第104話 「ああああああっ!」若い娘の喘ぎ苦しむ声が響いた
「賑やかな声が聞こえるかと思えば、そんな騒ぎがあったのですね……。クリストフ殿も災難でしたね……」
八千代がカロリーネを連れ去った後の事。
騒ぎの原因について話し終えると、辺境伯は寝台の上でミナと奥方に背を支えられながらお笑いになった。
賑やかな、と口にされたように、どこか楽しんでおられるような声の響きだ。
これに釣られてか、奥方も笑みを浮かべた。
病み上がりで戦場に出たせいか、それとも東の荒れ地にあるカヤノの大株から離れたせいか、辺境伯は再び体調を崩しておられる。
出会った当初ほどにお悪くはないものの、静かにお休みいただかねばならない。
こんな時にこそ、カヤノに対処法を尋ねたいところだが、ここ数日は何処に行ったのか姿を見せない。
放っておいても帰って来るであろうが……。
「しかし糾問使ですか……。困りましたね……」
「申し訳ござりませぬ。臥せっておられるところに余計な御心配を……」
「構いません。ところで相談の前に、サイトー殿にお知らせしておきたい話があるのです。ゾフィー、例のものを」
「はい、旦那様……」
奥方は辺境伯の御指図で、室内の戸棚から漆塗りの文箱を取り出された。
以前、当家より辺境伯家へ進呈した品だ。
蓋を開けると、異界の書状が三、四通ばかり入っていた。
「おお……また届きましたか? 此度は数が増えましたな?」
「はい。あちらでもようやく当家の事情を把握し始めたようです。もっとも、まだゲルトの謀反に関する内容ばかりですが……」
「致し方ありますまい。帝都は辺境伯領から遠く離れた地にござりますからな」
ゲルトとの戦が始まる前――辺境伯が毒を盛られてお倒れになる直前の事、俺は辺境伯と奥方からある話を聞かされていた。
それは、ゲルトが帝国の朝廷に働き掛け、己の優位を確保せんと画策しているという話だった。
奴めは辺境伯の後見となる前に朝廷へ出仕しており、かつて築いた人脈を利用しているらしい。
ゲルトの画策を妨げるため、こちらも朝廷へ働き掛けることは出来ないかと問う俺に、御二方は「実は既に動いているのです……」と、経緯を明かして下さった。
俺達が異界にやって来る遥か以前から、御二方は八方手を尽くしてゲルトに抗し続けていたという。
親類縁者や知己を通じ、朝廷へゲルトの非を訴え続けていたのだ。
時には、いっそ兵を借りて戦で雌雄を……と考える事もあったらしい。
だが、勝敗は時の運。
間違いなく戦に勝てる保証など、この世にはない。
戦を起こしてしまったが最後、勝敗が如何になろうと後戻りは出来ぬ。
ならば朝廷の大勢を味方につけ、大義名分を得て優位に立つ――――。
御二方は調略にすべてを賭ける事になさったのだ。
見込みはあった。
ゲルトに朝廷の人脈があったように、御二方にも頼みとする人脈があったからだ。
辺境伯は若年の頃、クリストフと同じように帝都へ遊学しており、朝廷の有力者との間に誼を結んでいた。
公にはされていない国宝――九郎判官の太刀を御覧になったのも、その時の縁が物を言ったのだという。
さらに、奥方の実家であるグリューネ宮中伯家は、代々の当主が高位の文官として朝廷に仕えてきた家柄。
御父君も皇帝臨席の朝議に参列を許される位にあったそうだ。
辺境伯が病に倒れ、ゲルトの攻勢に押し込まれる中にあっても、御二人は帝都の人脈を駆使して抗い続けた。
決して楽な戦いではなかった。
辺境伯の知己が左遷され、あるいは奥方の御父君が身罷られるという不運もあった。
形勢はゲルトの優位に傾いて行ったが、御二人の抵抗を無視することは出来ず、強引な手段に打って出ることを躊躇していた。
だからこそ、ミナと己の息子を結婚させるなどという搦め手を使わざるを得なかったのだ。
帝都の人脈から助力がなければ、ゲルトはとっくの昔に辺境伯に取って代わり、俺達が神隠しに遭って異界に流される頃には辺境伯の座に着いておったであろう。
永く苦しい戦いの末、領地の片隅にまで追いやられる結果にはなったが、他家から兵を借りなかったのは正解だったやもしれぬ。
御家騒動に他家の兵を借りると碌な事がないのだ。
足利、細川、斯波、畠山、上杉に長尾、そして美濃の土岐……かつての名家は家督を巡る争いに他家の介入を許し――いや、むしろ後先考えずに味方を集めた結果、どちらが勝って、どちらが負けたのか分からないほど双方共に疲弊し、戦国乱世の中で没落していったのだからな。
まあ、最後には俺達が助力した訳だが、あそこまで追い詰められておれば致し方あるまい。
