第242話 後輩とターニャ
「……何を言っているんですか、センパイ?」
彼女は、振り返ろうとせずに、背中を向けて語る。あえて、こちらに顔を向けなかった。本当に悲しい時は、彼女は自分の本心を悟られないようにするための癖だ。
奏は、優秀な後輩だった。優秀過ぎた故に、彼女は苦しんだ。皆、奏の能力が怖かったんだ。だから、あんな陰湿なことをされて……
彼女は優秀だったから、誰にも頼ることができなかった。恋人だった俺にも……
同じことをやろうとしている後輩を俺はもう手放すつもりはなかった。
「ターニャは、奏なんだろう? お前は、奏の姿で、俺に別れを告げようとしている。そうじゃないか?」
「いつから気づいていたんですか?」
彼女は自白する。
「そうだったらいいなって思っていた。でも、俺の願望じゃないかってずっと思ってたよ。ターニャに、奏のことを重ねているだけだって……この世界に来てから、夢にすら出てくれなくなった」
「知りませんよ、そんなこと」
「ダンボールって、何度もリサイクルされるから、その分人間の思いを受け継ぐんだろう?」
「……ええ、そうです。覚えていますか。私がセンパイと初めて仲良くなった時のこと?」
「会社の書庫で……たしか、ダンボールで指を切った奏に、絆創膏をあげたんだよな」
「ええ、そうですよ。やっぱり、覚えてくれていたんですね。私がそれを使ってあなたを助けたのはそれが理由です。普通だったら選ばないですよね、ダンボールなんて? でもね、私にとってはあの思い出が特別だった。あの書庫からあなたと楽しく過ごせた思い出が、私にとっては永遠の宝物だったんだよ?」
「俺もそうだよ。お前は、奏なんだろう? オリジナルの?」
「聞かないでよ、センパイ。それを聞いたら、別れるのがつらくなるのは、あなたなんだよ?」
「もうお前を絶対に手放さない」
「無理だよ。妖精の命をあなたにあげないと……安全装置が解除されたアーカーシャシステムに耐えられない。すでにボロボロのセンパイじゃダメだよ。私がいなくても大丈夫。ウイリーさんだっているじゃない。先輩が……私がここで犠牲になって先輩が生き残れば、すべての努力が実を結ぶ。ヴォルフスブルクは超大国となり、アカシックレコードが直面している限界の新しい可能性を示すことができる。そうやって世界が変われば、数億人、ううん、数十億人の人間が希望をもって生きられるようになる」
「お前ひとりを守れなくて、何が人類の希望だ」
「くっ……『意識領域、アリアドネの糸からクロノスタシスへと到達』」
彼女は、苦しそうにしながら手順を進めようとする。だが、俺はそんなことは許さない。
ターニャの体を強引に抱き寄せて、俺は奏のくちびるを奪った。
泣いていた彼女は、それに驚き頬を染める。
『誘導装置、別人格へと変換。なんで……』
致命的なエラーが発生したのは間違いない。
「もう大事なものを守り切ると決めたからだよ」
彼女の部屋は崩れていく。俺の腕の中に奏を残して。
『モード:アイギス始動』




