ある一騎士の敗走 帝国歴402年11月17日・未明
「馬鹿者っ! 動けっ! 動くんだっ! 互いに背中を守れっ! 孤立するなっ! 円陣を組むぞっ!」
気付いた時には兵を叱咤し、矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。
戦えなくなった兵の姿を目にして、咄嗟に言葉が出たのだ。
決して冷静だった訳ではない。
こんな所で死にたくないと、強烈に思いが込み上げたに過ぎない。
生き残りたい一心で出た指示だったのだ。
こんな指示でも部下達は動きを取り戻し、襲い来る敵兵に武器を向けて牽制し始めた。
立っているのは私を含めて十人もいない。
あっと言う間に小隊の戦力は半数以下に減ってしまった。
とは言え、部隊として統制を取り戻した我々を前に、敵兵も慎重な動きに転じた。
よくよく見てみれば、得物を手に暗闇から姿を現した敵兵は十人もいない。
数の上では必ずしも劣勢ではない――――。
「あっ! 火がっ!」
ティモが叫ぶ。。
敵と戦っている内に、村のあちこちでは火事が起こり始めていた。
「…………………」
敵の長らしい男が片手を挙げると、敵兵は静かに後退りし、闇の中へ消えて行った。
攻め寄せて来た時と同様に、一言も発さず、音も無く姿を消したのだ。
火事を合図に撤退する手筈だったのか、それとも態勢を立て直した我々を脅威と感じたのか、真意は分からない。
窮地を脱したのだろうか?
いや、甘い見方だ。
我が軍の陣営ではあちこちから火の手が上がり、味方の状況もよく分からないのだ。
絶体絶命の状況は変わらない。
小隊の戦力を把握するため、すぐさま傷を負った者達の具合を確認させたが……結果は惨憺たるものだった。
敵兵のカタナや槍は、兵達の喉元、脇、股と、防具の隙間から急所を的確に斬り裂き、あるいは一突きにしており、息のあった兵も、間もなく動かなくなった。
生き残ったのは、中途半端であっても回復魔法で応急措置されたバルトルト軍曹だけだった。
その後も敵軍の襲撃は続いた。
北で火の手が上がったかと思えば、南から剣戟の音が聞こえ、かと思えば東は急に静かになり、西からは断末魔と思われる叫び声が聞こえた。
我々は味方と連絡を取る事も出来ず、明かりを消し、物陰に身を潜めて息を殺し、敵軍に見付からないようにするだけで精一杯だった。
空が白み始めた頃、今度こそ、あの赤い鎧兜の軍勢が南から姿を現した。
南は私達が進軍して来た方向だ。
敵はいつの間にか我が軍の退路を断ち、背後から襲撃する準備を整えていたのだ。
いや、南だけではない。
間もなく、北、東、西から、あのテッポーの轟音が響いた。
我が軍はこの小さな村に閉じ込められてしまった。
嬲殺し……か…………。
イヤな言葉が頭に浮かぶ。
待て待て待てっ!
弱気になるなっ!
昨晩生き残ると決意したばかりじゃないか!
諦めるのはまだ早い!
残った十人で何としてもこの死地から脱出するのだ!
機会は必ずある!
思い定めた私は、血眼で敵軍の様子を観察した。
そうこうする内、あることに気が付いた。
敵軍は、思ったよりも数が少ない――――。
多く見積もっても五百程度に過ぎないだろう。
二千の我が軍を一挙に殲滅するには兵力が足りない。
混乱の渦中にある味方には難しかっただろうが、身を隠し、敵軍の観察に専念していた私は気付くことが出来た。
たった一つだけ見出せた、敵軍の弱点だった。
気付いた後は、霧が掛かった様に不確かだった敵軍の動きが、鮮明に見て取れるようになった。
敵軍は一気に襲い掛かる事はせず、小部隊が入れ替わり立ち代わり波状的に攻撃を仕掛けている。
我が軍は間断なく仕掛けられる攻撃を前に、防戦一方になっていた。
数に勝るはずの我が軍が取り囲まれている。
敵軍の意図は明らか。
最終的には我が軍を完全に包囲し、殲滅するつもりだろう。
私は敵軍の意図を部下達に説明し、全員で目を皿のようにして敵を観察し、隙が生まれる瞬間を待った。
やがて敵の部隊が入れ替わる瞬間が訪れた。
その間隙を縫うように、私達の脱出行は始まった。
時に草むらへ隠れ、時に川へ身を沈めて敵をやり過ごした。
昼頃、ようやく村を脱出する事に成功した。
背後では助けを求める味方の悲鳴が響いていたが、誰一人振り返る者はなかった。
夕刻が近付き、街道脇の森に隠れている時、気を失っていたバルトルト軍曹が目を覚ました。
「……小隊長、村を脱出……したん、ですね?」
「ああ。今は三つ目の村の近くだ」
「わ、私はもう、結構です。ずっと、運んで下さったんでしょう……?」
脱出の間、全員で交代しながら軍曹を運んでいた。
もちろん私も――――。
「私の血で、隊長の鎧や服も、汚してしまいました……。これ以上は――――」
「まったくだ。おかげで妻に当てた手紙にも血がベッタリだ。この始末は付けてもらうぞ?」
「し、しかし私は足手まといに……」
「お前もああなりたいか?」
軍曹を促し、街道の方へ目を向けさせた。
そこには惨殺された味方の兵士が身ぐるみを剥がれて打ち捨てられていた。
私達のように村を脱出したのだろうが、彼の運はこの場で尽き果てたのだ。
同じ運命を辿ったのは彼だけではない。
あんな死体が街道には何体も転がっている。
さしもの軍曹も息を飲んだ。
「いいか軍曹? あれをやったのはサイトーの兵じゃない。おそらくこの地の村人だ」
「む、村人?」
「私達も我が目を疑ったぞ? カタナや槍、弓やテッポーを見事に使いこなし、敗残兵を次々と襲っているんだ。最後は死体から身ぐるみを剥がしていく。地獄の獄吏もかくやという残虐ぶりだ」
「そんな……。敵兵だけじゃなく、村人まで……?」
「君がどんな運命を辿るか分かっているのに置いてはいけない。しばらく寝ていろ。日が暮れてから――――」
「まあ……。敵にも立派なお方がいるものね?」
「――――っ!」
背後から女の声がした。
息が止まる。
部下達は尻餅をついた。
恐る恐る背後を振り返ると、赤い鎧兜の敵兵が並んでいた。
背後だけではない。
次々と敵兵が現れ、四囲をすっかり囲まれてしまった。
どう見ても三、四十人はいる…………。
その中から、一人の若い女が進み出た。
例の赤い鎧を身に付け、頭には白いバンダナを巻き、厳つい突起が無数に付いた巨大な棒を片手で肩に担いでいる。
恐怖すべき姿のはずなのに、女の艶やかで長い黒髪と、凛々しく美しい顔立ちがあまりにも鮮烈で――――。
「……戦乙女……か?」
思わず、そんな言葉を口にしていた。
「いくさおとめ? 何の事でしょう? 貶している……って事でもなさそうね。褒め言葉なのかしら?」
女の声は柔らかで耳に心地よく、首を傾げる仕草は可愛らしさを感じずにはいられなかった。
凄惨な戦場で、場違いにも程がある感想を抱いた。
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