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異種族趣味の管理者【アドミニストレータ】  作者: てんとん
2章 開始:βテスト版
19/33

17話 でーとwithナタリー

「おはようございます、マスター」


 耳朶を打つ、優しい雨音の如き声音に、体の両側から感じる熱。

 ふわふわと、揺蕩うような優しい気づけに瞼を開くと、水色の笑顔が俺を覗いていた。


「ふぁ……おはよう、アーティ」


 伸びをしようと両手を動かす。手を頭の上に持ってくるまでに、ささやかな抵抗があった。


「が……ぉ」

「が……ぅ、お母さぁん」


 ケモミミの少年少女が、俺の半袖パジャマの裾を掴んで幸せそうに眠っていた。視線をアーティに戻すと、目が合った。彼女と頷きあって、起こさないよう俺ももう少し眠ることにする。

 メニュー画面を見ると現在時刻は午前6時、まだ起きるには早いだろう。

 ミカとナタリーも起きていないみたいだし。贅沢な二度寝をしよう。


「なぜでしょう、とても愛らしいです」


 アーティはぽつりと呟いて、ふにゃっとした笑顔で二人の頭を撫でる。

 瞼の向こうで、そんな頬を緩めている彼女が浮かんでくるようだ。


「子供はそういうもんだ」


 落ちかけた意識の中、最後にそう言って、俺はまた微睡まどろみに身をゆだねた。



 少しだけお別れだと、ガォとガゥ説明したところ、しがみつかれた。その双眸そうぼうからは今にも水滴が零れんばかりで、悪いことをしたという気になってくる。


「ごめんなガォ、ガゥ。俺らは一旦転移しなくちゃならないんだ」

「がぉ、いや!!」

「がぅ、一緒にいるって言った……!!」

「離れるのは今回だけだ、そんなに時間はかからない。それに、アーティが一緒だ」


 ガォとガゥがはくるりと視線をアーティの方に向けた。潤んだ目で、じっとアーティを見つめる。

 そんな二人にアーティはふわりと微笑むと、しゃがみ込んで二人の頭に手を置いた。


「……お二人を私の部屋に招待しましょう! まだマスターしか入れたことないんですよ?」

「がぉ、……」

「がぅ、いっこ、約束、して」


 俺とアーティの間で視線を彷徨わせたガォとガゥは、どちらを見るでもなく、地面へと顔を伏せる。

 躊躇いがちに開閉していた、二人の幼さを感じさせる小ぶりな口が、年不相応に歪みながら大きく開かれた。


「がぉ、僕らを置いて、いなくならないでぇ……!!」

「がぅ、誰にも理解されないのは、もう、嫌!!」


 ぽろぽろと、頬筋を大粒の涙が伝ってゆく。

 それは、純粋な子供の感情の発露で。これまでのガォとガゥ、二人の態度は少し強がっていたんだなって。

 親から少し離れて、迷子になってしまった子供のようで。きっとどうしようもなく不安で、悲しくて。

 誰にも理解されなかった、そんな二人にやっとできた『俺ら』という仲間が、今、また彼らを置いて行ってしまおうとしてるんだ。

 ……やばい、俺までうるっと来た。

 ガォとガゥの後頭部にそれぞれ片手をあてがい、がばっと抱きしめてやる。

 ナタリー達も感じるものがあったのだろう。しゃがみ込んで、皆でガォとガゥを囲い込んで、抱きしめた。

 ――大丈夫だ、俺らは誰もお前らを見捨てたりしないから。

 きっと、皆そんな思いを込めて。



 エレベーターで階下へ降りるときの様な一瞬の浮遊感の後、意識が覚醒へと向かう。

 瞼を開けても、そこは暗闇で。

 ――なんか、めちゃくちゃいい匂いがする。


「……んぁ?」

「むぐぅ!」

「……ん~?」


 ポカポカと、頭を叩かれる感触。体の下のむにゅりとやわらかい感触。

 これは……?

