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異世界物と世相の俯瞰視点からの一考察

作者: 板久咲絢芽

エッセイってこんなんでいいのか? 初めて書くから不安なんだぞー。

小難しい話をライトな風に書いたのが好きな人向けではある。

※仲間内でぺーって喋ってた時に、そういうことかあ、したのを肉付けしただけ。

テスト的に投稿した小説一個しかないし、皆様方、ほぼ初めましてでございましょう、はじめまして。

某カいたりヨんだりする場所を中心に書いてたら、気付いたら小説でない文学研究系の怪文書とかも趣味で書くようになってたなろう初心者です。


最初は「若者の流行はやりとか、何考えてるかってわかんねー」って話から始まったのですよ。

理解できないって意味ではなく、純粋に「情報集めきることできんわ、追いつかん」って意味で。

私自身は結局趣味人なので「市場の流行はやり? うるせー! 知らねー! 自分が書いてて楽しいが大事!」ってできるんだけどね。


まあ、追いつかんというのはそう。

現代の流行はやりは割りとインスタント&ラジカル&アバンダント。

流行はやりからすたりまでの流れの速度が急流に過ぎるし、コンテンツも多岐に渡り豊富。

かつてが大河だったのが、大雨後の日本の河川と化してきている、みたいな(世界的に見て日本の河川は急流が多いです)


さて、ここで言う「現代における物語」というのは文字や絵という印刷物として絶対的固定の限定的量及び観点の存在で、実際の世界から切り取られた世界である。



Q.何を言ってるの?

A.物語はわかりやすく言えば写真と同じで、それそのものの枠の中は常に固定された世界であり、実際の現実と比較して、媒体や表現方法による制約のもと限定的な情報となる。


……という話。

だから、今現在の現代の世界を表現するのに絶望的に向かない。

流動・加速は固着・固定の対義に当たりうるから。



新しい流行を目まぐるしく取り入れる現在を元に、今書き散らした「現在を写し取った作品」のいう「現在」が、現実の「現在」としていつまで保証されるか。

深掘り・研究期間まで含めて考えれば、下手すりゃ日単位でしか保証されないまであり得る。


ハイコスト・ハイリスク・ローリターン。

トータル労力に対して、リターンが少ない上に、「現在」という像の共通観念としてどこまで通用するか、賞味期限は基本短い。


そうなると、固定化のために「ズラした世界」にするか、「完全に分離した世界」にする、それも共通観念として広まってれば広まってるほど、ローコストのローリスク。

まあ、それが今現在「異世界物」が多く産み出されてる理由だと思うというところなんだけど。



ああ、間違っても私はローコスト、ローリスクの選択を批判するつもりはないので、それだけははっきりさせとく。

だってそこはそれ、完全に個人の中の天秤と定規によって決まる話だし、テンプレというのはうまく使ってなんぼというのは昔話やら伝説やら神話やらが証明しとるし、「世界」に「趣向」をどれだけかせられるかって話だし……なお、今の「世界」と「趣向」は歌舞伎用語のやつです。


しなくてもいい苦労を尊んで、ラクするのを非難するのは間違いであるというのは、家事系の話からはじまって昨今メインの価値観であるし、それをこと物語作成において適用しないことを他者に強要する、というのは周到な論理を用意しておくべきだと思うよ。つまりその義務を課すならせいぜい自分だけに留めるべき。内心「そうかそうか、きみはそういうやつなんだな」するかしないかも、最早感想なだけなので人の勝手で、表に出すかは自己責任。

というか、リスクだけで言うなら、どれだけのリスクを許容するかって話で、ローコストでローリスクできるならリスクマネジメント的には問題なしな選択。


あと、似た作品の乱立とか内容の過激化という点は、日本文学史上はすでに江戸の黄表紙文化で通ってきた道だし、文学研究の視点としては今更なあ、という感を私はいだく(江戸期大衆文学系はほぼ副専攻レベルでとってたので)

ここに敵討かたきうち物がやたら作られて描写が過激化してった時代があるじゃろ、あるんじゃ(なお過激化により幕府に「めっ」された)

そしてそこから世相も混ぜ混ぜして色々考えるのも文学研究の一環なので、かたよりがあるのは後の世の研究者的には助かろう。

作家論的視点は知識の集中や表現における偏向とブツとして残った存在の多寡の如何が必要……日本文学史的にはやろうと思えば物語は近世、和歌系に関して言えば万葉集で上代からはできるので、流石さすがその点は日本、引くほど物持ちが良い。



話を戻して。

現在の異世界物の多くは、ターゲッティングする側としては十代後半とかが想定かな。

なお、あくまでターゲットを置く場所の想定なので、実情は問わない。

というか年齢が低い人間ほど飽きさせずに楽しませるのが難しいものもない以上、子供が楽しめるものは大人も一定レベルは楽しめるはずなんですよ。はなから批判のつもりで受容しない限り(お正月にやってたプリキュア映画に普通に見入ってしまった三十云歳児の言)

まあ、とまれ、十代後半〜の少年少女を主人公という媒介にして、読者を引き込むとして、その内のどれほどの層が納得するだけのリアリティを乗せられるか。


早い話、価値観の変遷の加速とか、少子化による世代間の隔絶とか、多様化による細分化の弊害とかも加味して、誰しもが共感し、リアリティを感じる現実の再構築というのはどだい無理である上に、先述のそもそも物語自体が流れの速い現在を切り取り、その意義を持ち続けることが困難な=賞味期限が短い以上、ハードルの高さがやばい。

むしろ棒高跳びでは?



