5:案ずるより生むが……
「くっ…………」
オレはバカだ。……や、バカなのは自覚していたが……よりによってオフクロの命日を失念していたなんて。
翌24日の午後4時。オレはホテルを出て、事故現場となる高速バスの停留所を見守っていた。
オフクロか……。顔は正直写真でしか覚えていないし、思い出もオヤジから聞いた事くらいしか分からない。オヤジの話では、『肝っ玉母さん』と言う表現がぴったりだったそうだ。やんちゃ坊主だったオレはいつもオフクロに怒られていたらしい。
オヤジに問いただしてみたが、事故の事は教えてもらえなかった。仕方がないのでオレは信二に頼んで事故の事を調べてもらっていた。で、詳細はこう。
1990年12月24日午後4:19。幼き日のオレとオフクロは、出張から帰って来るオヤジを迎えに高速バスの停留所でオヤジの乗るバスを待っていた。
買ってもらったサッカーボールをオヤジにいち早く見せたくて持参していたオレは待つのに飽きて、オフクロの制止も聞かずボール遊びをする。
ふとした拍子にボールが車道へ転がってしまい、それを取りに行ったオレの元に運悪く大型トラックが突っ込んで来て、オフクロがオレを庇い代わりに轢かれて命を落とす事になったのだ―――
……オヤジが話したがらない訳だ。オヤジはオレが真相を知ってしまったら必ずショックを受けると見越していたのだろう。事故は完全にオレの所為。オレがボール遊びなんかしなかったら何もなかったはずなのだから。だからこそ。オレの手で事実を正さなければ。オレしか出来ない事だ。オレ自身の為に、そして何より、今まで苦労を掛けてしまったオヤジの為に。
冬の夕暮れ。街には前夜祭を楽しもうと多くの人で溢れ返っている。その誰もが笑顔。この雑踏の中で辛気臭い顔をしているのはオレだけだ。皆楽しそうだな……。そりゃそうか。クリスマスイヴだもんな。よく見ればそこかしこにカップルカップルカップルカップルカップルカップル……………。
………………………………………………。
「うがぁぁぁーーーーーーーーーーーーッ!!!」
オレは空に向かって力の限り魂の咆哮を上げる。……よし、運命に立ち向かう勇気が出て来た。ロンリー万歳。
「――――――――」
……おかしい。もう事故が起きる時間が間近に迫っているのに、幼いオレとオフクロが姿を見せない。もしや場所か時間を間違えたのか? 決意は焦燥へ変わり、体はじっとりと汗ばむ。『オレ』がボール遊びを始めたら、ボールを取り上げるとか適当に理由を付けたりとかして止めればいいだけなのに。本人がいないのでは止めるとか言う次元の話ではない。
それとも、何か別の外的要因が働いてオフクロ達の予定が変更になったとか? もしそうだとしたらオフクロは事故に遭う事はないからむしろ安全なのだが……果たしてそんなうまい話があるだろうか?
何となく自分に都合のいい考察をしていた、その時―――
「コラ秋臣! こんな所でボール遊びしちゃダメでしょ!」
『オレ』を叱りつける声が聞こえた。『道路の向こう』から。
「しまっ…………!!」
やはり間違えていたのはオレの方だった。オフクロ達は道路の反対側、逆のバス停にいた。やっちまった! まさかこんな時に限って初歩的なミスをするなんて―――!
オレは自分のバカさ加減を呪いつつ全速力で走った。……つもりだったが、分厚い人垣に阻まれて思うように進めない。たった30m程の距離なのに、まるで別世界のように遠い。
「くそッ!!」
ここまで来ているのに。目と鼻の先にオフクロがいるのに。
『オレ』のボールが道行く誰かに弾かれ、車道へと転がる。『オレ』は当然のようにボールを追いかける。
「秋臣!!」
オフクロが『オレ』を追って車道に飛び出して来る。そして、計ったようなタイミングで、大型トラックが突っ込んで来た―――
……ここまで来たのに。オレはここにいるのに。何も出来ない。運命を変えられない。オレ……オレは一体、何の為にここにいる―――!!
「オフクロォォォォォォーーーーーーーーーーーー!!」
頭の中がスパークする。喉が焼け付く程に声を上げる。絶望的なオフクロまでの距離を、必死で埋めようと。幾ら頑張ったって、結果が伴わなければ意味がない。それは分かっていても、何もしない訳にはいかない。
オレは知らず知らず涙を流していた。何も出来ない自分を、こんなにも腹立たしく思った事は今までにない。くそ! 一度でいい! 役に立ってみやがれ、オレ―――!!
その時、奇蹟が起きた。
「えっ………」
時が……止まった。オレ以外の全てが、凍りついた。
「ッ!! オフクロ!!」
考えるのは後だ。オレはとにかく人並みを掻き分け道路に躍り出て、トラックの目の前で『オレ』を突き飛ばしたオフクロを、更に反対方向へ思い切り突き飛ばした―――――