第四十一話
煌く翼を羽ばたかせ、アレンは神の前へと立ちはばかり、空間から大剣を取り出して優雅に構えると、挑発するかのように軽口を叩いた。
「そんな物食べるより、私を食べたほうが美味しいわよ?かかってらっしゃい」
彼女の発言を聞いて、街中を破壊していた地獄の神・グラディウスは動きを止め、大きな咆哮を上げながらスピードを上げて向かってきた。
攻撃を避けながら彼女は街の郊外へと誘導させるために一歩ずつ、グラディウスを引きずりだしていく。
(そう……その調子。もっとこっちに来なさい)
大剣と巨大な羽、そして星脈術を利用しながら、攻撃を防いだり流したりしていく。
その力は並大抵の物ではなく、化物達の戦いと言っても過言ではなかった。
迂回しながらも、一歩ずつ確実に街の外へとおびき寄せる。
後、一キロ程で郊外にある森の方へと踏み込めると確信した時。
彼女の体にある異変が起こった。
(――っ!)
白く生えた背中から痛みが襲いかかる。
見ると、つなぎ目の辺りから薄っすらと赤く血が流れ始めていたが、彼女は先ほどと同じペースで後ろへと下がっていく。
――拒絶反応だった。
通常、使うことがない星脈術を利用した上、シェリーとの魂の同居を図っているのだ。
このまま長く続けば、最悪、彼も彼女の魂も全て消滅した挙句に死を迎えるだろう。
(そんな事……絶対にさせない!)
この世で一番大事な弟を絶対に守るんだ。
彼女は痛みに顔を歪ませながら加速すると、森の中心部へとやってきた。
此処なら街に損害を与えることもない上に、巨大なグラディウスを封印する大きさにうってつけの場所であった。
時間と共に痛む傷を押さえながらも、神が近づいてくる前に彼女は持っていた大剣を変形させ、その中心部へと突き刺す。
中心部から広がる巨大な陣は一つの山をはるかに覆うぐらいの大きさであり、グラディウスの片足が陣に入った瞬間、彼女は持っていた剣に更に力を込めた。
アレンの力に答えるかのように陣は銀色に光り始めると電撃の音を弾かせグラディウスを包み込んでいく。
それでもグラディウスは抵抗しており、僅かながらも術を発動させている彼女の元へと一歩ずつ歩き出した。
「これでも動けるとはな……。しかし、お前はもう終わりだ。元の居場所へと帰るがいい」
剣を突き刺したまま、コートを翻し、ポケットからミヤビに貰った札を取り出して手に力を込める。
強い光に包まれた複数の札は彼の瞳と同じく黄金に輝いていた。
「内なる力よ、神なる力に答えて、在るべき姿と返還させよ」
彼女はそう言うと、グラディウスに向かって札を投げた。
肉眼では確認できないほどのスピードで神の元へと向かうと、五体の各場所へ張り付けられる。
その瞬間、歩みを進めていたグラディウスの足が止まったと同時に強烈な爆風が吹き荒れ始めた。
身を切り裂かれているのか、この世とは思えないほどの凄まじい悲鳴を上げながら地獄の神はもがき苦しみ始め、神の足元からは地獄に繋がると思われる黒く異次元の空間に引っ張りこまれていく。
しかし、最後の抵抗のつもりなのか、グラディウスは異次元の穴に手をかけ、地上へと戻ろうとしていた。
(まずい、このままじゃまたこっちに戻ってしまう!)
