王子を愛でることに忙しくて悪役令嬢してない
推しとは、人生に潤いと生きる糧を与えてくれる自分にとっての神的存在です。
アーサー・スチュワート・ウィスタリア様は、ウィスタリア王国の第一継承者です。
そして、私──ヴィクトリア・デュ・バークリーは畏れ多くも、麗しの王太子、アーサー様の婚約者にございます。
子供の頃に憧れた物語や絵本に出て来る王子様はきっと彼のような金色に輝く御髪を持っていたことでしょう。
さらりと指を擦り抜けるその金糸──ああ、一本でいいから欲しいです。
コレクションとして百八本持っておりますが、何本あってもいいものです。
私が私として生まれる前、蓮っ葉な「あたし」という一人称を使用している時から、金色の髪を持つ男性が好みでした。
今世、生まれた国に金髪は多くいますが、アーサー様ほど素敵な金色はありません。金髪検定準一級の私が言うのです。間違いはありませんし、異論も認めません。
王家の象徴とされているエメラルドグリーンの瞳は、この国の宝です。
アーサー様が目を伏せ、半分上目使い状態になる時に見ることができる、睫毛越しに現れるエメラルドの輝きたるや。
ああ、私の拙く貧弱な語彙力ではとても表すことができません。
その光り輝くエメラルドは、優しげに垂れていてシャープな輪郭に収まるととても甘くなるのです。
顎にある黒子、色気があり過ぎて三秒以上見ていられません。エッチ過ぎます。
黒子単体でセクシーなお方は、アーサー様の他におりません。
左側からだと見ることができないのがまた、お目にする時の嬉しさを倍にしてくれます。
もちろん、アーサー様が素晴らしいのはお顔だけではありません。
大きな声では言えませんが……そう、いい体を、しております。
私は、見たことがあるのです。
剣技の鍛錬の休憩時間にアーサー様、お脱ぎになられて……。
私、天に召されてしまうのかと思いました。あんな……尊い体見たことありません。私はあの時、腹筋と二の腕を目に焼き付けてから倒れました。背中も見たかったのに無念です。
「── 目が覚めた時は大変、落ち込みました。なぜって倒れてしまった時、運んでくれたのがアーサー様だったと言うのですもの。それが、憧れのお姫様抱っこでしたのよ……?」
今でも悔しいですわ、と言って言葉を締めた私の目の前のピンクの髪のピンク様(名乗られていないのでお名前がわかりません)は、臭い物を嗅いだ時の愛猫キティのような顔をしております。
あらあら、まあまあ。どうしたのでしょう。
「あ、あんたみたいな人にアーサーは似合わないわ! この変態っ!! 彼を早く解放しなさい! ていうか、なんで虐めに来ないのよ! 虐めに来なさいよ! 階段から突き落とされなきゃイベが始まらないのよ! 私は虐められたいのに、あんたはなんで学園に来ないのよ! この悪役令嬢! あんたのせいで自分でやらなきゃいけなくなってんのよ! 役立たずっ!」
私に、ビシっと指を差しながら言うピンク様の声の大きさに驚いてしまいました。
指を差して『変態』なんて、酷いことを言ってます。私は変態ではありません。
というか、何を仰っているのかよく分からないのですが……虐めてほしいとか……そういう性癖の方とは仲良くなれないと思います。
私は痛いのは嫌でございますし、痛いことを他人にするのも嫌です。
そして気になる悪役令嬢とは、なんでしょう?
