手負いの軍曹、任務を果たす
「おのれ蛮族共っ!」
ブルームハルト子爵は怒り狂った。
額には青筋を立てているし、顔も真っ赤だ。
視線の先には例の桶。
傍らに控えるティモは、真正面から怒りをぶつけられちまって、首を縮こまらせてブルブルと震えている。
桶を背負って来た自分もとばっちりを受けやしないかと、気が気じゃないだろうな。
小声で「落ち着け……」と言ってやるが…………聞こえてねぇな、ありゃ。
見かねたロックがティモの背中を軽くさすって何か囁いているが、こっちも効果はねぇようだ。
それでだ、子爵の激しい怒りの原因は当然ながら桶の中身、アロイスの首だよ。
そいつを見りゃあ「蛮族共っ!」なんて怒りをぶつけたくなる気持ちも分からんでもない。
自分の親族が首だけにされちまったってだけでも怒りの種にはなるだろうが、とにかく死に顔が最悪なんだよ。
恨みがましそうに生者を睨みつけているようにも見えるし、とてつもない恐怖に顔を歪ませているようにも見える、それはもうおぞましい表情なんだからな。
しかもだ、そのクソが付くほど恐ろし気な首は丁寧に白塗りされ、口紅まで差されて、見事に化粧されてやがる。
サイトーの連中は一体何を考えてこんな真似をするのかね?
死に顔と相俟って気色悪いったらありゃしねぇ。
趣味が悪過ぎるぜ。
ガキなら絶対に漏らすだろうね、こりゃ。
子爵は恐がるより先に怒り狂いやがったが、他の貴族や騎士の中には口元を押さえて気持ち悪がっている奴が何人もいる。
あからさまに目を逸らす奴もいる。
声を上げているのは子爵たった一人しかいねぇ。
子爵はサイトーを散々罵った後、こんな事を言い出しやがった。
「弔い合戦だっ! 弔い合戦に打って出るぞっ! アロイスは我が親族っ! こんな真似をされて黙っていられるものかっ!」
場がざわついた。
「出陣するぞっ! 馬を引けっ!」
「お待ち下さい。ブルームハルト子爵」
「何ぃ!? どうして止める!? モーザー殿っ!?」
飛び出そうとした子爵を初老の男――――こいつが辺境伯家筆頭内政官のオットー・モーザーらしい。
この軍勢の参謀役だな。
こいつは他の連中と違ってアロイスの首にもあんまり動揺してねぇように見えた。
怒り狂う子爵にモノを言える度胸と言い、さすがに筆頭内政官なんて役職を務めるだけあるって事かね?
モーザーは子爵の怒鳴り声をしばらく浴びた後、宥める様に話し始めた。
「お怒りはごもっとも。ですが、我らは聞くべき話を聞いておりません」
「聞くべき話? 何だそれは!?」
「この伝令達の話です。彼らは単に首を届けただけではありません。川向こうの戦況を伝えるためにやって来たのですよ? 聞き逃す事は出来ません」
「む、むう…………」
「弔い合戦をするにしても、戦況は正しく把握しなければ。でしょう?」
「…………分かったっ! ならばさっさと報告させよっ!」
子爵は自分が座っていた腰掛けを蹴り飛ばしやがった。
苛立ちを紛らわせているつもりかね?
ティモがビクリと大きく肩を揺らす。
怒りの冷めない子爵に代わって、モーザーが俺達に話し掛けてきた。
「待たせたな。それでは君達の報告を聞こうか? 書状もあると聞いたが……」
「はっ! こちらですっ!」
俺は懐から一通の手紙を取り出した。
サイトーの指示で小隊長が書いたもんだ。
従士の手を通じてモーザーの元に手紙が渡る。
手紙を読む間、モーザーの奴は無言だった。
表情はほとんど動かず、やけに落ち着き払っているようにも見えた。
たった数枚の手紙なのに、じっくりと時間を掛けて目を通し、時には読み終えた手紙に戻り、なかなか読み終わらない。
…………落ち着いている様に見えたが、あれはもしかすると動揺しているのかも知れねぇな。
そりゃそうだろう。
あの手紙には、二千の軍勢がたった一夜で半壊し、今や壊滅寸前だ、助けてくれっ! って書いてあるんだからな。
実際はとうの昔に壊滅しちゃいるが、馬鹿正直に真実を教えてやる事はねぇ。
味方が生き残っていると知った時、こいつらは果たしてどう動くのかねぇ?
