思考の冴える夜
「そ、そんなことあり得ませんよ!このソーン砦が築かれて以来、他国からの攻撃なんて一度もなかったんですから!」
アルバートは立ち上がって反論した。立ち上がるときにテーブルにぶつけた膝を何度かさすると、アルバートは続けた。
「アンデッド侵攻のとき、副長官もおっしゃっていましたよね?我が国に攻め入ろうなどというバカはこの世界に一つもないと」
突然話を振られた俺はギクリとしてしまう。たしかに言った覚えがある。アンデッド侵攻は他国の侵略ではないかというアネモネの指摘に対し、隊員たちを勇気づける目的で言ったのだ。
「たしかに言ったな」
アルバートの他にも俺の発言を記憶している者はいるだろうし、安易に嘘を吐くはできなかった。
「ほら、副長官もこうおっしゃっています。あり得ませんよ。バカバカしい話だ」
そう言い放ってアルバートは着席すると、腕を組んで抗議の意を示した。それを見て、フェイロンは薄く笑う。
「俺はエルのためを思って言っただけだ。この国がどうなろうと俺には関係ない。好きにしてくれ」
席を立つフェイロン。俺の後ろを通過し、会議室を出て行こうとしている。ここで行かせていいのだろうか。フェイロンが考えすぎているだけなのだろうか。いや、待て。考え過ぎだろうとなんだろうと、その《悪魔の塩》とやらについてもう少し詳しく聞かなければならないだろう。すなわち、ここでフェイロンを行かせてはならない。
「待ってくれ。まだ聞きたい話がある」
俺が言うと、もうすでに一歩か二歩外へ踏み出していたフェイロンは、俺の言葉を予期していたかのようにピタリと止まった。そして、こちらに背を向けたまま言った。
「虫のいい話だと思わないか?」
「思う。だから、部下の態度は謝る。その上で言うが、教えてくれないか?」
「ふん、図々しいやつだ」
振り返ったフェイロンの顔は、月明りで逆光となり、よく見えなかった。
その後、フェイロンから聞いた話は想像を絶するものだった。最初は不満げだったアルバートも、次第にフェイロンの話に聞き入るようになっていた。
教えてくれたのは、《悪魔の塩》という豆のような植物が含む毒の性質について。初回の摂取では、摂取量にもよるらしいが、一日程度の昏睡状態になるらしい。調理担当質が呈している症状そのままだ。アルバートによると、確かにティラの町の住民たちも、最初の症状は意識不明の状態だったらしい。この話は、アルバートたちの報告に信憑性を持たせることになった。
その後の症状としては、風邪のようなものが続くのだが、時間が経つにつれてそれが悪化していく。放置していると、そのまま命を落とすことになるらしい。恐ろしい話だ。住民たちの体調不良も主に咳や熱を始めとする症状が大半であるため、残念ながら、彼らも《悪魔の塩》に侵されていることはほぼ間違いなくなった。
これで終わってくれるなら対症療法で何とかなりそうなものだが、もちろんこれでは終わらない。その症状を緩和させるには、《悪魔の塩》を摂取しなければならないのだ。すると、嘘のように症状が治まるという。このことがフェイロンの口から飛び出したときには、会議室はどよめいた。
「毒なのに、治療薬になるのですか?」
どよめく隊員たちを代表するように、アネモネがフェイロンに聞いた。
「治療薬、か。それは違うな。さっきから話しているように《悪魔の塩》には毒がある。摂取すれば一時的に症状が治まるとはいえ、その後はまた症状が出るだけだ」
「そんな、では……」
「そう。症状は無限に循環する。いや、無限というのは正確ではないな。正確には、死ぬまで循環する」
もう会議室にどよめきはなく、音の一切が失われていた。誰もが呼吸すら忘れているようだった。
「どうだ?まだ話を聞く気力は残っているか?」
フェイロンは涼しげに言った。自分で沈黙を作って、それを自分で破るのが好きなのだろうか。まあ、空気を読まないタチであるがゆえに、そういう機会が多くなるだけなんだろうけど。
「聞かせてください。聞かなきゃいけないんです。これが侵略かどうかに関わらず、これ以上被害を広めないためにも、フェイロンさんのお話は貴重ですから」
フェイロンの問いに答えたのは、意外や意外、アルバートだった。使命感によって衝き動かされ、この陰鬱な話に食らいつこうとしている。
「頭は弱いが、骨はあるみたいだな。いいだろう、これから最悪の事実を教えてやる」
心臓の律動は、これ以上ないほど速まっていた。これ以上聞きたくはないが、もうフェイロンは止まらないだろう。もしかすると、フェイロン自身も話したいのかもしれないと感じた。
「解毒方法がないんだ」
何の情緒もなく、無味乾燥な言い方だった。
「そんな!?」
真っ先に反応したのはアルバートだった。フェイロンに飛びかかる勢いである。彼は感情的になりやすいんだろう。一方、他の面々は顔面蒼白といった様子で、怒鳴る気力もないのだと思われた。
「わ、わかったぞ。お前がその《悪魔の塩》とかいうふざけた名前の毒を町にばらまき、料理に入れたんだな。お前が侵略者なんだ!」
アルバートは無理筋な話を続ける。感情的というよりは、もう錯乱状態に近い。あまりの錯乱ぶりに、俺なんかは逆に冷静になってしまう。フェイロンの言葉を静かに受け入れることができた。
「ふっ、部下の教育がなってないみたいだな」
アルバートを一瞥してから、俺に嫌味を言うフェイロン。しかし、さっきのように部屋を出て行こうとはしない。
「勝手にそう思うのは自由だ。別にやめろとも言わん。エルやアレクといった知り合いが《悪魔の塩》の毒牙にかかるのは不憫だから、口を出してしまっただけだ。――さて、あとは何の話をすればいいかな?」
「今のところはそれで十分だ」
もう隊員たちが持たなそうだし、聞きたいことは聞けたため、話を切り上げることにした。
「そうか。では、俺の寝床を用意してくれるか?」
「あ、ああ。こっちだ」
アネモネが案内しようと席を立ちあがるが、手で制す。
「この場を任せたい」
「承知しました」
色白な肌をさらに白くさせたアネモネは、俺の指示に短くそう答えた。
「フェイロン、こっちだ」
フェイロンを連れて、仮眠室へ赴く。決して上等な寝床ではないが、今日は我慢してもらいたい。
その間、俺たちは終始無言だった。だから、妙に思考が冴えてしまった。なぜ、こうも俺は落ち着いていられるのか。アルバートのように声を荒らげたり、アネモネのように血色を失ったりするのが普通の反応ではないのか。
フェイロンはこの国に思い入れがなく、俺が被害に遭うのが不憫だと言った。これは俺が冷静でいられる理由そのものなんじゃないだろうか。すなわち、俺はこの国に思い入れがないから冷静でいられるし、俺自身が無事だから冷静でいられるというわけだ。
もう夜も更けてきたが、思考はより鮮明になるばかりだった。
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