第86話 「昨晩はお楽しみだったようで……」左馬助はニヤリと笑った
「――――あの二人、無事に窮地を脱したとの事」
三野より勝報が届いた翌日。
夜も深まった刻限に、寝所に姿を見せた左馬助が小声で囁いた。
エトガル・ブルームハルトの組下にあった二人の消息を伝える報であった。
「此度は吉報であったか。お主が顔を見せた時は、またぞろ例の件かと思うたわ」
「先程は詰まらぬ話をお耳に入れてしまいました……」
「お主が責めを感ずる事はない。此度はようやった。これでエトガル・ブルームハルトへの義理が立つ」
「有難き幸せ。若の御言葉を聞けば六郎も喜びましょう」
「左様か。ならば俺が褒めておったと伝えてくれ」
「はっ……」
「しかしだ、まったく物事は思い描いた通りに動かぬものよな」
「とんだ阿呆がおったのです。致し方ござりませぬ」
「死中にある味方の、ささやかな願いさえ慮らぬ奴原とは思わなんだ」
「決死の役目を果たした者に対する褒美が、次の戦の道案内とは……。甲斐なき事にござりますな」
「異界の大名小名は、下々の評判を顧みぬらしい」
「ミナ様やクリストフ殿は、異界の貴族で我らの如く下々の評判を気に掛ける者は数少ないと申しておられました」
「そこよ。そこが俺達と異界の者とで大いに考えが異なる所よな。下々を蔑ろにすれば、上に牙剥くものと思うのだが」
「ゲルトと申し、ブルームハルト子爵と申し、下々を顧みる気配は欠片も感じませぬ。下々は上に従うのが当然と言わんばかり。一方、下々は下々で上に歯向かおうと申す気概がありませぬ。始めから抗う事を諦めておるような……」
「日ノ本でゲルトやブルームハルト子爵と同じ事をしてみよ。たちまち民百姓が一揆を起こそうぞ」
「武器を手に取り攻め寄せましょうな。あるいは逃散、欠落が相次ぎ、村々から人の姿は消えましょう」
「だが左様にはならぬ。でなければ、ゲルトの二十年に渡る悪政なんぞ許されん」
「日ノ本と異界とで何が異なるのでござりましょう? やはり……」
「魔法……かのう?」
「で、ござりますな」
「魔法は実に手強き業よ。使い方次第でか弱き娘が大の男を伏する事が出来る」
「一人で多数を打ち倒す事も出来ますな」
「誰でも使える業ではなく、習得するには何かと銭が掛かり、腕に覚えのある者は高禄を求めて地位高き者に仕える。異界の大名小名共が、魔法を独り占め出来る仕組みとなっておるのだ」
「であれば、下々に抗する術はありませぬ」
「負けると分かり切った勝負には手を出さぬか。政の能無き者共が大きな顔をしていられる訳だ」
「我らは運が良うござりました。ゲルトに能有らば、魔法をよろしく使い、我らを窮地に追いやっておったやもしれませぬ」
「魔法師は自在に動き回る大筒の如きもの。数が揃えば弓鉄砲では歯が立たぬ」
「忍び衆と鉄砲衆には、魔法師を見掛ければ何をおいても真っ先に討ち取れと命じておりますが、弥縫策に過ぎませぬ」
「左様。異界で生き残るのも楽ではなさそうだ。難儀な事よな」
「ほう? 左様にお考えで?」
「左様に考えておるが……如何した?」
「魔法への備えをお考えになる若は、実に楽しそうに見えました故。口の端が上がっておられますぞ?」
「何だと?」
左馬助に言われて、手を口元にやった。
確かに口の端が上がっておった。
「これはいかん。戦に狂うてしもうたか」
「よろしいではござりませぬか。どの道しばらくは、戦に明け暮れる事になるのでござります」
「ブルームハルトを負かしても、か?」
「然り。次の相手が現れましょう。我らが望む望まぬとに関わらず……」
「厄介な事を申すものよ。忍び衆の頭領が申すだけに笑えぬわ」
「とりあえずは目の前の戦に備えましょう。さあ、そろそろお休みください」
「気が昂っておるのかもしれん。目が冴えて眠れんのだ」
「だと思いました。ならばミナ様に伽でもお願いしては? 昂ったものも収まりましょう」
「戦を前に女子を抱けと申すか!? 出陣前の三日間は房事を控えるものであろうが! しきたりに背く行いぞ!」
「ヨハン殿曰く、戦の前は憎からず思うておる女子と懇ろに過ごすが異界の習との事。異界の作法に従う事も一興かと」
「む……異界の作法……か……」
「お心が動きましたかな?」
「馬鹿を申せ。ミナに左様な事を申してみろ。剣を抜かれるぞ?」
「はてさて? 左様でござりましょうか……」
左馬助は含み笑いしながら部屋を後にした。
仕方なく寝台へ横になる――――が、大して時が経たぬ内に新たな客が現れた。
「ちょっと」
「む……その声はカヤノか?」
暗闇の中からカヤノの声が聞こえた。
寝台のすぐそばへ寄る気配も感じる。
俺の寝所に易々と入って来るとは……。
近習共は何をしておるのか――――。
「――――御無礼を致します」
春日源五郎が手燭を片手に姿を見せた。
灯りに浮かぶその姿は、鉢巻きがずれ、髪は乱れ、頬に引っ掻き傷があった。
「……苦戦したようだのう?」
「面目次第もござりません」
「よい。神仏の道行きを防ぐ事など人の身には過ぎた話であった」
「ねえちょっと」
「分かった分かった。話があるのだな?」
「そうよ」
「源五郎、燭台に火を灯せ」
「はっ」
室内がぼんやりと照らされる。
「下がってよい」
「ははっ」
「で? 其方の話は?」
俺が問うと、カヤノは頬を膨らませる。
「いつになったらあいつらを追い払ってくれるの? 今日の昼間も木を伐っていたのよ?」
「聞いておる。だが、昨日に比べれば遥かに少なかったであろう? 藤佐が鉄砲衆を使って連中の邪魔をしたはずだ」
「そうだけど……」
カヤノは悲し気に目を伏せる。
「悪かった。俺が悪かった。数の話ではないな。其方にとっては一本の木も我が子同然だったな」
「木を伐るなとまでは言わないわ。でも、あいつらには愛がないの。伐るならもっと大切にしてあげて」
愛があるだのと言われても、普通に木を伐る事と一体何が違うのか?
