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「はい、いらっしゃい」
笑顔満面、前掛姿で出迎えた
女性店主が二人を食卓席へと案内する
席に着く也、ついと白狐が見上げる頭上
解放感ある高天井に扇風機照明が緩緩、回る
海岸に面した小ぢんまりだが目を引く、ログハウス喫茶店
此の、ログハウス喫茶店の女性店主である「はつね」は
二人が越して来た海に臨む、国道沿い
二階建ての賃貸集合住宅の御隣りさんでもある
「何、食べる?」
御冷と品書を差し出すはつねが
嗄声の弾む様な心地良い声で訊ねる
微かに息を呑む、すずめの傍らで
白狐も眼の前の似寄る「珠」に翡翠色の目を伏せる
然うして品書を見遣るも文字等、頭に入って来ない
胡桃色の長目の髪を丁寧に編み込んだ
胡桃色の目を細めて笑う、はつねは似ている
抜け澄んだ曇りのない瞳は以前、失ってしまった「モノ」と似ている
想えば想う程、会えないのに
想えば想う程、会わずにはいられない
其れが最良な事なのか
其れが最悪な事なのか分からないが生憎、止める気はない
すずめの「人生」に於いて
自分の存在は道端の小石に過ぎない
道の先に
道の後に転がっている小石に過ぎない
口出し等、言語道断
不図、見遣る品書が
眼の前から移動するのに気が付いて白狐が顔を上げる
然うして意味ありげに含み笑いをする、はつねの目と眼が搗ち合う
「何時もの?」
引っ越しの挨拶に行った際
引っ越しの粗品の御返しに
「御店の残りだけど馬路、自信作」
と、稲荷寿司を御馳走になった結果
以来、白狐は其の「自信作」の虜だ
当然、頷く白狐に「了解」と返事をするはつねが
すずめに向き直るも彼女の、自分を見詰める目が潤んでいた
「え、っと、すずめは?」
其れでも努めて微笑むはつねに名前を呼ばれた瞬間、溢れた
「?!すずめ?!」
周章てるはつねに
是又、周章てるすずめが矗と立ち上がる
「!御免なさい、私、御手洗!」
すずめの背中を追い掛けようとも
肝心(?)の白狐が全く動じないのではつねも仕方なく踏み止まる
到頭、今日は耐え切れなかった様子だ
心中、独り言ちる白狐を余所に
はつねは今一、二人の(微妙な)関係を把握出来ずにいた
明白に「兄妹」ではない
とは言え不明だが「恋人」でもない気がする
興味半分、勘繰る自分を恥じつつも
御節介な性分故、放って置けない気持ちもあった
此の二人の「糸」は
今は(?)「赤」ではないが別の「色」で結ばれているのだろう
木製片開き扉の奥
不断に木材を使用した喫茶店とは違い
白を基調にしたPタイルの洗面室、スクエア洗面 器に突っ伏する
水栓 取手を上げた瞬間、掬う流水で顔を拭う
「はつね」は似ていない
「歳」も違う
「顔」も違う
「声」も違う
「何」もかも違う
然う思えば思う程、「はつね」は似ている
水栓 取手を下げる
拭っても拭っても滴る水滴に嗚咽が零れる
如何にも涙が止まらない
何も変わらない
何も変わらない
其れでも失ってしまった「モノ」が此処にはあった
到頭、足元に頽れるすずめは
失ってしまった、其の名前を口にした
「ちどり」
夕刻の食事時だが
ログハウス喫茶店には二人の他、客はいない
抑、夏場以外は
地元客相手に細細と営業している商売だ
店主のはつねは然程、気にする風もなく
此れ幸いとすずめの席である椅子に腰掛ける也、口を開く
「みやちゃん」
其の如何にも「弟」風情を呼ぶ「ちゃん」付けに
毎度の事ながら白狐は背筋がむず痒くなる
