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1 確証バイアスについて


 好きな小説の新刊が出たので、授業そっちのけで読んでいたら、先生にバレて放課後呼び出しを食らった。

 関係ないのに生活態度についてグチグチ言われ、「へぇーへぇー」と流していたら、「態度が気にくわない」と火に油を注いでしまい、しまいには「俺の若い頃は」と昔話が始まってしまった。

 神妙な表情を作って頷くことで誤魔化すも、説教に終止符を打たれたのは、空もすっかり茜色に染まる頃だった。


 時間を無駄にしたと肩を落としながら教室に戻ると、女生徒が窓辺でぼんやり空を眺めていた。

 雲が黄金色にたなびき、空は茜色に染まっている。そんな景色を背景に彼女は教室のドアを開けた俺を見やると、いたずらっ子めいた瞳でにんまりと頬を吊り上げた。


「死んだと思ったら異世界転生してて気づいたら世界を救っちゃった件について」

 ぼそりと彼女は呟いた。それは俺が授業中に読んでいたら小説のタイトルだった。バカにされたと思ったら、気のせいか少し体温が上がった。

「エピソード3、夜空を煌めくファイヤーバード」

 サブタイトルまでバッチリだ。

「おもしろいよね。私も好き。特に作中にファイヤーバードが一切出てこないところが素敵」

 まさかの発言に一瞬呆気にとられる。

 窓の向こうでカラスが一羽、鳴き声をあげて羽ばたいた。


「……意外だな。そういうの読まなそうなのに」

 自分の机の上に鞄を置いて、引き出しの教科書を取り出す。ちらりと横目で彼女の様子をうかがうとイタズラっ子めいた瞳でこっちを見ていた。

「失礼ね。こう見えても私の図書の貸し出しカードはファンタジー小説で埋まっているの」

 物覚えが悪く、未だにクラスメートの名前を全員言えないが、彼女の名前は知っていた。

 戸部小梅。

 成績優秀で人当たりの良い性格と恵まれた容姿を持つクラスの人気者だ。彼女の陰口や悪口を聞いたことは一度もなかった。

 一方俺はといえば、明るい性格の人が苦手で、本ばかりを読んでいたら、いつの間にか孤立していた。

 断っておくが、コミュニケーション不全という訳ではない。用もないのに誰かと会話するのが嫌いなのだ。

 とはいえ、一対一で無視するわけにも行かず、得意の当たり障りのない会話でその場を切り抜けようと画策していたところ、彼女は鞄を持って立ち上がった。

 どうやら帰宅するらしい。

 会話の糸口を見つけらずにいたので、ほっと一息ついて自分の鞄に宿題のプリントをつめ、帰宅の準備を進めていると、机の上に影ができた。

 顔をあげると人形のように整った戸部の顔があった。

「一緒に帰ろ?」

 意図がわからない。


 にべもなく断るのもなかなか難しいし、クラスに溶け込むには円滑なコミュニケーションスキルが必要で、戸部を敵に回すのは賢い行いではない。

 春の夕暮れは花の香りが夜風に混じり、幻想的な一時だった。俺たち二人の影も長くなり、坂道に伸びていた。


「ところで見越し入道って知ってる? 」

 脈絡もなく戸部は呟いた。

「なんだ、それ」と訊ねると、少女は得意気に口を開いた。

「妖怪よ。夜道や曲がり角に現れるヤツなの。向こうに人影があり、それがこっちに近づいてくる。近づけば近づくほど大きくなり、ついには巨人が現れる。それが見越し入道」

「聞いたこともない」

「わりかしメジャーだと思ってたけど……まあいいわ、実はここ、昔そいつが出たという伝説があるの」

 坂の入口に黄色い杭が立てられ、「見越坂」と綴られていた。

 車道を原付バイクがエンジン音を響かせて走っていった。街路樹として植えられた桜はすっかり花を散らし、春の終わりを告げていた。

「見越し入道を見上げると後ろに倒れて頭をぶつけて死んでしまう、対処法としては地面に目線を落として、見越し入道見越した、と唱えればいいそうよ」

 一生使わないであろう無駄知識をありがとう。

 そういう皮肉を飲み込んで、俺は、ふーんと喉を鳴らした。

「妖怪はね、噂が積み重なって生まれるのよ。人間は現象に名前をつけたがるから。見越し入道の正体だって、どうせ壁に投影された自分の影とかに違いないわ」

「そんな単純なもんかね」

「人は都合の良い生き物で、見たくないものは見ないし、見たいと思ったら枯れ尾花でさえ幽霊に見えてくる。心理学でいう確証バイアスというものよ。死んだと思ったら異世界転生してて気づいたら世界を救っちゃった件について、もそう」

「話がつながる要素がないだろ」

「現実が辛ければ空想を巡らせ、現世が辛ければ来世に期待する」

「なにを突然わけのわからないこと言ってるんだよ。自殺志願者だってそんなめんどくさいこと考えないぜ」

「キミはこんな風に思ったことはない? いまの自分の立場をまるっきり変えられたら、と」

「無いと言ったら嘘になるかも知れないけど、……そんな深く思ったことはないな。戸部もそうだろ?」

「いいえ、私は自分が嫌い」

 小市民なら納得できる発言だが、人から好かれるタイプが言う台詞ではなかった。およそ彼女は人気者で、彼女を嫌う奴は存在しないと言い切れるほどよく出来た人間だったからだ。

「この世から消えてなくなりたいのに、世間体や同調圧力で、優等生の仮面を被って、行きたくもない学校に毎朝ちゃんと起きて時間通りに通う、そんな私をぶっ壊したいの」

 仮に彼女が真剣に悩んでいたとして、その苦悩を俺に相談する意図がわからなかった。

 ろくに話したこともないクラスメートという繋がりだけの薄い付き合いだからだ。

「だから、空想するの」

 空想。空想って英語で何て言ったっけ。

 ファンタジー?

「空想は私のような矮小な考えを持つ人が生んだ言葉よ。輪廻転生だってそう。死ぬことが怖い人間が来世を想像することで死に救いを求めたの」

 どうやら難しい話が好きな女のようだ。

 戸部は猫が撫でられたときにするように、目を細めて俺を見た。

「結局、なにが言いたいんだ?」

 戸部は半歩前に出ると、くるりとスカートを翻し、俺を真っ直ぐに見つめてこう言った。

「ねぇ、ちょっと、私と異世界に行ってみない?」


 坂をちょうど上りきったところだ。日暮れの町を一望できた。空は赤から紫へと段々と変わり、夜の色が徐々に拡がっている。ぞわぞわと背筋に悪寒が走った。

 色々と痛い。

「あの、さ……」

 思春期特有の妄想症(パラノイア)だ。将来枕に顔を埋めて足をバタバタしたくないので、お断りを入れようとしたが、俺の言葉を遮って彼女は続けた。

「人は想像することで救いを見いだす。見越し入道にしてもそう、現象に名前をつけて、恐怖を和らげ、解決法をセットにして克服する」

「……意味がわからないんだけど」

「シンプルに言えば、今が辛いから、カッコいい自分を想像したいの。もっと噛み砕いて言えば、私は異世界転生したい」

「……すれば?」

 生憎俺はまだ死にたくない。


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