俺達が木を伐ってもここまで不満を申す事はないのだが……。
「俺達のように社を建て、供物を捧げよと申すか?」
「そうよ。そうやって大切にしてくれればあの子達も浮かばれるわ。でも、あいつらに言ってもやらないでしょ? だからさっさと追っ払って!」
「長くは待たせぬ。夜が明ければ事は動く」
「本当でしょうね?」
「必ずだ。もうしばし辛抱してくれ」
「……分かったわ。シンクローの言う事だから信じてあげる」
左様に申すと、カヤノは俺の横に寝転がる。
「おい……。何をしておる?」
「あんたの近くは落ち着くのよ。傷付いたあたしの心を慰めてもらうわ」
「慰めろだと……? おい、カヤノ……寝てしまった」
言いたい事だけ言うと、カヤノはすぐに寝息を立て始めた。
神仏も眠りを必要とするのか、それとも別の理由があるのか。
詳しくは分からぬが、今更起こすのは気が引ける。
燭台の灯りを消し、俺も横になった。
「――――ねえ、シンクロー?」
「……ん? 何だ……?」
耳元で聞こえるカヤノの声。
いつの間にか寝入っていたらしい。
目を開けると、窓の外が白み始めていた。
もう夜明けだ。
それはさておき、どうにも動き辛い。
それもそのはず。
俺のそばで横になっていたカヤノが、気付けば俺にしがみつくような体勢になっていたのだ。
道理で耳元で声が聞こえる訳だ。
「……何をしておる?」
「だってこっちの方がもっと落ち着くんだもの」
カヤノがさらに身を寄せる。
イカンな……。これはイカン。昂らんでよいものが昂ってしまう。
「少し離れろ。身体に良くない」
「イヤ。そんな事より聞いて。あいつらが動き始めたみたい」
「真か? 如何なる様子だ?」
「兵隊が列を作ろうとしているわ。今のところ三百六十一人。どんどん増えてる」
「分かった。起きるから離れ――――」
「若? 御無礼を致します。左馬助にござります。敵に動きありと報せが――――」
忍び衆からも早速報せがあったのであろう。
左馬助が寝所に姿を見せた。だがしかし――――、
「――――早速異界の作法をお試しになられた御様子。昨晩はお楽しみだったようで……」
――――俺とカヤノの姿を目にするや、ニヤニヤと笑って背を向けた。
「待て。待たんか左馬助! 誤解しておるぞ!」
「よろしいではござりませぬか。若も男子なのです。しかし神仏の類を抱かれるとは、物好きと申しましょうか、恐れ知らずと申しましょうか……」
「何がよろしいものか! 俺は神仏に手を出すような罰当たりではない!」
「シンクロー! 起きているか!?」
寝所の外からミナの声が聞こえた。
「お待ち下さい! ミナ様っ!」
「どいてくれゲンゴロー殿! 急ぎの報せなのだ!」
「あっ――――」
「シンクロー! モチヅキ殿が敵に動きがあったと――――」
ミナが凍った様に動きを止めた。
「い、い、戦の前だぞ!? 大事を前に何をしているんだ!?」
「ミナ様。戦の前だからこそ、小事ならぬ情事が欠かせぬのでござります」
「モチヅキ殿!?」
「左馬助は余計な事を申すでない!」
「うるさいわね。何を騒いでいるのよ?」
「カヤノ様は何ともお思いのならないのですか!?」
「?」
「どうして首を傾げるのです!?」
「わたしはあいつらを追い払ってくれればそれでいいもの」
「そ、そんな……」
「其方ら話が擦れ違っておるぞ! もうよい! 陣触れだ左馬助! 早く鐘を鳴らせ!」
「ははっ」
左馬助は含み笑いしつつ寝所を後にする。
間もなくして、ネッカーに鐘を叩く音が響いた。
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