先ほどの攻撃は彼女が持っている魔力をありったけにつぎ込んだものだ。
神が戻ってきて、こちらに攻撃されたら――次はない。
彼女は何かを決めたように一つの欠片のように存在している魔力を使うと、彼の体は淡い光に包まれた。
そして、その光が収まったと同時に現れたのは……。彼の元の姿と同じくして綺麗に整えられた赤く神秘的な黒い瞳をもった少女の姿だった。
彼女の魂が抜け、主導を失ったアレンの体はそのまま倒れてしまうが、彼は辺りに広がる光景にむけて意識を集中させる。
見覚えのある姿に思わず息を飲んで手を伸ばすが、その手は遮られてしまい、目の前にいる少女は首を横に振った。
「アレン、あんたはまだ生きている人間だ。後悔のないように自由に生きて。もう、私のために絶望と悲しみに打ちひしがれる必要はないんだよ」
――あんたにはもう素晴らしい人達がいるんだから。
彼女はそう言い残すと、異次元に引きずり込まれている地獄の神グラディウスの方へと歩き出す。
待って……と弱々しいながらアレンは小さく呟いて動かそうとした。
しかし、体に激痛が走り動くことは叶わない上に、彼に背を向けた少女――シェリー・ハロルドはその呟きを聞こえなかったかのようにそのまま敵の方へと歩み続ける。
「さあ、行こうか。私が帰り路まで案内してやるよ。もっとも、お前は冥界の王にきっちりと絞られるだろうがな」
このような状況でも、彼女は勝気な態度で、もがいているグラディウスに対して笑うと自らも黒い空間へと足を踏み入れる。
シェリーが神に触れて、力を入れた瞬間。
神が持っていた手は滑り落ち、穴の中へと引きずり込まれていくと、大きく浮かんでいた穴は消え去り、辺り一帯は夜空煌く静かな森へと戻っていく。
アレンは何も言わずにその姿を見届けた瞬間、一つの涙を流しながら、森の中心部で意識を失った――
◇◆◇
真っ暗闇の中。
そこには一つの光が存在していた。
その光はとても暖かく感じると同時に今にも壊れそうなほど脆いものであったが、彼はそっとそれに触れると何処か懐かしい気持ちを覚えるかのように一つの事を思い出す。
(ああ、これは……)
三大組織の「ソルド」に入ると決めた時に封印したあの時の記憶。
アルバムのようにまとめられており、彼は淡く光るそれに触れると、家族との……幼き自分と姉のシェリーとの思い出が蘇る。
家族皆で行った花見。姉と一緒に行った夏祭り。寒い日に二人で遊んで作った雪だるま――
そうそう、近所のおじいさんの家にあった柿の木を毎年秋ごろに姉さんと一緒に貰って帰っていたっけ……。
いつも、姉と一緒に過ごしていた幼少時代。
幼少の頃に親を無くした僕達だったが、姉は母親のようにいつも接してくれた。
鎖のように複数の記憶が蘇ってくる。
それは大事にしていたと同時に恐れていたモノでもあった。
(そうか、そうだったのか……)
あの頃は思い出すのを恐れて怖かった。
思い出すと、前に進めず、自ら決めたことが実行できなくなると感じていたから。
でも、今は――
目の前にもう一つの光が現れ、彼は手を触れると、様々な人の顔が浮かび始める。
幼馴染でよく遊んでいたノエル・イザベラ。
この道の世界を教えてくれたミラン・クライド。
上司として厳しくありながらも優しさを兼ね持つアドルフ・クライド。
そして――パートナーとしていつも仕事を支えてくれたウィル・アーヴィン。
彼らの屈託な笑顔が彼の中に浮かび上がる。
絶望の淵に立っていた彼から救い上げてくれた人たち。
彼らのおかげで今の自分がある。
(もう……独りじゃないんだ)
最後にシェリーが言った言葉を頭の中で反芻させる。
――あんたにはもう素晴らしい人達がいるんだから。
ああ、こういう事だったのか。
彼は彼女の言葉の真意を知ると、自嘲気味に表情を曇らせる。
最後の最後まで、姉さんに助けられてばかりだったな。
でも――姉のために感じていた負の感情は不思議と感じることはない。
寧ろ、何処か清々しい気持ちを感じながら彼は笑った。
その時、彼の目の前に浮かんでいた二つの光は浮かび上がり、交差して弾けるとまるで舞い上がる雪の様に降り注ぎ、一つの白い扉が彼の前へ立ちはだかった。
彼は淡く金色に輝くドアノブに手を掛け、一歩ずつ歩き始めると扉の向こうへと消え去った。