で、それに対してテンプレな「異世界物」がローコスト、ローリスクなのは、すでに共感観念として出来上がってるから。

マジマジのマジの祖先までたどるなら、このテンプレな「異世界物」の水源はそれこそトールキンとかそのあたりからはじまって、国籍問わず他多くの作品(小説のみならずマンガ・ゲーム含む)で繰り返し、取り出され使われ、また新たに創造されて繰り返し使われた部品というのが強固に組み合わさった歴戦の共通観念。

すでに下地として十分に出来上がった共通観念の世界の中で、多くの人間が最低限の枠組みを理解できるだけの要素を頭の中に持っている。



まして割りと簡潔な描写が好まれる昨今。

それを根底にどこに描写の重きを置いて、どこを削減するかと考えると……やっぱ共通観念の利用ってローコスト、ローリスクなのよね。

若干の齟齬そごがありはすれど、要は共通観念なので、思い浮かべた時に個々人の間でもある程度似たようなものになるということは、ある程度の受容が保証された安全な「読者の想像にお任せします」になるから。


ちなみに、私は軽やかに流れるようなやつなら回りくどめの描写好き(読むのも書くのも)だけど、最近なかなか見つからなくてしょんもりするというのは余談中の余談。



まあ、この共通観念もいつまで流行はやるか、と言いつつ、逆に現実が多様化・細分化されて全体の持つ「現在の現実世界」への共通観念の共通感が薄れてる以上、そこから完全分離した「異世界」という共通観念の利用頻度が減る事はないんじゃなかろうか。


同時に、そうした「異世界」でいわゆる「ざまぁ」が流行はやるのも物語の型から見てくと、やっぱりローリスク、ローコストのそこそこのリターンであるので、安全な選択肢。



だって「ざまぁ」の始源は「勧善懲悪」と「報仇」で、場合によっては「継子ままこ成功」だったり「末子まっし成功」の要素もあるし、「追放物」や「成り上がり」は「貴種流離(因果の逆転含む)」だし、そこで主人公が親切にしてあげた第三者からの力を借りるのは第三者からの「報恩」、ましてこの第三者が実はどえらい人だったり、超自然的存在だったりは昔話でも伝説でもよくある。


空海さんの伝説一帯を見てみろ。

水が貴重な土地で旅の僧に水の一杯のもてなしをしたらそれが空海さんで、水の礼に杖を突き立てたところから清水が湧き出たなんて話のいくつあることか、逆にぞんざいに扱ったからばち当てられたって話のいくつあることか!

西洋にいくとこれが聖ペテロだったり、神様だったり、さまよえるユダヤ人だったりするんじゃあ!

グリム童話の「森の中の三人の小人」とか「ホレおばさん」だって超自然的存在からの報恩で成功してるよお!


ってぐらい、物語の型としてよくあるものということは、当然のように受け入れられやすい、物語として我々自身(ここで言う我々自身=一般的な人間)が納得しやすいわけです。

リアルじゃなくてリアリティを追及しろ、はつまり読者を納得させろ、ということなのでそこが自然とクリアできる。



強い。やはり物語の型というのは強い。

だからこそ原型ほどシンプルなんだけど。

だからこそいろんな味付けが生きるんだけどー!

特に報恩/報仇は文化人類学でいうとこの、互恵性・互酬性に端を発してるだろうから納得感まじ半端ない、えげつない、やばい。



長々と書いたけど、


Q.つまり何が言いたいの?

A.流動的様相かつ多様化が加速してる現代という世界と物語という世界の属性は間逆だからこそ、そこから完全分離したテンプレ異世界物が輝くんじゃないかな、たぶん! 知らんけど。

そして対応の最適化の手段として、それは間違いではないし、世界観テンプレに物語テンプレ組み合わせてうまい具合に味付けしたら、そりゃ安定のおいしさに決まってるんだよ。


……という話。



以上、某大学日文科卒からもう少しで二桁年になるのに文学研究(中世説話専攻)のクセが抜けねえ社畜の戯言でした!

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― 新着の感想 ―
[一言] ここで言う異世界モノというのは異世界転移・転生でいいのかな? 後は主人公の価値観に現代の価値観を適用出来るのも大きいと思う それに主人公は異世界のこと知らないから説明もやりやすいし やっぱ…
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