 柔らかなモノに触れないように、その下にあるソファーと思われるものに手をついて状態を起こす。

 背中に抵抗を感じるが、起き上がれない程ではない。

 開けた視界で俺の下を見ると、ナタリーが顔を真っ赤にして涙目でこちらを睨んでいた。

 自らの体をかき抱き、プルプルと震えている。

 ……うわ、なんだこの背徳感。まるで俺がナタリーを襲っているような。


「け、結婚前の乙女に何するですか……!!」

「いや、すまん! 不可抗力だ、目が覚めたらナタリーの上にいたんだよ!」


 そういえば、ミカの姿が見えない。

 そう思っていると、ぬうっと長い手が背後から俺の首元に伸びて来た。

 ぎゅうと後ろから抱き着かれ、背中にぷよんと幸せな感触。


「~♪ タクムくん、背中大きいねぇ」

「何してんのお前!?」


 ばっと背後を振り返ると、超至近距離にミカの顔が。

 にやりとした妖艶な笑みを浮かべ、頬を少し赤らめた、破壊力抜群の表情。


「んふふ……ふ~ぅ」

「――――――――ッ!?」


 耳に生暖かい感触。

 吹きかけられたミカの吐息に、背筋からぞぞぞっと何か這い上がってくるような。

 全身に鳥肌が立って、顔が熱い。


「あっ」

「……ふぇ?」


 背中に乗っているミカの体重と、耳から伝わる感触とで、上体を支えていた腕からカクリと力が抜けてしまった。

 下にいるのは、間抜け顔をしたナタリー。

 ――どさり、二人分の体重が仰向けになっているナタリーのお腹にのしかかる。


「にゅぐぅあ!? タクムぅ、ミカぁぁ……!! 重いぃ……の、ですよぉ!!」


 俺を退かそうと両手で押し上げるが、力が足りないナタリー。

 せめてもの抵抗に、両足をバタバタと動かした。


「おわ、すまんナタリー! おい、ミカ……?」

「あは、ごめんごめん」


 ミカが、ぱっと体を起こす。次に俺が退こうと、ソファーに手をついたところで、


「えいっ!」


 どん、と俺の背が押された。


「おわっ!?」

「ふぇ!?」


 ナタリーに向かって倒れるのを、すんでのところで手で制動を掛ける。

 目と鼻の先に、もう真っ赤に染まり切った彼女の顔があった。


「タクム、これで三度目ですよぉ……?」

「す、すまん」

「お二人さんは明日デートなんだから、お互いを意識しまくったほうがいいよね~」


 もう疲れたのか、ナタリーが俺の肩を優しく押し返す。

 俺がソファーから退くと、ふしゅ~と煙を上げる位に真っ赤な顔でうつむいた。


「……さっき向こうで寝たのに、また眠くなってるのが変な感じです」


 暫く俯いて、足の親指どうしをくっつけては離し、くっつけては離し。照れ隠しをする様に、ナタリーがぽつりとつぶやく。

 部屋の時計に目線を送ると、12時20分くらいを示していた。

 吹っ切れたように、ナタリーがどんと音を鳴らしてソファーから立ち上がる。


「――それはそれとして、ミカは許さんですよ……!」

「ごめん、ごめんってば~!」


 ミカが浮きながら、ナタリーが箒に乗って廊下を駆け回る。せっかく直ったんだから、家を壊さないでほしいんだが。

 ……アーティやガォガゥが来るとなると、この家も少し狭いかな。ミカの力で増築できないものか。

 そんなことを考えながら、二人の背中を追って二階へと足を踏み出した。



 ピピピッと、起床時刻を主張してくる目覚ましを平手一発入れて黙らせる。ぐぐっと伸びをしてカーテンを開けると、部屋の窓から見える景色が少し違っていた。

 ……そういえば、俺の部屋にミカとアーティが陣取ったから空き部屋を使っていたんだっけか。

 部屋から出て、欠伸をしつつ階段を下り、リビング兼キッチンへ。

 ばっと冷蔵庫を開けて見てから、朝食作りにかかる。

 ……今日はフレンチトーストと、インスタントのコーンポタージュスープにサラダかな。大体食パンに目玉焼きで済ませていたけど、女の子が家にいるのだし、見栄を張りたい。

 六枚切りのパンに牛乳を染み込ませ、といた卵に砂糖を入れ、それをさらにパンに染み込ませる。後はバターをフライパンに引いて軽く焦げ目がつくまで焼けばフレンチトーストの完成だ。とても簡単だ、一人だとめんどくさくてやろうと思わないが。

 『アナザ・ワールド』内でもこのくらい作れればなぁ。フライパンとか向こうに持っていけないものか。そんなことを思っていたら、ドタバタとミカとナタリーが二階から降りてきた。


「ご飯もうちょいでできるから待っててくれ~!」

「手伝うのです」「ワタシも~」


 フレンチトーストの甘い匂いにつられるようにまずナタリーがリビングへと。

 続いてミカがふわふわと浮きながら後へ続く。両者とも甘い香りににへらと相好を崩していた。


 ミカとナタリーには食器の用意を手伝ってもらった。そのついでに粉末タイプのコーンポタージュをナタリーに入れてもらったのだが、お湯を入れてかき混ぜ、ちょっと試飲した後そのおいしさに驚いたようだ。