私が学園に通わないことには理由があるのですが……。
「あの、もう少し声の大きさをお下げになって? 淑女たるもの大きくお口を開けてはいけませんわ」
「私が庶民の出だからって馬鹿にしてるんですか……酷いですぅ……」
馬鹿にしているつもりはないのですが、誤解させてしまいました。
しかし、なぜ先ほどは怒鳴っていたのに、今は落ち込んでいらっしゃるのでしょう。情緒不安定なのでしょうか。
「……あの、ごめんなさい? ……私、お恥ずかしいことに、あなたの言っていることがよくわからなくて、教えていただきたいのですが」
「──よし。ヴィクトリアのシーンは終わり」
私の言葉を無視して、涙も出ていない目を擦りながら走っていってしまいました。
「ピンク様……同士だと思いましたのに」
アーサー様の居る場所や、好きなもの、考えていること、食べた物等のお話をされるので、てっきりピンク様も私と同じと思い、ついつい話し過ぎてしまいました。
それにしてもなぜ、私の名前を呼び捨てにしたのでしょう。少し怖いです。
「……ああ、お友達がほしい」
アーサー様が何色の下着を穿いているか予想してキャッキャッしたり、シャツの隙間から見える鎖骨について感想を言ったり、アーサー様のおみ足の筋肉の付き方について熱く語り合うお友達がほしいです……。
寂しくてもとぼとぼ歩いたりできません。
私は公爵令嬢ですもの。俯いて歩くなんてできませんのよ。
「ヴィー!」
この世に二つとない、美しいテノールが私を呼びました。
振り返れば、そこには「……アーサー様!」
私の中の『喜』と『楽』が黄色い声を上げています。
駆け寄る彼の微笑みの破壊力……この瞬間を切り取って画家に描かせたいくらい私の婚約者様は今日も麗しいです。
少し息が弾んでいるのは私を見つけて走って来てくれたからですね!
尊いです〜〜! うちの王子様が一番尊いです〜!
この方が私の婚約者なんていまだに信じられません。夢なら醒めないでほしいです。
前世の私はきっととても徳を積んだのでしょうね。ナイスですよ、前世の私。
善行という名のお布施しまくりでしたものね、平面の君へ。
その平面の君は、うっすらとしか覚えておりませんが、アーサー様と瓜二つというほど似ていたと思います。
すごい偶然です──いえ、きっと運命です。
「もしかしてアイネソン嬢に会った?」
「ええと……アイネソン男爵家に令嬢などおりましたでしょうか?」
「ああ、最近養子に入ったんだ。ピンク髪をツインテールにしたご令嬢なんだが」
「あ、ピンク様……」
「会ったのか!?」
「ええ。彼女でしたら、さきほど王宮で」
「……何か、話したか?」
「ええ。アーサー様が、学園の午前中の中休みに裏庭で仔猫ちゃんと戯れていることと、ランチできゅうりとハムのサンドイッチを召し上がったと教えていただきました」
私はお妃教育で学園に通っていないので、アーサー様と会えるのは王宮内だけです。なので知らないことを知れるのは嬉しいことでした。
ピンク様もとい、情緒不安定令嬢もとい、アイネソン男爵令嬢様に感謝です。
「ヴィー、誤解だ」
「アーサー様?」
なんてことでしょう、アーサー様の顔が真っ青です。
「大変! 顔色が悪いですわ! ねえ、誰か! アーサー様が──」
使用人を呼ぼうとした私の唇を、アーサー様の指がぴとりと止めました。
「静かに」
「!」
こういうことするのですよ、うちの王子様。
も〜……困らないけど困ります〜! もっと好きになってしまいます〜!
指をパクッてするのを我慢しています。公爵令嬢ですからね。
「ヴィー、少し話そうか」
「え?」
「いいから」
そう言ってアーサー様は私の肩を抱き、歩みを進めました。
ああ、安定の右側です。黒子がエッチです。いけません、三秒経ちましたので、別の場所を愛でましょう。
神が作りし芸術的な顎のラインと耳の形に溜め息が出そうですが、必死で堪えます。
小一時間ほど耳たぶ揉みたいです。
「アーサー様の体調が心配です。無理しないでください。お話なら明日お聞きします」
頭の中で萌え萌えしていても、外面は公爵令嬢です。キリッ! ですの。
「嫌だ。私は今、ヴィーと話したいんだ!」
「……まあ」
駄々っ子王子ちゃまですのね〜〜!