「――――して? ゲルトの件は如何に?」
「帝都では私の訴えを認める意見が大勢のようです。ゲルトは私利私欲に溺れ、アルテンブルグ辺境伯家の家督を奪おうとしたと……」
「ゲルトめの後ろ盾となっていた者達は動かなかったので?」
「表立って異論を唱える者はいなかったようです。ゲルトとカスパルの戦死が影響したのかもしれません」
「ゲルトめにカスパル以外の子でもおれば、これを旗頭に据えて……などと考える族もいたのでござりましょうが」
「死者となった二人の味方をしても得るものはありませんからね。ただ……」
「何か?」
「……残念な事に、サイトー殿がゲルトの屋敷から入手なさった賄賂の帳簿と書状の数々……。これに関しては上手く逃げられたようです……」
「礼銭の相場を遥かに越える銭を、堂々と受け取って憚らない奴原にござります。逃げ道はいくつも用意しているのでござりましょう」
「そうですね……。今回は我々の訴えが認められた事で良しとしておきますか」
「その件でござりますが、マルバッハ男爵の娘は気になる事を申しておりましてな」
「と仰ると?」
「糾問使の派遣を願い出るに際し、ゲルトの件についても書き記したようにござります。さらには、手前共が辺境伯家の政を恣に壟断しておるとも……」
「厄介ですね……。一度は収まった問題が蒸し返されるかもしれません」
「左様です。故に、此度は糾問使を取り止めにさせるべく御助力をお願いしていただきたいのでござります」
「今からでは、糾問使の派遣と入れ違いになってしまうかもしれませんよ?」
「構いませぬ。来るなら来るで致し方なし、にござります。入れ違いとなったとしても、別のところで何かの役にたつやもしれませぬ」
「分かりました。ところでサイトー殿。書状と共に送る贈答の品ですが……」
「承知しております。届いた書状には何と?」
「ミノの陶器と紙、いずれも好評のようです。また送って欲しいと……」
「直ちに用意させましょう」
「シンクロー! 『タタミ』! 『タタミ』はどうだろうか!?」
ミナが鼻息荒く真っ直ぐに手を挙げた。
言いたくて仕方がなかったらしい。
「う~む……。好いて下さる御仁もおるかもしれぬが、重くて嵩張るのでな……。数も運べぬし……」
「ヴィルヘルミナ、『タタミ』はまたの機会でよいだろう」
「この子ったらどれだけ『タタミ』が好きなのかしら? 『タタミ』狂いね」
「そ、そんな~……。お母様迄ひどいです……」
とびきりの思い付きが容れられなかった事が余程残念らしく、ミナはあからさまに肩を落としている。
「はははは……。そう言えばサイトー殿。『カタナ』や『タチ』を贈答品としては如何ですか? まだ一振りも贈っていなかったでしょう? あれを見て驚かない者はいません。必ずや名宝として珍重されるでしょう」
「辺境伯の仰る通りでしょうな。だからこそ、今は止めておきましょう」
「どういうことです?」
「陶器にせよ、紙にせよ、刀と太刀にせよ、やがては帝国中の富貴が先を競って買い求める品となりましょう。特に刀と太刀は。九郎判官の名声を思えば猶の事。然り乍ら、作刀には時を要します。我らにとって欠かせぬ武具でもありまする。であれば、大盤振る舞いはしとうないのでござります」
「なるほど……よく分かりました。それなら――」
辺境伯はしばしお考えになった後、とびきりのひらめきを得たと言いたげにお笑いになった。
「『カタナ』と『タチ』は皇帝陛下への献上を最初としましょう。帝国貴族で同じものを所有しているのは当家のみ……。アルテンブルク辺境伯家の名に箔が付くと言うものです」
「皇帝……。左様ですな。そうすると――――」
「――――あっ…………いやっ……あああああああああああああっ………!」
突然、屋敷の中に女子が喘ぎ苦しむ声が響いた。
「な、何ですか!? 今の声は!?」
「すごく苦しそうよ! 若い女の子の声だわ!」
「シンクロー! 見に行くぞ! 当家の侍女に何かあったのかもしれない!」
「あ~……いや、案ずるな。大事ない」
「心当たりがあるのか!?」
「あれはな……おそらく八千代だ。八千代が色々と指南しておるのだろうよ」
「し、指南……? あんな苦しそうな声が? 一体何の指南を――――」
「聞かぬ方がよい」
「え?」
「聞いたら後悔する。故に聞かぬ方がよい。手出しも無用だ」
その後も、女子の声は邸内に度々響き渡った。
心の中で、カロリーネ嬢に合掌した。
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