 「魔法です!? お湯が、お湯が!?」と纏わりついてきて料理ができないので、これは魔法の粉だと嘘をついて誤魔化しておいた。すまん、覚えてたらちゃんと説明するからお許しを。

 俺だって日本の常識を知らず、只の粉末にお湯を入れただけで様々な美味しいスープができたなら、それこそ魔法だと思うだろうな。

 そんなごたごたもありつつ食事の準備が終わり、三つの種族で合掌をし、ご飯を食べる。

 あまり時間を過ごしたわけではないが、ここにいないメンバーを思うと少し物足りない気がした。


「タクムくん、今日はナタリーちゃんとどこ行くの?」


 もう使い方を覚えたのか、器用にフレンチトーストを箸でつまんで食べていたミカから質問が飛んできた。映画云々の話は魔法界でしてたから、多分詳細な今日の予定を聞いているのだろう。


「まずナタリーが見たいっていう映画を見に行く。その後昼飯食べて、プレゼント選びだな」


 ピクリとナタリーの肩が跳ねる。流し目でそれを見たミカは意味深ににやりとした。


「ワタシは『アナザ・ワールド』のアップデートが来たらやっておくよ。ガォくんとガゥちゃんが、タクムくんたちが帰ってくる前にこっち(地球)に来るかもね」


 ミカ先生のからかいタイムが始まるかと思ったが……以外にも話題を変えて来た。からかわないんだったらさっきのにやけ顔は何だ?


「それじゃ、昨日アイスを買ったコンビニで昼飯を買ってやってくれ」

「りょ~か~い。お金はワタシが出しとくね」


 ずびしと箸を持った右手で敬礼をするミカ、行儀悪いからやめなさい。

 会話に入ってこないナタリーが、心ここにあらずといった感じでぽけーとしている。今更俺と二人で出かけることに緊張なんてないはずだけどな? 出会いから二人で同衾までした仲だ……いや改めて考えると何してんだ俺、余裕がなさ過ぎて変な行動をしていたんだなあ。


 ふわふわ浮ついてるナタリーを現実に引き戻すように、ミカが何か耳打ちをした。

 ナタリーの頭が凄まじい勢いでコクコクと振られている。

 ……なんだろう? ミカの入れ知恵なんてロクなもんじゃあない気がするんだけど。



「……準備できたです!」


 時間間隔がおかしくなりそうだが、ブティックに行ったのは、地球では昨日のことか。試着していた灰色のチュニックに、白のティアードスカートという出で立ちで、ナタリーが姿を現した。頭には黒のカチューシャが付けられており、彼女のその銀髪と白い肌との対比が美しい。やはり普段の子供っぽい印象からは想像できない、白雪はくせつのような美しさと可憐さがある。

 なぜ女の子は衣装一つでこうも変わってしまうのか。


「……じゃあ、行くか」

「はいです!」


 考えていたことは流石に口に出せない程恥ずかしいので、少し熱くなってしまった顔を見られないように、玄関のドアを開ける。

 ……返事がぶっきらぼうになってしまっていないだろうか?


「行ってらっしゃ~い、楽しんできてね~!」


 そんなミカの声に見送られて、俺らは町のほうへと歩き出した。



 一軒家を出て、商店街の方へ向けて歩いていく。

 徒歩で三分も歩けば、賑わう雑踏だ。

 聞かないようにしているのだが、嫌でも耳に入ってくる声がある。


「……おい、超かわいくね?」「撮影?」「ヤバみある」


 町を歩くと、幾人かがこちらを振り返った。

 ただでさえ目立つナタリーの銀髪に、この美少女っぷり。もともと素材は抜群なのだから、衣装でどうとでもなってしまうのだ。

 俺が通りかかっても、絶対振りかえっているだろう。

 ……そう、問題は隣にいるのが俺だということだ。出会いの時の魔女服ならば、ネジが飛んだコスプレ少女と一緒に居るとしか思えなかったのだが。

 今はなんか、年下の外国人モデルと歩いている、みたいな感じ。現実感が皆無だ。

 

「なんか見られてるですね……ナタリーはどこかおかしいです?」

「いや、そんなことはないぞ? ……ナタリーの髪の色は日本では珍しいんだ。見られているのは嫌か?」

「いえ、嫌な感じはしないです。睨まれてるとかじゃなくって、ナタリーに驚いてるみたいな感じですし」


 ……多分、皆驚いてるよ。あんまりにもお前が可愛いから。

 絶対素面(シラフ)じゃ言えないけどな……!!

