第百十八話「ごめんなさい……ごめんなさい!」
イルカが俺の横にまで近づいてこっそり耳打ちしてくる。
「ローザお姉さまは、クルスお兄さまの婚約者です」
「やっぱり」
アヤメはかつて悪役令嬢としてウキョウから追放された。
それはクルス兄さんに愛する女性ができたことで産まれた嫉妬心からだ。
ローザを殺そうとして失敗したのが、アヤメが奴隷に落ちるきっかけ。
俺はその場に居合わせていないから、あくまで聞いた話でしかないが。
「アヤメ……」
「…………」
アヤメはローザに挨拶されてから、蛇に睨まれたように動けなくなった。
ローザはそんなつもりもなく、アヤメの第一声を待っていた。
俺はここじゃ部外者だが、アヤメの手がずっと俺を離さなかった。
「……」
俺はアヤメが逃げないように、ローザに待ってもらうようにここにいた。
強く、彼女がここにいることをわからせるために手を握る。
ローザは動かないアヤメに首をかしげる。
「アヤメ?」
「ごめんなさい……ごめんなさい!」
アヤメはようやく口を開いて、頭を下げた。
俺も一緒になって下げてしまう。
「私は……あなたの事が嫌いでした。だからやってはいけないことをしてしまった。何度謝ったところで許されることじゃありません。今でも後悔しています。なんて馬鹿なことをしたのかと」
アヤメの絞るような声が、震える声が届く。
イチやニィとサンも一緒になって頭を下げてしまう。
ずるいかもしれない。
でもここは全員がアヤメを守りたかった。
身勝手な思いだ。
「アヤメ。こっちみて」
ローザの落ち着いた声がする。
アヤメがゆっくりと顔をあげてローザを見ると、
「とりあえずっ!」
ローザがぐーで思いっきりアヤメを殴った。
もう遠慮もない顔面パンチだ。
俺は倒れそうになるアヤメに繋いだ手を引っ張られる。
「ふぅ、私もかなーり苦しかったんだけど。毒なんか盛るなんて友達としてどうかとも思うし、ほんと苦しかったからね!」
「……」
「でもまあ、死ななかったし、苦しかったけどしぶとく生き残ったし。とりあえずはこれで……うん、全然すっきりしない!」
ローザは拳をわなわなさせて、ため息をつく。
「学校で私の事よってたかっていじわるするし、なんなら何度も私の事殺しかけたよね。ほんと、そういうの全部覚えてるんだから」
「…………」
「でもね、学校で私に最初に話しかけてくれたのも、覚えてるんだよ」
ローザはアヤメの胸ぐらをつかんで彼女を立たせる。
埃を払って、満足そうにアヤメを見て腕を組んだ。
「だからとりあえずはこれでいいや。もうあんなことしちゃ嫌だからね」
「……はい。ごめんなさい……ありがとうございます」
「泣きたいのはこっちなんだけどー」
アヤメが弱々しく涙を流す。その姿は歳相応の少女だった。
ローザは俺を見たあと、奴隷の子供三人を見回す。
「イチもニィもサンもいい子で、この子たちを悲しむのも嫌だし、アヤメのご主人様だってアヤメの事ずっと離さないし、人を見る目だけはほんとにあるよね。ずるいよねー」
「あの……」
「あなたがご主人様のユイでしょ。お姉様とお呼びなさい」
ローザは思っていたよりも愉快な性格をしているらしい。
恨みつらみは完全に解消できないが、手打ちにしてくれる器の広さもある。
アヤメはそこでようやく表情がゆるみ、力が抜けてしまったようだ。
「えっと、ローザお姉様はアヤメのためにここに?」
「文句の一つくらい言っておかないと気が済まないからね。幸せそうで思ってたよりイライラしたけど」
ローザは悪戯っぽく笑う。
イルカはわだかまりの解けた二人の間に入ってくる。
「ローザお姉さんは僕が呼びました。会わせるべきか悩みましたが、あのままうやむやにするのも違うと思って」
「それでいいよ。イルカもありがとう。少なくともアヤメは救われたみたいだし」
「私もまぁ、来てよかったかな」
イルカもローザも、真っ直ぐなタイプで助かった。
イチたち三人が無理して付いて来たのもなんとなくわかった。
アヤメを守ろうとしてくれたんだ。
俺がふと安心したところで、風が吹いた。
「あっ!」
「アヤメ、そんなとこでへたってる場合じゃないでしょ! まだ働け働けー!」
安全地帯ではあるものの、ここは生死をかけた戦場なのだ。
俺が振り返ればまだマムートは健在で、兵たちは疲弊している。
「観光気分で来てみたら命の危険どこか国の危機に巻き込まれたんだから。アヤメはそっちの責任も取りなさい!」
「はい……はいっ!」
アヤメが立ち上がる。
赤木の弓と宝剣マラクを握りしめ、俺の奴隷が元に戻った。
いや、自分の罪と顔を合わせてより大きくなっている。
「ご主人様!」
「はい!」
「何か考えついたのでしょう? 私たちでみんな助けましょう!」
アヤメの凛々しい顔が今はまぶしい。
俺はそこでようやく彼女の手を放す。
隣を歩いていても、もう大丈夫だった。
「これからマーチャンを取り戻す。それでようやく俺たちは完璧だ」
「主様!」
「皆協力してくれ! ここにいる誰が欠けたって俺のやりたいことには足りないんだ。俺にできることは少ないから、皆がここにいるんだ」
「マーチャンもその一つですよね、ご主人様」
俺は力強くうなずいてマムートの円盤を睨みつける。
マーチャンの命が隷属契約を結んで伝わってきていた。