3:わざわい転じて……
「………………」
失敗した。
あまりにも寒かったので、近くの服屋で上着を購入しようと試みたが、支払い寸前で『紙幣が使えない』事に気付いたのだ。
オレの持つ紙幣は新紙幣。つまり、千円札は野口英世で五千円札は樋口一葉だ。この時代ではまだそれぞれ夏目漱石と新渡戸稲造だから、こんな金使ったら偽札だと疑われる。同じ福沢諭吉の一万円札なら何とか誤魔化しが効いたかもしれないが、給料日前のビンボー学生の財布の中にそんな大人物がいらっしゃる訳もなく。同様の理由で500円玉も使えないので、オレの所持金は一気に300円ほどになってしまったと言う訳だ。ははは。……もう笑うしかない。こんな異国の地(?)で、オレは野たれ死んでしまうのか……。ああ、腹減った……。やっぱりこの世に神様なんていねえ。や、あいつは論外。元より神様だなんて思っちゃいねえし。
オレは完全に気力を無くし、再びさっきのベンチに戻ってきた。
「はぁ……」
ため息。吐く息も白く、ぼんやりと漂っていく。現代に戻れるかどうかより、この先どうやって生きていけばいいんだ? ……何だかリストラに遭ったサラリーマンみたいだな、オレ。よく見れば、そこかしこに似たようなおっさん達が目に映る。ああそうか。バブルが弾けたのって、この年だっけ。
その時。
ヴヴヴ…… ヴヴヴ……
ズボンのポケットに入れていた携帯電話が着信を知らせた。マナーモードにしてあったから音は出ない。オレは何の気なしに電話を取る。
「はい?」
『おお、秋臣か? 今何してる?』
「何だ、信二か。今忙しい。切るぞ」
『忙しいのか……。そりゃ残念。せっかく新作のアレ、完成したから見せてやろうと思ったのに』
こいつは片瀬 信二。オレの大学での友人である。至ってフツーのオレの友人だけあってこいつもフツー。……と言いたい所だが、こいつはちと世間ズレしている感じ。今日も今日とて、何やら昨日から作っていたとか言うフィギュアをオレに見せびらかしたいらしい。他所でやれ、ヲタク。
『じゃあ暇んなったら連絡くれよ』
「はいよ。無事生きて帰れたらな………って」
そこで、はたと気が付いた。ここは1990年。まだ携帯が普及する前の時代だ。無い事はないだろうが、まだ据え置き型の子機かと思うほど巨大なシロモノだ。周りの人間はオレの事を奇異の目で見ている。携帯電話を知らない人が見たら、オモチャ相手にぶつぶつ独り言をぼやいてる危ないヤツにしか見えないだろう。やべえ! 考えなしに電話取るんじゃなかった―――!
オレは神速で路地裏に身を押し込む。しかし時既に遅し。信二からの通話を途切れている。そう言えばこの時代に来てから携帯を確認していなかった。ディスプレイの表示は2007年5月10日18:46になっているし、電波もしっかり3本立っている。今現代にいるはずの信二から電話が来たって事は、携帯は現代と通じてるって事なのか……?
恐る恐る着歴から信二の番号を呼び出し、通話ボタンを押す。数回のコール音の後……
『おう、どうした? やっぱり暇なのか?』
「信二。聞きたい事がある。何も質問せず簡潔に答えろ。今日は何年の何月の何日だ?」
『は? そんなの2007年5月10日に決まってるだろ? ボケたのか?』
「いよっしゃああああぁぁぁぁーーーーーーー!!」
繋がった! 携帯電話は現代に繋がるのだ! だからって現代に帰れる訳ではないのだが、こっちに来てから何の救いもなかったオレにとって、この事実は相当にデカい。
『ど、どうした! 何をそんなに絶叫しとるんだお前は!? ご乱心か!?』
「いやっほぉぉぉーーーーぅ!! ざまあみやがれドサンピン!!」
状況の飲み込めない信二を置き去りにして、声が枯れるほど絶叫するオレ。当たり前だ。この喜びは誰にも分かるまい。どうせ誰も信じやしねえだろうから教える気もないが。
一頻り騒いだ後、咳払いを一つ。騒いでる間に思いついた計画を実行しようと思う。
「ところで信二、調べて欲しい事があるんだが……」
未来の情報を知る事が出来れば、極貧のこの状況なんてどうとでもなる。オレは信二にある情報収集を依頼した―――――