プロローグ:触らぬ神に……
「あなた、過去に行ってみたいでしょ?」
オレの名は藤堂 秋臣。21歳。お気楽極楽大学生。見た目カッコいいともカッコ悪いとも言われない程度の至ってフツーの一般人。無論金はない。
そんなオレに、今正に原因不明の災厄が降りかかろうとしている。否、現在進行形で降りかかっている。
「なにボーっとしてんの? 日本語分かる? きゃんにゅーすぴーくじゃぱにーず?」
「はあ……」
目の前でオレに話し掛けてくる、事もあろうにピンクの髪を肩まで伸ばした奇妙な女性。大学からの帰り道、オレは突然声を掛けられた。
歳の頃はオレよりちょっと上くらいか。よくよく見れば美人さんではあるが、初対面のオレに対してこんな事を言ってくるあたり、どう考えても真っ当な人間であるはずがない。どこぞの宗教の勧誘か、あるいは新手の詐欺って所が妥当だろう。触らぬ神に祟りなし。ヘタに手を出して藪から蛇ががっついて来ようもんならオレのキャンパスライフは水泡と帰してしまう事明白だ。さっさとスルーして、オヤジの作ったマズイ夕飯にでもあり付きたいワケなのだが……こうも完璧に行く手をブロックされると、かなりの強硬手段に出なければ突破は難しいだろう。しかしそこは男の悲しいサガ。初対面の女性(しかも美人)にあまり強く出れないのである。……男って弱い生き物だよね。
「えっと……オレに何の用ですか?」
「だから、あなた、過去に行きたいでしょ?」
……かなりヤベーのに捕まってないか、オレ? さっぱり要領を得ねえ。過去? 一体何の事だ? とてもじゃないが正気の沙汰とは思えん。
通行人がジロジロと好奇の目を向けながら横を通り過ぎていく。……誰か助けろ。世間様ってのはここまで冷たいものなのか。人類皆兄弟じゃなかったのか。この世に神様なんて都合のいいもんはいねえ。
まあともかく、オレ自身に話があるのは間違いなさそうだ。この往来のど真ん中では目立ってしょうがないので、近くの喫茶店に入る事にした。くそ、バイトの給料日前だぞ。最悪伝票押し付けて逃げちまおうか。
「だから、私があなたの願いを叶えてあげようってワケなのよ」
『エミット』と名乗るこの女性(『TIME』を逆から読むのだそうだ)の話を要約すると、彼女は時を司る神様の見習いで、最近人間一人を過去にタイムスリップさせる能力を習得したんだそうだ。その初めての実験台として何故かオレが選ばれたらしい。因みにたったこれだけの結論に達するまでに要した時間は1時間。そりゃ天地開闢がどうとか、大宇宙の意思云々とか脱線しまくりの会話(一方的にエミットが喋ってただけだが)だったんだから理解するのに時間は掛かるっつーの。しかもいつの間にか過去に戻る事をオレの願いにされてるし。うん、決定。こいつ、間違いなく関わっちゃいけない類の人間だ。話半分に聞いて逃げよう。ついさっき神様の存在を否定したばっかだしな。
「……オレ、別に過去に未練とかないですけど。いい加減帰っていいッスか?」
「ほっほっほ。お待ちなさいな照れ屋さん♪」
照れてねえ。
「安心なさい。ここのお代は私がどうにかするから」
……しめた。自ら宣言したぞ、こいつ。食うだけ食って帰ろう。やー、これでオヤジのメシを食わずに済む。……って、ちょっと待て?
「あんた金持ってるんですか?」
何となく嫌な予感がしたので、取り敢えず外堀から埋めてみる事に。すると案の定……
「そんなもの持ってるワケないじゃない。私は神様よ? 何で人間界の通貨なんて持ち歩かなきゃいけないのよ」
さらっと。そんな戯言を口にしやがった。因みにこいつ、既にオレの財布の中身を遥かに凌駕する量のメニューを平らげている。
「お前はアホかぁぁーー!! 金持ってねえくせによく奢るとか言えたもんだなぁオイ!!」
「神様は何でもあり! 最終手段として『食い逃げ』って方法が!」
「いやダメだろ! 人間でもやっちゃダメなのに神様が食い逃げするのはもっとダメだろッ!!」
「そして私とあなたは、追手の目を逃れつつ田舎で慎ましく余生を過ごすのよ! ああ、愛の逃避行なんて甘美で魅惑的なひ・び・き……♪」
「そこに愛はねえよ!ただの食い逃げだろーが!!」
「ところでさっきの大宇宙の意志の話だけど……」
「誰も聞いてねえぇぇぇーーーー!!」
ぜえぜえ、と肩で息をするオレ、藤堂秋臣21歳。心のアニキは加藤鷹。現在彼女募集中。金も才能もないがバイタリティには自信があります。さあ、下記までご連絡を!
……と思わず謎の募集告知CMまで挟みつつ、自称『神様』を呆れた目で見つめる。何か疲れたんすけど。正直マジで帰りてえ。
「そんなワケで、ちゃっちゃと過去にタイ~ムスリ~ップ♪ 大丈夫、おねーさんに全てを任せなさい! 痛くしないからね♪」
「後半はTPOさえ整っていれば非常に言われてみたい台詞ではあるんだがな。今はまるで整ってないから怪しい事この上ないな」
「そこッ! ぶつくさ文句言わないッ! 何なら痛い方に変えてもいいのよ!?」
「へいへい……」
もういい加減面倒なので、好きなようにやらせる事にした。まだ夕方過ぎって時間だけど、いちいち反抗してたら朝になる。いやマジで。春は好きだがこう言う手合いが増えるのは困りものだ。
「じゃ、目を閉じて」
言われた通り素直に目を閉じる。彼女はオレの額に手を当てて、何やらぶつぶつ唱え始めた。
「はいだらー。はいだらー。ふがふが」
…………あえてツッコむまい。怪しいのは今に始まった事じゃない。時間にして20秒ほどか。「はい、いいわよ」と言うエミットの言葉でオレは目を開く。
「…………………」
オレは、見知らぬ場所に立っていた―――――