手負いの軍曹、欠落す
「ぼ、僕達どうなっちゃうんでしょうか……?」
割り当てられたテントの中で、ティモは半ベソをかきながら呟いた。
無理もないか。
そもそも俺達は伝令の役目を終えた後、戦場から離脱して領都に帰る手筈になっていた。
小隊長が手紙にそう書いてくれたからな。
伝令の二人はよく戦った。
だが軍曹の方は怪我をしているし、従卒の方も消耗が激しい。
伝令の任を果たした後は褒美代わりに領都へ帰してやってくれってな。
それがおじゃんになっちまった。
途中まで上手く事は運んでいたんだ。
筆頭内政官のモーザーは「ご苦労であった。領都まで気を付けてな」って俺達をねぎらった後、道中の水と食料、ついでに路銀まで用意させようとした。
「怪我を負った身で歩くのは辛かろう? 馬に乗れるか? 用意させよう」
こんな事まで言い出した。
こっちが恐縮しちまいそうな厚遇ぶりだった。
俺達が届けた情報がモーザーにとってそうさせるほど重要だったのか、それとも下々への配慮を怠らない人間なのか、単に自分を鷹揚に見せようって魂胆なのか……。
真意の程は分からねぇ。
ただな、恩着せがましい態度じゃ無かった事だけは確かだ。
ティモと二人、「本当か?」って耳を疑ったくらいだからな。
こちとら異世界人の手先をやってる身。
途端に罪悪感が湧いて来ちまった。
もちろん本当の事なんざ口が裂けても言えないがよ。
ところが、ブルームハルト子爵の言葉で潮目は一気に変わっちまったんだ。
「待て! そ奴らは川向こうを知る貴重な証人だ! いざと言う時は道案内をさせる!」
…………ってな。
モーザーは「敵地で孤軍奮闘する味方の願いを軽んじる事になりますが――――」と二言、三言、反論してはくれたが、子爵の主張に押し切られちまった。
せめてもの配慮だって事で、騎士用のテントと寝具を宛がってくれたんだがな……。
ありがたい事はありがたいが、領都へ帰る事に比べりゃあ大した慰めにもならねぇよ。
俺だって半ベソかきたい気持ちだぜ。
でもな、下ばっかり向いてちゃ碌な結果にはならねぇからな……!
「ティモ、顔を上げろ」
「え?」
「こうなっちゃ仕方ない。諦めるにはまだ早い。どうにか逃げ出すチャンスを待つんだ」
「で、でも……その前に戦になったら……」
「よく考えな。戦で混乱するから良いんだよ。俺達が逃げたって追って来る奴はいねぇさ」
「そうでしょうか……?」
「そうさ。安心しろ。俺は小隊長からお前を任されたんだ。必ず家に帰してやるからな?」
「はい――――」
「ロックだ。入っていいか?」
テントの外からロックの声が聞こえた。
俺が「おうっ」って返事をすると、「失礼する」って言葉と共に入口の幕が上がった。
冒険者にしては上品な奴だな。
テントの中へと入って来たロックの左手には、布が掛かった籠が下げられていた。
「食事をもらって来た」
「すまねぇな」
「気にするな。俺もあんたらのおこぼれに与れた」
ロックが籠に掛かった布を取り払った
中には人数分の白いパンと燻製肉の塊、具材たっぷりのスープが並々と注がれた木製の深皿が入っていた。
しかもワイン一瓶のおまけつきだ。
兵卒の食事なんて、堅パンか黒パン、良くてもフスマ入りのパンのはずだ。
干し肉は革靴かってくれぇに硬いし、スープは塩と芋が入ってりゃあ上出来。
ワインなんて夢見る事も出来ねぇ。
どう見たって兵卒の食事じゃない。
騎士に配給される食事だ。
「これもねぎらいなんだそうだ。敵中突破の勇敢な伝令に対する、な」
「勇敢な伝令ねぇ……。まあ、有難くいただくとするか」
美味そうな匂いに釣られて、いつの間にかティモも顔を上げる。
ネッカーを出てから意識しちゃいなかったが、半日以上何も口へ入れていない。
今日初めて、腹が減っている事を自覚した。
最後の晩餐……なんて思いたくはないがよ、俺とティモは無言のまま、ゆっくりと味を確かめるように食事を進めた。
「どうした二人共? やけに暗いな?」
俺達の様子が気になったんだろう。
ロックは気遣うような口調で話し掛けた。
「やっぱり領都へ帰れなかった事を気にしているのか?」
「ん? あ、ああ……。まあな……」
「俺も気の毒だったと思うよ。あんたらは十分に働いた。怪我もしている。名誉の戦傷だ。なのにとんだ仕打ちさ」
おこぼれに与れる、なんて言いながら、ロックの奴は食事の用意と言い何かと世話を焼いてくれている。
俺達の身の上を同情してくれているのも分かる。
こいつに心底からの愚痴を聞いてもらえたらどんなに楽だろうな。
でも、うっかり真実を漏らしちまったら大変だ。
俺達が異世界人の手先って話をここまで隠し通した。
お偉方への報告も無事に終えた。
ここでボロを出す訳にはいかない――――。
ダァ――――――――ンッ!
