第一話
「――っ」
妙な息苦しさを覚えて彼はうっすらと目を開けた。
目を開くとそこはあの血生臭い倉庫の中ではなくいつも寝起きをしている組織の寮の一人部屋。どうやら夢を見ていたらしい。
時刻は深夜零時を過ぎており、辺りは闇に包まれている。
唯一、窓から入る月の光が彼の姿を淡く照らしていた。
「そうか、あれから十八年か」
当時十にも満たない少年だった彼はとある出来事で唯一の肉親であった姉を亡くしていた。
今、その時のことが夢に出てきたのだろう。
「姉さん……」
あの時、どうして彼女を救ってあげられなかったのだろう。何度も悔やんでも悔やみきれない。無意識のうちに彼の手に力がこもる。
「一体、誰が姉さんをあそこまで追い詰めたんだ……」
走馬灯のように姉との思い出が蘇ってくるが、少年は首を横に振りあの時の記憶を思い出さないように努めた。
今思い出すと前に進めなくなる、と思い泣きそうになるのを堪える。
「――楽しかったあの日々は二度と戻らないんだ……。でも、せめて……せめての償いとして今は姉さんの真実を暴くためにこうして生きてる。真実が分かるまで死ぬわけにはいかないんだ。」
彼はそう呟いた後、体勢を整えてもう一度ベットに入りなおすが中々寝付けない。
再び深い眠りについたのは日が明るく始めた頃だった。
◇◆◇
「……、……レン、アレン!」
突然、耳元での大きな声にベットで寝ていた青年は飛び起きた。
寝ていた彼は大声を出され、不機嫌そうな表情を浮かべており、横を見ると煌いた銀髪を揺らし眉をつり上げた碧眼の瞳を持った青年が彼を見つめていた。
起こされたアレンは眠そうに目を擦っている。
「なんだ、ウィルか。どうしてそんなに怒っているんだ?」
するとたちまちウィルと呼ばれた青年の表情は呆れた表情へと変わっていき小さく溜息をついた。
「どうして怒っているのか?それは時計を見てから言ってください」
「……時計?」
訝しげにアレンはベットの真横においてある目覚まし時計の時刻を見やる。
シンプルなデザインが特徴的な目覚まし時計が指している時刻は午前九時。
すると彼は納得した表情を浮かべた。
「ああ、今日も遅刻したな」
「今日も遅刻したじゃないですよ!何回遅刻したら気が済むんですか!」
「……少し考え事してて眠れなかったんだよ」
小さく欠伸をしもう一度寝ようとベットに身を潜らせる。
だが、ウィルはいい加減にしろと言わんばかりの表情で彼を見やり、すかさずアレンの上にかけてある布団を引っ張り上げた。
「もういい大人なんですからそんなのは理由になりませんよ。それとそれ以上寝続けると言うのであればどうなるか分かってますよね?」
淡い碧眼の瞳が彼の真紅の瞳を見据える。
その目からは早く起きないと酷い目にあわせますよ?と言っているようだった。
「……わかったよ」
流石にそのような目で見られ恐怖を感じたのか、アレンは渋々かけてあった布団を取りまだ小さく欠伸をしながらもゆっくりとベットから起き上がった。
パジャマからフードの付いた漆黒の服に銀色の縁を彩られたいわゆる組織服と呼ばれるものに着替え部屋から一歩出る。
既にウィルは彼を起こした後、組織に戻り他の仲間も既に仕事に行っているようだった。
「ったく……。今日は休日なのに何で臨時出勤しなきゃならんのだ」
アレンは未だ文句を言いながらも一歩ずつ足を進めていき、寮から出た後彼が所属している組織「ソルド」へと向かっていく。
この国“アルマヴィオラ”では、三つの組織によって成り立っている。
「ミーティア」「ソルド」「ラルフ」
ミーティアは現在この国の主権を握っている一番の組織であり、ソルドはこの国唯一の対立派である。
一方、ラルフはこの二つの組織とは違い、中立を図っている組織であった。
彼が対立派のソルドへ所属した理由。
それは唯一の肉親であった姉の死の真相を知るためだ。
