんなぁ? くっくっく……」
「な、何てことだ……!」
「若、もうその辺りで。ミナ様が本気で心配しておられます」
怪しげな含み笑いをするシンクローをモチヅキ殿が止めた。
「聞くところによれば、帝国はここ数十年の間、太平を謳歌しておるのだとか。辺境伯領でも東の荒れ地が出来た三十年前から大きな戦が絶えておるそうにございます。左様な者から見れば、乱世を生き、戦に明け暮れた我らは狂人と映るのも致し方なき事かと」
「ほう? 三十年? それは長い」
「十年も戦をせずにいれば、戦の仕方すら忘れましょう。それが三十年ともなれば、戦なぞ御伽噺の如き代物にござります」
「うむ……。藤原秀郷の昔から七百年、戦乱に身を置いた俺達とは、物を見る目が大いに異なるか?」
「左様にござります」
何だが分からないが、二人で勝手に納得してしまったらしい。
と言うか『フジワラノヒデサト』とは何だ?
人の名前か?
前は『タイラノマサカド』……とか言っていた気がするが、どうして物騒な話の例えに何人も登場してくるんだ!?
七百年も戦乱に身を置くだって?
大陸有数の歴史を持つ帝国だって建国してから四百年余りだぞ!?
いくら何でも長過ぎる!?
「ところで若、これは執事のベンノ殿から聞かされた話にござりますが、『ばあさあかあ』は必ずしも邪なる存在ではないのだとか」
「と申すと?」
「『ばあさあかあ』は軍神より神力と加護を与えられたが故に戦を恐れなくなるとのこと。誰彼構わず襲い掛かる訳でもなく、味方にとってはこの上なく頼もしき武人に他ならぬのでござります」
「それは良いっ! 左様に目出度きものだっとは!」
「言い伝えの類は物を知る年寄りにこそ尋ねるべきにござりますな」
「クリスとハンナだけでは、とんだ思い違いをするところであったわ」
「『ばあさあかあ』は霊験あらたなか存在にござります。いっその事『ばあさあかあ』を祀る社を作ってみては? さすれば『ばあさあかあ』の利益を得ると共に、向後同じ思い違いを防げましょう」
「名案だな。三野城下に建てるか?」
なんだかよく分からない内に話がまとまってしまった。
そして、この世界に新たな宗教が誕生――――、
「――――って待て待て! 『ヤシロ』は神々を祀る聖堂の事だろう!? 狂戦士を神々と同列にするなんて聞いた事がないっ!」
「「「?」」」
シンクローをモチヅキ殿だけではない。
ホッタ殿まで不思議そうな顔で首を捻った。
「どうして疑問符を浮かべるんだ!?」
「「「霊験あらたかものなら神でよいではないか(よろしゅうござります)(よろしいのでは)?」」」
「え……ええええええっ!?」
「何を驚いておるんだ?」
「こ、これが驚かずにいられるか!? 狂戦士は確かに軍神から力を授かったとも言われるが、時として魔物と同然に扱われることもあるんだぞ!?」
「要は、左様に畏れられる程に力強き者なのであろう?」
「シンクローの言う『畏れ』は私が思う『恐れ』とは違う気がするんだが!?」
「カヤノには社を作って神と祀っておるのだ。『ばあさあかあ』を同じにしてならん道理はない」
「ある! カヤノ様と狂戦士は絶対に違う!」
「まあ聞くがよい。日ノ本ではな、良きにせよ、悪しきにせよ、尋常ならずすぐれて徳高く畏きものを神と申すのだ。例えばだ。そこの津島屋はのう、尾張にある津島社の神人もしておるが、津島社は如何なる神を祀っておると思う?」
絶対に碌なものじゃなさそうな気がする……。
そもそも悪しき神が持つ『トク』とは一体何だ?
道徳か? それとも倫理か? 良き神が持たれるなら理解できるが……悪しき神の道徳や倫理?
それはもう絶対に、人に仇なす危険な代物なんじゃないのか?
疑いの目を向ける私に、ホッタ殿は嬉々として説明を始めた。
「津島社は牛頭天王をお祀りしております。世に疫病をもたらす悪神を払う神にございますな。が――――」
「――――が?」
「元々は牛頭天王御自身が行疫神――つまりは疫病を広める神だったと伝わります」
「なっ、何っ!?」
「牛頭天王は神力真に強き神にございますので、天王をお鎮めすれば疫病も退散するのではあるまいかと祀られ始め、やがて時が経る内に疫病退散の神に転じられたのでございます」
「悪しき神と言えど、よろしく祀れば悪さを止め、祟る事もない。むしろ人に利益をもたらす善き神となろう。ならば祀るしかあるまい?」
「悪神が……善神……」
「左様。牛頭天王ばかりではないぞ? 日ノ本では怨霊も神と祀られておる。早良親王、菅公、崇徳院……数え上げれば切りがない」
怨霊って……もしかしてゴーストやアンデッドのことか!?
い、異世界の信仰は一体どうなっているんだ!?
混乱する私に、シンクローはしたり顔で付け加えた
「神と祀れば怨霊も気を良くする。祀りは全てを解決するのだ」
そして狂戦士の『ヤシロ』建設に向けて盛り上がる面々……。
結局、激しい衝撃に打たれるあまり、シンクローが戦を厭がる理由は聞けないままになってしまった。
読者のみなさまへ
今回はお読みいただきありがとうございます!
「面白かった」
「続きが気になる」
と思われた方は、よろしければ、広告の下にある『☆☆☆☆☆』の評価、『ブックマーク』への登録で作品への応援をよろしくお願いします!
執筆の励みになりますし、なにより嬉しいです!
連載は続きます。
またお越しを心よりお待ち申し上げております!