「テッポー!?」
「ひいっ!?」
突然響いたテッポーの音に、思わずパンを取り落とす。
ティモはスープ皿を引っくり返しちまった。
ところがだ、ロックは平然と笑っていた。
「落ち着けって。スープを全部こぼしちまって……勿体無いな……」
「モ、モッタイ……何だって?」
「何でもないさ。それより心配ないから落ち着けよ」
「落ち着けって……敵の襲撃じゃないのか? 今のはテッポーの音だろ?」
「ああ、テッポーの音さ。昨晩も同じように一晩中鳴り響いていた。俺達を寝かさないつもりだ」
「嫌がらせ……か?」
「多分な。だが本陣の外や柵際に近付くな。篝火の近くもだ。狙い撃ちされるからな」
「夜でも関係なく当てやがるのか……。川向こうと同じだな……」
「川向こう? せっかくだ、聞かせてくれよ。俺はあっちがどうなっているか知りたかったんだ」
「ん? そう言えば、昼間に会った時もそんな事を言ってたな。知り合いが川を渡ったのか?」
「そんなところだ。頼むよ」
頼まれた俺はロックに求められまま、川向こうでの出来事を話した。
ロックは時に俺達へ同情し、時には俺達の働きを褒めながら、俺に先を促した。
こいつ、結構な聞き上手だ。
まず話の腰を折るって事がないし、話し手の俺が気持ちよく話せるように上手く合いの手も入れる。
話す内に、川向こうの話はいつの間にかお偉方に対する愚痴に変わっていた。
ずっと不安な顔をしていたティモまで積極的に話に加わっている。
食事を始めた頃には相手がロックであっても油断は出来ねぇと思っていたはずなのに、そんな事はすっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。
テッポーの音も聞き慣れて来た頃、ロックがふとこんな事を言った。
「――――そんなに領都へ帰りたいのか?」
「ああ、帰りたいよ。女房や子どもがいるんだ」
「僕も母と妹達が……。僕が死んだら家族は路頭に迷ってしまうんです……!」
「そうか……。なら、今が好機かもしれないぜ?」
「何だって?」
「テッポーの音が響いている間は陣の外へ出たがる奴はいない」
魅力的な提案だ。
この状況なら監視の目は緩いだろうし、見つかっても逃げ切れるかもしれねぇ。
でもな、俺達が逃げ出したら報告の内容が怪しまれて――――。
「心配するな。戦場の逃亡兵なんて珍しくないだろう?」
――――まるで俺の心でも読んだみたいなタイミングでロックが言った。
「あんたらは領都へ帰るはずだった。それを無下にも反故にされた。だから逃げ出した。誰もそう信じて疑わないさ」
「ま、待ってくれ。逃亡兵は厳しく処罰される。ましてや俺達は曲がりなりにも辺境伯家にお仕えしているんだ。家族にも累が及んだら……」
「そうですよ……! 家族の為に帰るのに、家族を危険に晒すなんて本末転倒です!」
「そいつはな、ブルームハルト子爵が勝った場合の話だろ?」
「何だって?」
「あんたらは勝つと思うか? この軍勢が、サイトーの軍勢に……」
俺とティモは顔を見合わせた。
逃亡しようが何をしようが、全て無かった事になる……。
そんな考えに思い至った後は、俺とティモ決断は早かった。
とっととこの陣から逃げ出すことにした。
ロックは道案内に鞍替えし、俺達を先導した。
不思議な事に、ロックが案内する道は不思議な程に人気がなく、柵は破れ、俺達を遮るものは何もなかった。
気付いた時には陣の外。
篝火の灯りは遠く背後にあった。
暗がりの中で、俺達はようやく一息ついた。
「ここで少し待て」
「……慣れてるな? ロック?」
「うん? 何の事だ?」
闇の中でとぼけるロック。
表情はほとんど伺い知れないが、きっと平然としているんだろうな。
ロックはきっと逃がし屋に違いない。
戦場の逃亡兵から借金がかさんだ夜逃げまで、人を逃がす事を生業にする連中がいるんだ。
もちろん慈善でそんな事はしない。
それなりの報酬と引き換えだって話だが……。
「大した金は用意できねぇぞ?」
「だから何の事だ――――?」
「こんばんは」
「――――え?」
心臓が止まった。
間違いなく止まった。
どうしてこんな場所で、こんな時間に、『若い女の声』が聞こえるんだ?
息が出来ない。
指一本動かせないままでいると、真っ黒な闇の中から色鮮やかな服を着た若い女が浮き上がるように現れた。
川向こうで見た女達と同じ服を着た若い女だ。
こんな場所でこんな服を着た若い女?
おいおいおいおいおいっ! 場違いもいい所だ!
「悲しいわ。『こんばんは』と申しましたのに、何にも申して下さらないなんて……」
女はわざとらしく、服の袖で目元を覆った。
表情は見えない。
「……でも、嬉しいわ。的中突破の勇敢な伝令さんとお会い出来るなんて……」
女が顔を見せた。
口を三日月みたいに大きく曲げて、笑っていやがった……。
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