 やばい、なんか目が合わせられない。折角話題ができたのに、上手く繋げられそうもなくて。


「そうか……それならよかった」

「はいです……」


 ……何をやっているんだ、俺は。何だこの、妙にドキドキするこのいつもと違う距離感は。

 ナタリーもナタリーで、言葉少なに俯きがちに歩いているし。

 いつもみたいに、軽口の応酬をするキッカケも無い。

 集まる視線も、正直鬱陶しい。もし、ナタリーがほんとは視線を気にしてて俯いているのだったら、大声で「こっち見るな」と叫んでやるのに。

 ああ、それじゃあもっと視線を集めてしまうか。ダメだな、なんか思考もおかしくなってきてるような。


 ……いい加減、自分の心を誤魔化すのはやめようか。

 俺は、ナタリーにドキドキしているんだ。

 子供みたいな身長なのに、何年も俺より長く生きてて。魔物との戦闘の時だって、ジョブの力を借りないと何もできない俺と違って勇敢で。

 かと思えば、どこか抜けてるところもあって。

 それでいて、軽口を言い合えるくらいノリが良くって。

 着飾ってみれば、道行く他人が振り返るほど可愛い。

 全部が、彼女の魅力なんだ。きっとドキドキしない方が、男としてどうかしてる。


「あの!! タクム…… その、手を……繋ぎたい、です」


 振り返れば。

 朱を差して、おっかな吃驚びっくり言葉を紡ぐその姿がいじらしくて。

 ……そんな不安そうな顔で見なくても、ナタリーに「手を繋ごう」って言われて、断るヤツはいないって。

 声を出して答えたらどもってしまいそうで、どうにも恰好がつかないので。

 俺は無言で、俺のそれより一回り小さくて可愛い手を取った。



 商店街を抜けて、俺が普段出勤で利用している駅の傍まで歩いてゆく。

 ナタリーと俺では、やはり歩幅が違う。彼女を置き去りしない様に、ゆっくりそのスピードに合わせていった。

 ぎこちない俺の気遣いに気づいたナタリーは、上目遣いでこちらを見て、ふわりと微笑む。

 胸がむず痒くなるような、甘い笑顔。

 時間がゆっくりになったような感覚がして、ナタリーの華奢な指の感触をより一層手のひらに感じた。

 

「わわっ……階段が動いてるです……!!」

「気をつけてな」


 ナタリーの手を引いて、エスカレーターに乗る。

 同じ段に乗っているとどうしても、俺の二の腕とナタリーの肩が当たってしまう。

 

