第91話 「足らざる点がある」新九郎は自軍の弱点を説いた
「山県勢に動き有りっ!」
竹梯子の上で忍衆が叫んだ。
九州衆の凄絶な攻めっぷりを前にしばし口を閉じておったが、少しばかり声が弾んでおる。
ようやく役目が戻って来たと、喜んでおるのか、安堵しておるのか、それともその両方かのう?
すると竹梯子の隣で浮いたまま居眠りしておったカヤノも大欠伸を一つした後、眠気の覚めぬ声で口を開いた。
「……逃げ出した連中が、あちこちで固まっているわ。十とか、三十とか、五十とか、百とか…………」
「敵も然る者よ。沈着に兵をまとめる者がおるらしい」
「反撃するつもりだろうか? ヤマガタ殿はそれに対処を?」
「で、あろうな。カヤノ! 敵兵の集まりは如何程あるか!?」
「十一……あ、たった今、十二になったわ。集まろうとしているのも五つはあるわね」
「合わせて十七、か」
「ヤマガタ殿の兵は五百程度だろう? 全てに対処する事は難しいんじゃないか? 私達も動くべきでは?」
「慌てる事はない。ここは山県に任せる」
「だが……」
「今はあちこちに敵が逃げ散りまとまりがない。これを根切りにするとあれば、一つにまとめて押し包まねばならん。とすれば、まずは如何にする?」
「……包囲網に穴を開けず、敵を逃がさないようにする……か?」
「左様。それが分かっておれば、兵の動かし方も見えて来よう? ビーナウの地理を交えて考えてみよ」
「そうだな……、南はビーナウが、東はネッカー川が障害となって逃げ場はない。逃げるとすれば北か西だ。北には私達が、西にはヤマガタ殿がいる。北西にはキューシュー兵が六百いるが、一戦を終えたばかりだな……。動かしづらい……か……」
「九州衆ならば連戦をものともせぬであろう。しかし、此度はただ単に敵を破れば事足りる訳ではない。逃してはならんのだ。然為れば勢いのままに戦わせるべきではない。しっかと備を立て直さねばならん」
「とすると、使える兵は私達の九百とヤマガタ殿の五百。数の上では私達が多い。逃げ散る敵に対処しやすく思える……」
「兵の数だけで考えればな」
「あえて兵の数が少ないヤマガタ殿に任せる理由があるとするなら……ヤマガタ殿は散在する敵を追撃するような戦が得意……とか? ヤマガタ殿の元には追撃に有利な騎兵も手厚く配備されているようだし……」
「よう考えておるな。それが一つ目の理由で間違いない」
「一つ目? では他にも理由が? ヤマガタ殿は別の利点も持っていると?」
「山県の利点ではない。俺達に足らざる点があるのだ」
ミナが首を捻る。
ヨハンやクリストフも顔を見合わせ、心当たりがないといった表情だ。
「ここには斎藤家の馬廻衆が四百、辺境伯家の兵が五百おる。合わせて九百。山県の手勢に比べて数こそ多い。だが、軍勢の結束は如何か?」
「軍勢の結束?」
「山県の元にある兵は、五年、十年と長年に渡って戦陣を共にしてきた者が多い。中には生まれた時から共に育った者もいる。対する俺達は朋輩となってから日が浅い。出会ってから二ヶ月に満たぬ」
「お待ち下さいサイトー様! 我々はあなたを信頼しています!」
「そうです義兄上! そんなにご案じにならなくとも――――」
「其方らに信を置いておるのは俺も同じ。だがな、刻一刻と千変万化する戦場で、付き合いの浅い者同士が一糸乱れず動けると本当に思うか? まして此度は敵を逃がしてはならんのだ。信を置くか否かとは別の話よ」
クリストフはなおも何か言い募ろうとしたが、ヨハンがそれを制した。
「どうして止めるんだ? 君からも義兄上に申し上げてくれ!」
「いえ、この場はサイトー様のご意見に分があります」
「ヨハン!?」
「私も小隊を率いた身。サイトー様とは比べるべくもありませんが、二、三十人の小隊であっても隊の結束を育む事は難しいものです。良き隊を作り上げるには、時に年単位の時間を要するもの。出自の似通った者で作る小隊でさえそうなのです。ましてや、出自が大いに異なり、言葉も異なる軍勢同士では……」
切々と語るヨハン。
ミナは「仕方のない事、か……」と小さく頷き、クリストフは悔しそうに唇を噛みながら不承不承頷いた。
「そんな顔をするな。戦はこれからが本番よ。其方らに働いてもらう機会はまだいくらでもある。期待しておるからな?」
「義兄上……。はいっ! 必ずや御期待に沿う活躍をお目に掛けて見せますっ!」
「その意気だ――――」
「――――馬上衆が動きましてござりますっ!」
竹梯子の上から新たな報せだ。
山県勢を眺めてみれば、馬上衆が供回りを従えて、十騎、二十騎と戦場へ進み出ている。
山県に配した馬上衆は百騎。
供回りの徒武者や中間、小者が付き、四百余り。
残った兵は鉄砲や弓、徒の足軽衆だ。
山県の元にあって馬上衆の助勢として働くことになろう。
馬上衆は、押太鼓の音に合わせて、慌てず騒がず常歩で静かに進む。
あたかも落ち着いて狙いを定める熟練の猟師かのように。
供回りは馬の周りを固め、無駄な動きをせず、無駄口をきかず、離れる事無くピタリと付き従っている。
敵は混乱の中でまだ気付いてはいない。
戦場と申す狩場に新たな猟師が姿を現し、己が狩られるのを待つ獲物へと成り果てた事にな。
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