4:覆水盆に……
「ふふふふ………」
時は実に5時間後。やべえ、笑いが止まらん。そりゃそうだろう。元手300円が今や一万倍近くにまで膨れ上がっているのだから。オレのバイト代の何年分だ、コレ?
方法は簡単。ここは船橋。つまり中山競馬場がある。加えて今日は有馬記念。そこで信二に今日の全レース結果を調べてもらい、300円をがっつり増やしただけの事。やー、最終レースのオグリキャップの走りは圧巻だったねっ!!
暖かいコートも買い、メシも腹一杯食べ、あまつさえ夜景の綺麗な高級ホテルにも泊まってみた(必要な分以外の金はコインロッカーに預けてある)。フロントの人には訝しい目で見られたのはご愛嬌だろう。こんな贅沢、一生に一度出来るかどうかって所なんだから。その程度で屈する訳にはいかん。……ほんの5時間前までは生きていけるかどうかさえ危ぶまれていたのが嘘のようだ。世の中って意外とちょろいかも。
部屋の風呂から上がった所で、不意に携帯が鳴った。着信を確認すると、自宅からだった。……あ、そう言えば家に連絡入れてなかった。オレは恐る恐る電話を取る。
『秋臣? お前こんな時間まで何やってるんだ?』
「悪ィ、オヤジ。ちょっと忙しくて、電話掛けてる暇がなかった」
現代の時間で言えば、今は夜中の12時くらいだ。連絡の一本も入れなければそりゃ心配もされるだろう。……でもちょっと過保護じゃありませんか、お父様? ボクもう21歳ですけど?
……まあ無理もないか。オレにとってオヤジはオフクロ代わりでもある。つまりオレの家は父子家庭なのだ。オフクロはオレが小さい時に事故で亡くなった。それ以来、オヤジは再婚する事もなくたった一人きりでオレを育ててくれた。馴れない家事と激務の毎日。オレだってオヤジがいない時くらいは家事もするが、大半の事はオヤジがやってくれる。……まあ何年経っても家事の腕前が一向に上がらないのは何らかの遺伝子的欠陥なのだろうが、そこは大目に見るしかない。オレは文句を言える立場じゃないんだ。むしろ感謝しても感謝し足りない。男手一つで、オレを大学まで行かせてくれたんだから。
『まあお前ももう大学生だからな。あんまり口うるさく言ってもうっとおしいだけだろう』
心配されないのも少し淋しい気はするが、オレを信用してくれている現われなのだろう。とは言え、信頼されているのは純粋に嬉しい。
『俺はまた明日から出張だからな。帰って来る時は例の所に鍵が入ってる。ハメを外すのも結構だが、人様に迷惑だけは掛けるんじゃないぞ』
オヤジはいつもの口癖を繰り返す。分かってる。オヤジに迷惑をかける気なんてサラサラない。
「ん、サンキュ。出張気を付けて」
『おう。今回は一週間ほどだ。じゃあな』
「あ! 待ったオヤジ!」
オレは電話越しにオヤジを呼び止める。
「えっと……オレが5歳くらいのクリスマス前後って、何かあったっけ?」
オレがこの時代に来た理由、オヤジなら何か分かるかも知れない。分からないまでも、何かヒントを持っているかも知れない。正直ダメ元だったが、これが見事に予想的中。
『5歳って事は、1990年だろ? 何かも何も、その年のクリスマスイヴは母さんが亡くなった日じゃないか。そんな事も忘れたのか―――――?』