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2 スワンプマンについて


 灯り出した街灯が、スポットライトのように少女を照らし出す。夜がすぐ近くまで来ていた。日が暮れるとなんでもないのに焦燥感にとらわれる。


 生まれ変わりがあるかどうかを確かめる前にまず死ななければならない。

 痛いのが怖いのに、死ぬなんてもっての他だ。

「あのさ、それってひょっとして心中の誘い? だとしたらごめん被る。俺はまだまだ生きていたいし、一緒に死ねるほど俺ら仲良くないだろ?」

 俺の質問に戸部はゆっくり首を横に動かし、続けた。

「そういうのじゃないわ……。私は可能性の話をしているの。キミは死んだらどこに行くと思う?」

「死んだことないから、知らないけど……昔読んだ漫画に天国とか地獄とか特別なもんは何もないって書いてあったぞ。無、だってさ」

「魂の在りかについて言ってるの。魂があるのなら、それはどこに存在するの。頭? 心? それとも肉体ではないどこかの精神世界? ……よく魂は21グラムと言われているわ」

 少女は人差し指を一本たてて、それを教鞭のようにくるりと回した。

「死ぬ前と死んだあとで体重を計ったら21グラム軽くなるそうよ。ダンカン・マクドゥーガルが百年前に行った実験で、個人的にも、事実とは言いがたいけど、魂があるのは間違いないでしょ?」

「宗教でも入ったら? 少なくとも難しいことは全部教典に書いてあると思うぜ」

 皮肉を少女は無表情で受けた。

「……そうね。有名な思考実験でスワンプマンというのがあるのだけど、知ってるかしら」

 知らなかったので首を横に振ると少女は嬉しそうに頬を綻ばせた。人間は元来教えたがりだ。

「同一性やアイデンティティに関する思考実験よ。

 ある男がハイキングに出掛け、不運にも雷に打たれて死んでしまう。だけど雷が近くの沼の汚泥と特殊な化学反応をおこし、男と同形質の生物を生み出してしまう。これが沼男(スワンプマン)。沼男は男が暮らしていた街に戻り、男と同じように暮らしていく」

「それで?」

「終わり」

「え、終わり?」

「自己の同一性についての思考実験と言ったでしょ? この場合の魂はなんなのかというのが問い掛けよ」

「よくわからないんだけど……」

「……そうね。じゃあ、ワープ装置をイメージして」

 言われた通りにイメージするが、貧困な想像力でできたのはどこでもドアだった。

「そのワープ装置はキミを分子レベルで分解し、ワープ先で再構築するものよ」

「ふむ。それで」

「キミは一度バラバラになっているけど、記憶は確かに引き継いでいる。これは自己の同一性が保持されていると言えるわね?」

「そうだね」

「じゃあもしこのワープ装置がファックスだとしたら?」

「は?」

 ファックスって、電話についてる紙媒体を読み取って、出先で印刷する、あれのことか? 使ったことないけど、家の電話にそういう機能がついていることは知っていた。

「あなたを構築する要素を読み取り、ワープ先で再構築する。つまり、あなたがこの世に二人いることになるわ」

「え、なんで?」

「コピーとオリジナル。どちらも同一の記憶を持っている。その場合の魂はどこにあるの?」

「そりゃ、オリジナルだろ」

「コピーは?」

「え、いや、同じ記憶を持ってるから、……あれ」

「例えばこれでオリジナルを殺害したら、出力先にはあなたと同形質の物体が一つだけになるわ。それも一種のワープでしょ」

 ゾッとしたが、あくまで仮定の話だ。この世にワープ装置なんてない。

 無言になる俺を見て少女は面白そうにくすくす笑った。

「つまり自己というのはあやふやなモノなのよ。いろんな説があるから確かなことではないけど、全身の細胞は三ヶ月で全部入れ替わるらしいわ。連続する記憶がなければ三ヶ月後のあなたは今のあなたとまったくの別人と言って相違ない。自己を自己とたらしめるものは魂しかないの」

 彼女はそう言いきると浅く息をついて、真正面から俺を見つめてきた。黒い瞳に街頭の灯りが宿りキラキラと輝いている。

 一見哲学的なことを話しているようだが、噛み砕いて考えてみれば、単純な話だ。

「グダグダわけのわからないことを言ってるけど結局は魂の在りかについて考えるんだろ?」

 話が長いのは嫌いだ。だからはっきりさせることにした。

「魂はただの意識だ。意識はちょっとばかし複雑な脳の電気信号だろ。死んだら電気信号も途切れて終わり、あとにはなにも残らない、これで証明終了だ」

 言い放ってやった。少しだけ気持ち良かった。

 少しだけ肌寒い風が頬を撫でた。

「やはり、キミは思ったよりも頭がいいわね」

 にたりと少女は俺を見た。

「青村明音くん」

「……なんだよ」

 突如フルネームを呼ばれて、少しだけイラついた。自分の名前が嫌いだからだ。

 男なのに女の子みたいで、大抵自己紹介で名乗るとそれが原因で冷やかされるから、俺はいつの間にか人と距離をとるようになっていた。

「このあと暇?」

「家に帰る」

「門限は?」

「特に無いけど……」

「キミの実家相当お金持ちでしょ? 厳しい躾があるとイメージしてたけど、そんなことないのね」

「デリカシーがないヤツだな。そんな金持ちでもないわ」

「取り繕ったって意味無いわよ。素直に言うと私はキミが羨ましいの。この辺りで青村工業を知らないヤツはモグリだもん」

 家業の話だ。江戸時代から鋳物造りを生業とし、貧乏ではないのは確かだったが、他人に言われて、心地の良いものではない。

「ほっとけ。じゃあ、俺、こっちだから」

「私もそっち」

 分かれ道に差し掛かったので、これ幸いと道を外れようとしたら、戸部は俺と同じ方向に歩き始めた。気まずい。


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