忙しい一日
吐き気をなんとか飲み下し、ボーっとしている頭を働かせる。本当に砦内に内通者がいるのだろうか。アレクの主張には一理ある。しかし、俺が副長官としてここに着任して以降、新たな隊員が異動して来たことはない。つまり、内通者はかなり前からこの砦内にいたことになる。
ならば、なぜこのタイミングで仕掛けてきたのか。一つの仮説としては、敵が年末に宴を実施するのを知っていて、大勢の隊員に毒物を仕込めると考えたから、というものが挙げられる。これはなかなか説得的な気がする。
でも正直なことを言えば、この砦に裏切者がいるなんて信じられないし、信じたくない。被害の原因がわかっているのだから、これ以上被害が広まることはないだろうし、内通者の存在を検討するのは、今日の調査報告が上がってくるのを待っても遅くないのではないだろうか。
「アレク、このことは他の誰かに話したか?」
「え、いや、お二人にしか話していません」
「じゃあ、そのまま黙っておいてくれ。これはまだ他の隊員には内密にしておく」
「そんな!早く内通者を炙り出さないと!」
アレクは俺がすぐに動くと思っていたのだろう。信じられないと言わんばかりに目を見開き、激しく抗議してくる。
「いや、今日の調査報告を待っても遅くはない」
「わかりました……」
不服そうな言い方だったが、アレクはすぐに折れた。ただの隊員、すなわち一般軍人でしかないアレクが、士官である俺に逆らえる道理はなかった。
俺が正しいと言うつもりはない。むしろ軍人としては、俺の方が間違っている気さえする。少なくとも、個人的心情を理由にして部下の進言を受け入れないのは、上司としては確実に間違っているしな。
「あともう一つ、言いたいことがあるんですけど」
「え、何?」
てっきり用は済んだと思っていたんだが、これ以上まだ何かあるのか。もう心と身体が持たないって。
「あの魔法陣兵器は、いつ配備するんですか?」
「あ、忘れてた」
無言の時間。アレクの目は点のようになっている。もしかすると、俺もそんな顔をしているのかもしれない。
「えーっと、アネモネと相談しておくよ。思い出させてくれてありがとう」
「あの、予定にはなかったんですけど、もう一ついいですか?」
そう言って、アレクは居住まいを正した。おいおい、まだあるのかよ。いったいどんな問題が――
「副長官って、やっぱりポンコツですよね。――では、失礼します」
俺の答えも聞かずに、アレクとフェイロンは出て行った。その代わり、さっき追いやったはずの吐き気が戻ってきた。
その後は、冷えてカッチカチになった昨日の残りの肉串をゆっくりと噛んで時間を潰した。もともとそこまで上等な肉ではないため、凄まじい噛み応えだった。我ながら最低な時間の使い方だ。
そろそろ顎が痛くなってきたころ、再び扉が叩かれた。本日二番目の来客である。
「アネモネ・ネモフィラティカです。ご報告申し上げたいことがあります」
アネモネだ。太陽が真南を過ぎ去って久しいし、大方今日の調査報告だろうな。嫌だなあ、怖いなあ。
「どうぞ」
入ってこないでとも言えないので、アネモネを部屋に招き入れる。断れればどれほどよかったことか。
「失礼します」
流麗な所作で入室するアネモネ。入室の所作を競う大会があれば、我が国広しといえど、アネモネの右に出るものはそうはいないだろう。まあ、そんな大会ないけど。
「調査の報告?」
「はい。いい報告と悪い報告があります」
出た。どっちから聞きたいですか?ってやつだ。悪い報告の後には、いい報告のよさを感じ取れないくらい打ちのめされることもあるから、俺はいい報告から聞きたい。
「ではまず、悪い報告から」
「え?」
「何でしょう?」
「あ、いや。何でもない。続けて」
こういうパターンで選択肢が与えられないのは初めてだったから焦った。もしかして、新鮮な体験をさせることによって俺をドキドキさせようとしてる?で、そのドキドキを恋のドキドキと勘違いさせようとしてる?
と、そんな訳もなく、アネモネは事務的に報告を始めた。宣言通り、悪い方の報告だ。
「《悪魔の塩》と動物の斬殺体事件には、繋がりがあります」
何かしら繋がりがあるかもしれないと思ってはいたが、こうも早く繋がりがあることが判明するとは。
しかし、それが悪い報告には思えない。調査に進展があったのだから、一般的な報告な気がする。
「それが悪い報告か?」
「いえ、ここからです」
聞かなきゃよかった。そりゃ、この程度では悪い報告ではないよな。
「ある犯罪組織の関与していることが濃厚となりました」
「なにそれ」
犯罪組織。そんなものがあったのか。まったく心当たりはない。
「『黒の刃』という我が国以東で活動する犯罪組織です。拠点はソルティシア。《悪魔の塩》の採取地と一致します」
「よくそんなのわかったな」
素直な驚きが口をつく。『黒の刃』なんて組織の名前は聞いたことがない。我が国の外で活動している組織を一日で特定するとは、隊員たちは優秀だ。俺にはもったいない。
「砦の警備をほとんど魔術師隊に一任し、人海戦術で調査しましたからね」
慎重派のアネモネがそんな大胆な作戦を取るとは思っていなかったので、そこにも驚いた。
「そして、その『黒の刃』が厄介なんだな?」
一向に悪いニュースが聞こえてこないので、柄にもなく俺の方からそれを求めてしまう。
「おっしゃる通りです。噂では、そのボスが《人斬り》の使い手だと」
「《人斬り》、か」
俺は即座に二の句を継ぐことはできなかった。数多あるアーティファクトの中でも、別格の危険性を持つものだ。もしそれが本当だとすると、確かにこれは悪い報告だ。
「さあ、気を取り直して、いい報告といきましょうか」
俺が黙ってしまったせいで、アネモネに気を遣わせてしまったらしい。いい報告の方へと話の舵が切られたため、俺はひとまず頭の中から《人斬り》を追い出さざるを得なかった。
「いい報告ですが、隊員の中に内通者はいないでしょう」
少し鼻を高くした様子で、アネモネは報告した。一日のうちに内通者がいると言われたり、いないと言われたり、忙しい一日だ。いや、実際には肉を噛んでいただけで、忙しくはなかったけど。
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