別にミーティアやラルフにも所属しても良かったのだが、この世の中が理不尽な世界であることに不満を持っていることや姉自身もソルドに所属していたこともあり二年前、今の組織に所属したのだった。
多くの家が立ち並ぶ細かい路地を抜け、額からにじみ出る汗をコートの袖で拭きながら歩くこと数十分。
この国の南側にある都市・ヴィオラでもっとも目立つであろう建物の前に辿り着いた。
建物は漆黒で覆われ、十字架のデザインが施されており、はるか昔、魔物が信じられていた時代に彼らから身を守るために必ず持ち物には施されていたといわれる水晶やサファイアを用いた宝石の護符が門のいたるところに散りべばめられている。
一般人が見たら間違いなく怪しいオカルト集団の建物だと勘違いするだろう。
実際、アレンが初めてこの建物の前に来た時は、異様な雰囲気に驚きを隠せなかったほどだ。
彼は散りばめられた宝石の護符が目立つ門に手を当て静かに目を瞑る。
その瞬間、微塵にも音を立てず門が開いた。
いわば、この技術は他の国の技術で使われている指紋認証技術のようなものであり、自分の精神を機械に登録した人間のみしか開くことは出来ない。
万が一、登録した人間以外の人物が故意に開けようとすると高電圧の電気ショックが体中を巡り感電死してしまう。
アレンは門を潜り奥にある茶色い古びた扉に手をかけた。
扉を開くと、既にメンバーは仕事を始めており、書類の整理に追われる者やこれから仕事に出かけようと準備をしている者がちらほらと見受けられた。
慌しく人が行きかっている中で、一つの視線がアレンを睨みつけていた。
その人物は部屋の中心にあるデスクに座っており、茶色の髪を撫でつけ、黒縁眼鏡の奥から漆黒の瞳を覗かせている。
「やっと来たのか?」
低い声音でアレンを睨みつけていたのは彼の上司に当たる人物のアドルフ・クライドである。
「申し訳ありません」
アレンは彼のデスクに近づき、視線を無視しながら感情がこもっていない声音でそう言って頭を下げた。
その様子を見てもアドルフは表情を揺るがせず、厳しい面持ちで彼を見つめている。
「もうこれで何回目だと思ってるんだ?お前が“普通の奴”なら即クビになってるぞ?」
「はい……。以後、気をつけます」
「もうその台詞は聞き飽きた」
アドルフはもういい加減にしてくれという表情を浮かべて小さく溜息をつくと、彼はデスクの上においてあるさまざまな資料に目を落とし、とある資料数枚をアレンに手渡した。
「仕事だ。お前は、遅刻したんだからな。きっちりと働いてもらうぞ」
「分かってますよ」
彼はアドルフに対して苦笑いを浮かべながらも手渡された資料に目を通す。
重要な書類と言われ、渡された紙はたったの二枚だけで、アレンは不思議に思うが、口には出さない。
彼は畳んである一枚目の紙を開いた。
そこにはこの国の主要となる部分の地図――この国で利用されているもっともポピュラーな全国版の地図が詳しく載ってあった。
軽く目を通して閉じた後、一枚目よりかは少し小さい二枚目の紙を開く。
こちらは一枚目とは違い、今回の仕事内容について書かれてあった。
「今回の仕事は……アレシアの第五地区?アレシアはミーティアの管轄じゃ?」
アレンの言う通り、この国の三大組織の一つミーティアはこの国の北側のアレシア地域を本拠地にして活動をしている。
無論その周りの出来事はミーティアが全て管理しており、アレシアとは反対側に位置するヴィオラに活動拠点を置いているソルドが手を出すことは無い。
「確かに、お前の言うとおりだ。だが、状況が変わったらしくてな」
「状況が変わったとは?」
資料を横目に見ながらもアレンは眉をひそめ、データ入力に勤しんでいる彼の姿を見据えた。
「まあ……詳しいことは向こうに行って聞いたほうがいいだろう。お前のパートナーのウィルも一緒に行くようにな」
「……?わかりました」
上司の様子がおかしい、とアレンは訝しげに思い少し頭を傾げながらも資料を一通りざっと読み終える。
そして、踵を返し窓側にある自分がいつも座っているデスクへと腰を下ろした。