第85話 「母を超えるべし」新九郎はぼやいた
「――――而して敵勢数多討ち取り、名の有る首級は三十一、生け捕り六百余りに及びましてござります」
公事奉行の伊勢兵庫助が言上を終える。
伊勢の背後には、名の有る者共の首級が収められた首桶が整然と並べられていた。
「軍目付の役目、大儀であった」
「恐れ入りまする。されど、竹腰殿にはとても敵いませぬ」
「いや、慣れぬ役目にも拘わらず見事であった」
「有難き御言葉、感じ入りてござります。それではこちらを――――」
伊勢が首注文を差し出し、近習の春日源五郎の手を経て俺の元にもたらされた。
その場で広げて目を通す。
見覚えのある名があった。
アロイス・フォン・ブルームハルト――――。
あの痴れ者めは死んだか。
勢威を誇った者があっさりと死ぬ。
真にこの世は無常よな。
天道は驕奢なる振舞を見逃さぬらしい――――。
黙ったまま首注文を見つめていると、横で椅子に掛けていたミナが気にする素振りを見せた。
ヨハンやクリストフもだ。
「心配するな。其方らから聞かされた者の名は入っておらぬ」
「そうか……良かった……」
ミナは「ほう……」と溜息をついた。
ヨハンとクリストフは胸を撫で下ろし、一安心と言った様子。
此度の戦、心ならずも敵方へ参陣せざるを得なかった者がいるらしい。
辺境伯への出仕を願いながらもネッカーへ馳せ参じる前に戦となってしまい、敵方への参陣を強いられたのだと言う。
左様な者共の親類縁者から、早くも助命嘆願の書状が届き始めている。
中には寝返りを申し出る書状さえあった。
助命と知行安堵の確約が得られれば、一命を賭して参陣した者共を説き伏せるとな。
敵は内部から崩れかかっておる。
とは申せ我が方に三倍する軍勢だ。
滅多な真似は出来ぬと考えておったが、三倍の敵はたった二日で二倍に減ってしまった――――。
「母上め……。やってくれたな……」
「お方様より若へ御言伝が……」
「……申せ」
「『母を超えるべし』との仰せにござります」
「またぞろ容易く無き事を……」
頬杖を突くてぼやくと、集まった者共は然もありなんと苦笑した。
「二千の敵勢を撫で斬りとは、さすがはお方様にござります」
「然り。望むべくもない大勝利にて」
「娘御の大功にござる。佐藤様もさぞかしお喜びでござりましょう?」
「いやいや……。無事で帰っただけでも有難い事で……」
「親の心にござるなぁ」
「此度の一番手柄はお方様で決まりでござるな。二番手柄は……」
「望月信濃守殿では?」
「然り。飛騨路を駆け抜け戦を前に着到し、夜駆け朝駆けの御活躍じゃ」
「左馬助殿もうかうかしておられませんぞ? 家督を返せと申されかねん」
「肝が冷えますな。我が祖父だけにやりかねませぬ。精々大手柄を狙うとしましょうぞ」
「その意気でござる!」
「「「「わはははははは!」」」」
家老重臣の面々が大笑する。
もっとも、目はまったく笑っておらんがな。
まだまだ殺意横溢、戦意旺盛と言った所だ。
何かを感じ取ったのか、ミナ達異界の面々は共に笑いつつも口元が引き攣っておるわ。
「……勝って兜の緒を締めよ。お歴々は重々承知のご様子でござりますな?」
伊勢兵庫が頼もしそうに笑う面々を見つめる。
「北條殿の御遺言、話したのは其方と北條常陸であったな。忘れはせんぞ」
北條殿と申しても、先年病に倒れた氏直殿ではない。
曾祖父たる左京大夫氏綱殿だ。
左京大夫殿は死に際して五ヶ条の御遺言を嫡男・相模守氏康殿に残した。
その五ヶ条目に曰く――――、
手際なる合戦にて夥しき勝利を得て後、驕りの心出来し、敵を侮り、あるいは不行儀なる事、必ずある事也。
慎むべし慎むべし。
斯くの如く候いて滅亡の家、古より多し。
此の心万事にわたるぞ。
勝って兜の緒を締めよという事、忘れ給うべからず。
――――とな。
アロイスめの末路を見る時、より一層身に染みる御遺言である。
「良き教えよな。忘れるものかよ。まったく北條と申す家は習うところの多き家だ」
「有難く存じます……」
「それはそうと、斯くも仔細に渡る首注文、当家の者だけでは作れまい? 敵方の名の有る者から寝返りでも出たか?」
「いえ、寝返りではござりませぬ。お方様が心得良く、才覚にも申し分なき者をお見付けになり、我が方に降るよう説き伏せたのでござります――――」
伊勢が事の次第を説き起こした。
「か、金砕棒を担いで落人の追い討ちだと!?」
「はっ。我らも必死にお止めしましたが……」
「……よいよい。左様な母上を誰が止められようか」
いつの間にやら笑い声は収まり、一人残らず呆れるやら驚くやら……。
お? 佐藤の爺は恥ずかしそうに赤面しておるな。
得物を手にするならば、せめて鉄砲か槍にしてくれと言った所か。
金砕棒なぞ、むくつけき大男でもあるまいに。
まあ、母上らしいと言えばらしいがの。
「仔細は承知した。で? 当家に降った者の名は?」
「はっ。エトガル・ブルームハルトと名乗っております」
「エトガル!?」
「ほ、本当なのですか!?」
ヨハンとクリストフが転がるようにして伊勢の元に駆け寄る。
対する伊勢は二人の反応を予想していたのか、驚くことなく笑顔で頷いた。
「間違いござらぬかと。貴公らへの書状も預かっておりますぞ」
「書状!?」
伊勢から書状を受け取った二人は食い入るように読み進め、
「間違いない。エトガルの字に間違いありません!」
「良かった……。無事だったか……」
「エトガルなる者、お主らの縁者か?」
「ヨハンの従兄弟です。義兄上」
「従兄弟? ほう? 従兄弟そろって首実検か。お主らの一族、とことん首取りに縁有りと見える」
「ご、御勘弁ください……!」
ヨハンがブンブンと千切れそうなほどに首を横に振る一方、クリストフは「次は私が――」が言いかけて、ミナから「悪い事は言わないから止めておけ」と腕を掴まれていた。
「伊勢、重ねて大儀であった。其方は三野へ戻って――――」
「お待ち下さい。今一つ申し上げるべき事が」
「何? まだあるのか?」
「はっ! 丹波様から今後の行につきまして……」
「何ぃ? あの爺から?」
伊勢が新たな書状を取り出した。
気は進まないが読み進める。
はあ……。
謀を考えさせれば天下一だな、あの爺は。
俺は丹波の策に乗る事に決めた。
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