「――――ゃっ!?」「……ッ」


 手を繋いで、エスカレーターの同じ段に乗って。

 ちょっと互いの体が触れただけでドキドキして。

 目が合って、はにかんで。

 まるで、まるで。



 ――――――――恋人、みたいだ。



「どれ見ようか?」


「う~ん……あっ!! 魔法使いのお話があるですよ!!」


 ショッピングモール内の映画館で並んで、見る映画を決める。

 ナタリーが興味を示したのは、人間が魔法使いの国に迷い込んでしまうアニメ映画だ。


「ナタリー、子供料金でいいよな??」


「……何言ってるですか!! ナタリーは大人なのですよ!!」


「はいはい、分かったよ」


 軽口を叩きながら映画のチケットを連番で二枚もらう。

 定型のやり取りを終えて、ぎこちなくナタリーがはにかんだ。

 ……きっと今笑っている俺の顔もぎこちない。



『……カップル割にしておきましたので、お楽しみください』



 そんな受付さんの言葉に、先ほどの軽口も意味を無くしてしまった。


 二人で違う味のポップコーンとジュースを買って、食べ比べようという話になった。

 食い意地が張っているところだけは、いつものナタリーらしくて安心できる。


 ……間接キスとか、向こう(魔法界)でも気にするのだろうか。

 席のひじ掛けに入っているストロー付きの飲料が目に入るだけで、ちょっと胸が跳ねてしまう。

 ナタリーの顔も絶えず赤いので、逆に判断がつかない。

 どうなんだろう? やっぱり飲みまわしは恥ずかしいんだろうか――――


「――――タクム……じゃあ、もらうですよ?」


「う、おっ……おう、どうぞ」


 ……何やってんだ、なんだ「う、お」って。

 恥ずかしがってんのは俺じゃないか、馬鹿馬鹿しい。


「もらうぞ?」


「うゅあ……どうぞです」


 ナタリーもナタリーか。

 二人して、いい歳こいて。

 間接キスなんかで盛り上がる。

 もちろん、ジュースの味なんて分からなかった。


 ただただ、めちゃくちゃに甘かったってのは確かだ。



『俺と、一緒に来てくれないか?』


 映画のクライマックス、人間が恋した魔法使いを連れ出そうとする。

 でも魔法使いの間では、出身の国から出ることは禁忌とされていた。

 ましてや人間の国は異世界に在って。

 それでも、それでも彼女は彼と共に歩みたかった。


『……はい』


 他の魔法使いが許すはずもなく、二人は追われる身となってしまった。


 魔法が飛び交う帝都の空。

 どこまでも続く青い海の上。

 灼熱のマグマの中。


 逃げて逃げて、世界の淵、異世界への扉へと。


『君の意思で、どうか。本当にいいのなら、俺の手を取ってくれ』


 人間と結ばれたい魔法使いにとっての決断の時。

 すべてを捨てでも、彼と居たいのかという自問自答を幾度となく繰り返す。


 ――――扉が閉じる、その刹那。


 最後に魔法使いの脳裏に浮かんだのは、彼の笑顔だった。

 一歩を踏み出し、人間の手を取った愚かな魔法使いは、魔法使いに惚れた愚かな人間と、科学と魔法を使って幸せに暮らした。



 ショッピングモール内の映画館から出て、付近のベンチに腰掛けた。

 ぐすぐすと鼻をすするナタリーを見ながら、俺は感想を求める。


「どうだった?」

「ひぐっ……良かったでずぅ!! 二人が幸せになれてぇ……!!」


 目の下を真っ赤にはらして、涙が止まらない様子のナタリー。

 感動ものを見ようが、ホラーを見ようが泣きそうだったのでハンカチを持参して正解だった。

 ジーンズのポッケに入っているそれをナタリーに差し出す。


「ほら、拭いてくれ」

「ぐすっ……タクムは泣かなかったのです?」

「いや、ちょっと泣いた。たぶん目が少し腫れてると思う」


 ナタリーがあんまりにも泣くもんだからおどけてそう言うと、彼女ははにかみながら俺の目の下を指さして、


「ふふっ、ほんとです。腫れてるですよ」

「……お前が言うな」


 ふわりとした笑顔を見せてくれた。

 泣き止んでくれたのはいいが、俺も泣いていた、なんて言わなくてもいいことを言ってしまった。

 そんな思いは、ナタリーの楽しげな顔を見ていたらどうでもよくなってしまう。

 我ながら、簡単だよな。



 昼食は奮発して、モール内で少し高めのステーキ屋に入る。

 手を繋いで一緒に入ったところで、俺はハッとした。

 以前ファミレスに行ったとき、ナタリーはどうだっただろうか。


 ……テンション爆上げナタリーちゃん。


 不味いか……? だがそれ以上を見てみたいという俺もいる。


 楽しげな顔をしながら、ナタリーが注文を定員に告げる。

 それから料理が運ばれてくるまで、店の落ち着いた内装だとかの話題で盛り上がった。

 そして。


「こちら、ヒレステーキになります」


「ありがとうなのです!! すごいおいしそうですねっ……!!」


 ――来た。さて、どんな反応をするのか。


 ナタリーがデミグラスソースをつけて、肉汁を閉じ込めたヒレをほおばった。

 


 ――咀嚼の瞬間。ナタリーの顔から、表情が掻き消えた。



「――おいしすぎですか。重厚な肉汁が口の中で弾けて、素材の甘さと調味料(ソース)が絡み合って、未だ体験したことの無い場所へと味の次元を高めているのです。焼き加減も絶妙で、噛み切るという過程を経ることなく――――そう、まるで飲んで(・・・)いるかのような……」


「………………お、おう、よかったな!?」



 そっかあ、真顔かぁ。

 吹き出しそうになるから、今後は連れてこない様にしよう。

 人間理解を超えるものに出会うとあんな顔になるんだな。

 ナタリーは終始真顔でステーキを食べ切ったのだった。


 未体験のおいしさ(ナタリー談)の余韻を味わうように、食事後ナタリーはずっとにへら~~とにやけていて。

 五分ほどかけてようやく、普段の彼女が返ってきて「いつかまたいくですよ!! 約束ですからっ!!」と強く念押しをされて、俺は苦笑しながら頷いた。



 昼飯を済ませた俺らは、ラグジュアリーショップを見て回っていた。

 色とりどりの花が目に鮮やかで、特有の香りが鼻腔が擽ってゆく。

 女の子というのは、皆やはり綺麗な花が好きなのだろうか? 家を出てからどこか緊張していたナタリーが俺の手を引っ張って、自分が気に入った花々へと先導してゆく。

 

