1話 文字のお勉強
やがて成長し、五歳になったヴィーナは、不自由のない充実した日々を過ごしていました。
朝の麗かな日差しが部屋に目覚めを伝えにやって来る時間に起きて、王族らしい豪華なご飯を食べて、大好きなバラへ水をやって、三時になれば甘い甘いお菓子を食べます。
しかし、物心がつき始めたヴィーナは、平和で何も起きない日常に飽いてしまいました。
もっとおもしろいことはないのだろうか?
どうして何も起きないんだろう?
そんな疑問を、いつも頭の片隅に置いていました。
「ヴィーナ様。今日は文字のお勉強です」
ヴィーナに仕えている召使いが、彼女の部屋までペンと紙を持ってやって来ました。ヴィーナは勉強が嫌いではありませんでした。彼女にとっての勉強は、退屈を紛らわしてくれる唯一の時間だったのです。
「このもじはなんとよむのですか?」
金属で装飾された執務机の上に広げられた教科書を見つめて、ヴィーナは召使いに問います。
言葉を話せるようになってから、王族としての振る舞いを教え込まれたヴィーナは、とても丁寧な口調で話せるようになりました。しかし、丁寧な言葉を選べるからといって、五歳の彼女はまだまだ舌足らずです。
「これは‘愛‘と読むのです。」
「あいとは、どのようないみなのですか?」
「愛は、誰かのことを愛おしく、大事に思う気持ちです。考えるだけで心があたたくなるような…。ヴィーナ様にはまだ早い言葉でしょうか?」
召使いの説明に少し頭を捻ったヴィーナは、いいえ、と美しく微笑みました。
どうやら、愛の意味がわかったようです。
「だれかをだいじだとおもうきもち…わたくしは、おかあさまとおとうさまがだいじです。これが、あいというかんじょうなのでしょう?」
「ふふっ…ええ、そうですね」
ヴィーナは年相応の可愛らしい笑顔を浮かべて、また教科書の文字へ目を配らせます。彼女が知らない単語は、胸のときめきを促成する燃料になりました。
「これはなんとよむのですか?」
「‘希望‘です。人々の心に光を与えてくれる、そのような意味でございます。あとは…こうなればよい、と願うことですね」
またもや召使いの説明に頭を捻ったヴィーナでしたが、先程よりも早く意味を理解できたようです。
彼女はキラキラとした笑顔を召使いに向け、語り始めました。
「では、わたくしのきぼうはおかあさまのようなうつくしさをてにいれることですわ。」
ませた子供のように、恍惚とした表情でそう語るヴィーナには、願わなくとも美しい容姿があったのです。しかし、幼いヴィーナにはそれが理解できていないようでした。
理解ができない要因は、ヴィーナの姫という立場にあったのです。
姫は、簡単に民衆へ姿を現すことが出来ないのです。それこそ、姫が悪い人に捕まってしまってはいけませんからね。同じ年の女の子と会ったことがないヴィーナは、周りの女性と自分の容姿を比べてしまっていたのです。
「…ヴィーナ様であれば、いつか必ず手に入ります」
召使いは、ヴィーナに負けないくらいの穏やかな笑みでそう言いました。
「あら、これはなんとよむのですか?」
「これはですね……」
ヴィーナの文字の勉強は、一時間ごとに王都に鳴り響く鐘の、鐘三つ分まで続きました。