「どうした!? まだ読み終わらんのか!?」
しびれを切らした子爵が怒鳴り声を上げた。
他の貴族や騎士からも同意する声が上がる。
モーザーは声に応じる様にゆっくりと顔を上げ、深く息をついた。
「……残念ながら、川向こうの味方は風前の灯のようです」
「何ぃ!? どういうことだ!?」
「この書状を書いたのはエトガル・ブルームハルトと言う騎士です。領都に出仕しておりました。御存知ですか?」
「我が一族の末席に名を連ねているようだが……詳しくは知らん」
「ブルームハルト家は分家が多いですからな。仕方がありません」
「そのエトガル・ブルームハルトが何だと言うのだ!?」
「領都で出仕していた騎士ですから、私は彼の事を多少は存じておりますよ。真面目で実直な騎士です。彼ならば偏りのない正確な報告を行うでしょう。その彼の書状に曰く――――」
モーザーは小隊長の手紙の内容を語り始めた。
俺やティモが事前に聞かされていた話とまったく一緒だ。
川向こうに攻め込んだ軍勢は、最初の夜に襲撃を受けて壊滅状態になった。
今は生き残った少数の味方が必死に撤退しようとしている。
が、敵に囲まれて身動きがとれなくなっちまった。
援軍を送って助けてくれ――――ってな。
まあ、全部丸ごと真っ赤な嘘って訳じゃねぇな。
軍勢が壊滅したのは事実だし、俺達の小隊みてぇに生き残っている連中もいるかもしれねぇ。
ただし問題は、この手紙を書いた当人が、もはや助けなんか求めちゃいねぇって事かね。
「――――書状によりますと、騎士エトガル・ブルームハルトは敵手に落ちたアロイス・フォン・ブルームハルト騎士爵の首を見事に取り戻したとの事。そして部下二名を伝令とし、こうして援軍を呼び寄せに向かわせたのです。それで間違いないな?」
「は、はいっ! その通りですっ!」
「さぞかし過酷な道中だったのだろうな? 怪我もしているようだが……」
「は、はい……。血は何とか止まりましたが……」
「よくぞ無事に辿り着いた。ご苦労であった――――」
「ふざけるなっ!」
子爵がモーザーの言葉を遮った。
さっきより、さらに顔を怒りに歪めてやがる。
「二千の軍勢が壊滅だとっ!? 馬鹿なっ! サイトーの軍勢はネッカーとビーナウにいるはずだ! 他に兵はいないっ! そう言う話だったではないかっ!? どうして我が軍が攻撃を受けるのだ!?」
「……疑問はごもっとも。ですが、書状によればサイトーの兵は間違いなく川向こうにもいたとのこと。例の派手な赤い鎧の軍勢が現れたのです。見間違えるはずがありません」
「そ、それは……」
「さらには、彼の地の民衆は老若男女を問わず、幼い子どもに至るまで、一人残らず追剥の如く我が軍に襲い掛かり、嬲り殺しにした上で身ぐるみまで剥いだと。何とも恐ろしき事ですな。噂に聞く南海の首狩り族もかくやと言う獰猛ぶりです。これも間違いないか?」
「はい……。俺達が体験した事がそのまま書かれています……」
聞いていた誰もが「信じられない」って顔をした。
奇遇だな。
俺もそう思うぜ。
自分が体験してなけりゃな。
どう考えても作り話にしか思えねぇが、何もかも本当だ。
おかげで嘘を付く必要がない。
思わぬ副産物ってやつかね?
モーザーが全員を見渡す。
「さて、どうなさいます? 川向こうには少数とは言え味方が残っている。撤退を支援する援軍を出しますか? それとも子爵が仰るように弔い合戦に打って出ますか?」
「弔い合戦に決まっている! どこにいるのか分からぬ少数の味方に構っている暇は――――」
「待たれよブルームハルト子爵! 味方がいるなら救うべきではないか!?」
「我々の親族も川を渡ったのだぞ!?」
「書状の通りなら不用意な援軍は危険だ! 二の舞になるぞ!」
「双方とも待てっ! 選択肢が二つしかないのはおかしい! 援軍も弔い合戦もどちらも反対だ!」
「そうだ! 不用意な戦は出来ん! 下手に動くべきではない!」
「何だとっ!? 臆したか!? この腰抜けめっ! 私は親族の生首を見せられたのだぞ!?」
「子爵! 我々は敵が流民の集団に過ぎぬと聞かされたからこそ援軍に応じたのだ! こんな話は聞いていないぞ!?」
「ゲルト殿が敗北したのは事故の様なものだと貴公は言ったな!? 何が事故だ!? とんだ見当違いではないか!」
「敵は万端に迎撃の準備を整えているはずだ! 今も手ぐすねを引いて我々を待ち構えているに違いない!」
たった一通の手紙が原因で、指揮官連中は大混乱に陥った。
俺らはこう動けって指示を受けただけで詳しい事は分からねぇが、これがサイトーの目論見って事なのかね?
この軍勢、この先まともに動けんのか?
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