当のはつねははつねで説教めいた事を吐くつもりはないが
何を如何言えば良いのか、考え倦ねていた
若過ぎる二人に何を如何言っても多分、御気に召さないだろう
其れが「青」だ
其れが「春」だ
束の間、若気の至りが過ぎた自身の「青春」を振り返り
余りにも目の前の二人の「青春」が陽気に見えない事に胸が痛んだ
其れでも二人が声を揃えて「幸せだ」と、言い切るなら何も言わない
言わないが、せめて此れだけは言わせてもらおう
「競馬もね良いけどね」
「真面目に働く姿、すずめに見せるのも良いと思うよ」
はつねの言葉に伊達眼鏡越し
翡翠色の眼を向ける白狐も充分、理解している
自分にとって「金」は存在しない
自分同様、すずめにとっても「金」は存在しない
童話の如く枯れ葉を「金」に変える事は出来ないが
此の世の情報を操作する事は造作ない
其れでも貯金通帳とやらを片手に
「御金は払う」と、宣ったのはすずめだ
「御金は稼ぐ」と、宣ったのもすずめだ
「俺が働く」
「そんな事、出来ない」
「出来る(!)」
「出来ない」を言葉通りに捉えた結果
若干、語気を強めたが倍の強さで言い返された
「!みや狐を働かせるなんて出来ない!」
「!神様なんだよ!」
「!神様なんだよ、みや狐は!」
『此れが「神」か』
『所詮、獣から成り上がった「神」だ』
糞の役にも立たぬ「神(俺)」だが御前に要らぬ苦労をさせる気はない
「分かった、俺も働かないが御前も働かない」
だが、其れでは遅かれ早かれ「金」が尽きる
然う言いたげなすずめの眼差しを受けて、彼女が握り締める預金通帳を指差す
「働かないが御前の其の金、俺に預けてくれないか?」
一も二もなく頷くすずめから受け取る
其の「金」を元手に賭博に手を出した次第だ
「神狐」が賭事とは
長老 狐共に知れたら発狂ものだと思うが背に腹は代えられぬ(笑)
毎夜、「獣」姿とはいえ
すずめを抱えて横になる「獣」が考えて考えた結果が此れだ
其れを此方の事情を知らぬはつねに
如何やって伝えれば良いものか、今度は白狐が考え倦ねる
暫しの沈黙
御節介な上、急勝なはつねは白旗を振る
点頭しながら椅子から立ち上がるも是又、性分なのか
出来の悪い「弟」擬き程、可愛い
自信作の稲荷寿司にしても此のログハウス喫茶店には合わず
売れ行きは今一つで品書から消えたが
今は唯、此の「弟」擬きの為だけに作っている日日だ
つい其の短髪の黒髪を撫で回した結果、白狐が唇を尖らす
「はつね、俺は餓鬼じゃない」
「はいはい、めんごめんご」
昭和の死語で謝罪するはつねは見た目以上に
歳を食っているのかも知れないが白狐を「子ども扱い」するには無理がある
無理があるが白狐は満更でもなかった
徐に伊達眼鏡を正す白狐の背後
不図、気が付いて振り返れば赤い目をしたすずめが立っていた
「大丈夫か?」
大丈夫ではない事 位、見れば分かる
其れでも然う訊ねる白狐の頭頂部目掛けてすずめが手を伸ばす
「御前は認めん(!)」と、手を取る白狐が顎で「座れ」と促す
然うして大人しく従うすずめを半眼で見遣る
其れでなくとも御前
寝床で俺の毛を区区、毟っているのに気付いているからな
其れで眠りに就くのならば毟ればいい
其れでも眠りに就けないのならば幾らでも毟ればいい
然うして歩いて行くしかないのだろう
望もうが
望むまいが
稲妻形な道を「俺」と歩いて行くしかないのだろう
「大丈夫か?」
もう一度、訊ねる白狐にすずめは項垂れる
其れは頷いたのか何なのか、如何でも良い事だ
どうせ御前の心中は自分には筒抜けだ