ああ、なんてレアな……この態度と表情は貴重ですのよ?
いつもアルカイックスマイルを崩さないしっかり者の王子様が、我が儘で駄々っ子の王子ちゃまになっておられます。
可愛いです、可愛いですね〜。お口が尖っていますね〜!
母性がくすぐられます。ほっぺたに噛みつきたいです。はむはむしたいです。
連れてこられたのは、いつものお茶会の部屋です。この部屋で私とアーサー様は週に三度ほど、お茶を飲みます。
「ヴィー……」
アーサー様が苦しそうな顔をしています。
アーサー様が苦しいことは私も苦しい──いえ、これはこれでありでは? グッときますね。
というか、今日は珍しい推しばかり見れて幸せの極みにございます。
もしかして私、今日死ぬのでしょうか?
「はい、どうされました?」
「アイネソン嬢の言っていたことは違うんだ。私はヴィーを裏切るようなことはしていない」
必死な顔のアーサー様もいいですね。
ああ、今、推しの前で語彙力が馬鹿になりました。
しゅきです。
「まあ、ではどこで仔猫ちゃんと戯れましたの? 私も仔猫ちゃん(と戯れて無邪気に笑うアーサー様)に会いたいですわ。それにランチのサンドイッチは(いつもきゅうりとハムでしょう? それとも別の具材のものを食したのですか?)何が誤解なのです?」
「怒ってない? ──いや、わかってないのか……?」
「え? ごめんなさい、私なにか失敗を?」
「いや、ヴィーが誤解してないならいいんだ……」
がくんと項垂れてソファーに座るアーサー様の背中(の僧帽筋)を撫でます。
こんなきゅるきゅるんなスイートでベビーなフェイスなのに、ごりごりに鍛えてるなんて……ギャップが堪らないです。体中撫で回したいです。肩甲骨の窪みを拝みたいです。
推しの供給と可能性と伸び代があり過ぎませんか?
これ、公式ですのよ?
「アーサー様、お疲れですわね」
「ああ、今ちょっと学園で色々あって」
「──学園……」
「あ、ごめん。ヴィーが行きたくても行けないのにこんな愚痴を言って」
「いいのです」
しゅんとする王子ちゃま可愛いでちゅね〜!
雨に濡れ、しょぼくれたワンちゃんのようです。きゃわたんですの。
くうんと鳴いてはくれないでしょうか。
「アーサー様と肩を並べて学園に通うことは、私の憧れではありますが、将来アーサー様のお役に立つことの方が大事ですもの」
「…………ヴィーと早く結婚したい」
エンダアアアア──……!
やはり、今日、私は死ぬかもしれません!!
「わ、私も……私も、早くアーサー様のお嫁さんになりたいです」
推しに愛されて、望まれて結婚するなんて!
私は、世界で一番幸せです!!
これ死亡フラグとかではありませんよね? ね?
「ヴィー、学園のゴタゴタが済んだら、下町へお忍びで連れて行ってあげるから少し待っててくれる?」
「ええ、待ちます! 楽しみですわ!」
「ふふ、いい子だね」
よしよしと頭を撫でられました。
双子姉妹のお兄様でもあるアーサー様は、私にもこうして兄ムーブをキメるので本当にありがとうございますしかありません。もっと撫でてくれてもいいのですよ?