「わぁ……可愛いですっ!!」


 中でもナタリーが気に入ったのは、甘い香りを放つ、花弁が小ぶりな黄色い花だ。

 「みてみて」と言わんばかりに俺の手を引っ張り、無邪気な笑顔を振りまく彼女に、――――


「タクム……どうしたですか? ぼーっとして」


 ――――俺は、見惚れてしまっていた。


「――っ!? ……いや、大丈夫だ。この花、何て名前なんだろうな?」

「……?? えーと……あ、鉢の後ろに説明があるですよ? "フリージア"というらしいです」


 ナタリーは鉢植えの土に刺さっているプラ板をのぞき込み、その花の名前を読み上げる。

 名前の響きが気に入ったのか小声で「ふりーじあ……」と、何度か口の中で転がした。

 そんなに気に入ったのならば、


「プレゼント、この花にしようか?」

「……いえ、やめておくです」


 俺の言葉に、ナタリーは儚げに苦笑して答える。


「え、どうしてだ?」

「魔法使いにとって花は愛でるものではなく、魔法の触媒として使うものだからです」


 ――「『花を贈る』という行為は、『この触媒で魔法を編めるか?』という挑戦になってしまうのですよ」そう言うナタリーの顔は、笑ってはいたがどこか残念そうで。

 ……なんか、なんとしてでも。

 俺は彼女に"フリージア"という綺麗な響きの花を、魔法使いとしての意味じゃなく。人間の男が女に送る意味で、プレゼントしたくなった。




 俺は急ぎ足で、アクセサリーショップを飛び出した。

 「トイレに行く」という名目で、ナタリーを付近のベンチで待たせていたから、急がなければ。


 ショッピングモール内のフロアーを早足で駆けてゆくと、ぴょこりと銀色の髪が見えた。

 肩にかからない程度に切りそろえられた髪の先を、くるくると指で弄ぶ。

 無聊(ぶりょう)をかこっていた異世界の銀の少女に、俺は少し息を切らしながら声を掛ける。


「ごめん、待たせたっ……実は、プレゼントを選んでてな。はい、これ……気に入ってくれるといいんだけど」

「あ、ありがとうです。開けてもいいです?」

「ああ、どうぞ」


 アクセサリーショップの店員さんに包んでもらった花柄の包装紙を、ナタリーは不器用ながらも丁寧に開封してゆく。

 セロハンテープを苦労して裂いて、彼女は内容物を大切そうに取り出した。



 ――姿を見せるのは、花を象ったペンダント。



「さっき見てた、フリージアの花言葉、知ってるか?」

「……いえ、知らないです」


「――『無邪気』や『あどけなさ』だそうだ。ぴったりだなって、俺は思ったんだ……ナタリーは子供っぽいことを気にしてるかもしれないけどさ、お前の魅力もきっとその中にあって」


 気恥ずかしさとか、もどかしさとか。

 そういった感情も全て言葉に乗せて、流してしまえと、そんな気持ちで俺は。


「だから、無理に大人っぽくしなくてもいいんじゃないかって。映画見て泣いたり、美味しいもの食べて騒いだり、花を見て笑ったり……ナタリーの無邪気なところが、俺は、いいなって……」


 ぎゅうと、ペンダントを握るナタリーの手に力が籠っていくのが分かった。

 耳が、顔が、朱色に染まっている。

 白雪に夕陽が差すようだと、俺はそれを他人事のように見ていた。

 数舜後に、「見惚れている」ことに気づいて、急激に恥ずかしくなってくる。


「その、なんだ。これからもよろしくな。意味不明な出会い方だったけど、ナタリーと出会えて俺はよかったよ」


 照れ隠しにそこまで一気に言うと、ナタリーはペンダントを胸に抱いて顔を伏せた。

 体を震わせ、言葉を響かせる。


「絶対っ、大事にするです。ありがとうです……」


 ぱあっと咲いた笑顔は、ペンダントと同じ大輪のフリージア。


「タクム、これからもよろしくですっ!!」


 銀色の魔法使いは、平凡な人間と幸せそうに笑いあった。

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