「そろそろ時間か。送るよ」
「いいえ、アーサー様はお疲れですもの。私は一人で帰ります」
「ああ。じゃあ、門まで一緒に行こうか」
「はい」
門に行くまでの道すがら、アーサー様は仔猫の話をしておりました。
真っ白い仔猫と金髪の王子様がありありと目に浮かびます。
控えめに言って最高です。アーサー様は神が使わしたもう美の天使様にあらせられます。
「おやすみ、ヴィー」
「おやすみなさい、アーサー様」
アーサー様に手を振り馬車に乗り込みました。
今日はとってもいい夢が見れそうです。
*
──ヴィクトリアの乗った馬車が見えなくなると、アーサーはすっと笑顔を消した。
「アーサー殿下、ハリスから『アイネソン嬢がヴィクトリア様に大声で怒鳴っていた』と報告が上がっています」
どこからか現れたのは、アーサーの側近コールドウェルだ。
「──ヴィーはそんなこと私に言わなかった」
なぜ、と呟くアーサー。
「心配をかけさせまいとしたのでしょうね。心根の優しいご令嬢でありますから。報告の続きを話しても?」
ヴィクトリアは誰にでも分け隔てなく優しい少女だ。朴念仁のコールドウェルに、婚約者へのプレゼントのアドバイスを真剣にしてくれる良い友人でもある。
「ああ、頼む」
「では、『アイネソン嬢がヴィクトリア様に言っていた言葉は全部はっきりとは分かりませんが、拾えましたところだけを報告します』えー、『あんたにアーサーは似合わない』『虐められたいの?』『階段から突き落とされたくなきゃ』『役立たず』……以上です。他にも、ヴィクトリア様を指差し、呼び捨てにしていたそうです」
「あの女……」
報告を聞いて、アーサーを怒りが支配する。
腸が煮えくりかえる、とはこのことだ。
「殿下、今はお怒りを沈めてください」
アーサーが怒った時の顔は、とても怖い。
この顔を見たらヴィクトリアは泣いてしまうかも知れない……とコールドウェルは思った。
「分かっている。私はあの女の餌だからな。……ヴィーに護衛を送れ。数人なら私の近衛から出してもいい」
「はい」
「ヴィーを守れ」
「──御意」
コールドウェルはくるりと身を翻した。
*
学園のゴタゴタが終わったという連絡をいただき、今日は久しぶりに我が家にアーサー様が遊びにいらっしゃいました。
「君はいつ見ても愛いな……おいで」
にゃ、にゃ〜んっ。
愛猫のキティをアーサー様がニコニコしながら撫でています──キティがドヤ顔でこちらを見ています……くっ、悔しくなんか……!
嘘です〜! 悔しいです〜! 私も猫ちゃんになりたいです〜〜! ごろごろされたいです〜! キティずるいです〜!
「アーサー様、お召し物にキティの毛がたくさん付いています」
「ああ、大丈夫。気にしなくていいよ」
「だめですわ」
毛を払うふりをして、体に触っているのですから、止めないでくださいませ。
腕の筋肉がもりもりです……甘々のシュガーフェイスなのに、逞しいなんて狡いです。
「──そういえば、あの日ヴィーはアイネソン嬢と何を話していたの?」
「彼女に(アーサー様のお尻の形について語る)お友達になりませんかと申したのですが、私が(アーサー様の首から肩にかけての神ラインについて)たくさん話し過ぎたせいか、怒らせてしまって……いけませんね。つい、はしゃいでしまいました」
「ヴィー……」
本当にあの日の私のアーサー様への愛は止まりませんでした。語るのは楽しかったですが一人よがりはいけません。反省せねばなりません。
「アイネソン男爵は犯罪に手を染めていてね、彼女も学園に送られたスパイだったんだ」
「まあ、なんてこと……私、知りませんでした……」
でも、納得です。
ピンク様、怖かったですもの。
「言ってなかったからね。でももう大丈夫だ。今度から怖いことがあったら私に言うんだよ? ヴィーはすぐ我慢するんだから」
「はい、分かりました」
よく分からないけど、頷いておきましょう。
心配そうに私を見てるアーサー様に愛しさが溢れてきます。
萌え萌えして、きゅんきゅんします。
今日はこれから下町お忍びデートへ行きます!
平民の服を着たアーサー様の隣を歩くのです。
煌びやかな衣服にはないラフな格好が見れると思うと昨夜は中々寝付けませんでした。
今日も焼き付けねばなりません。
いざ、愛でましょう。我が推しのお姿を!
【完】