13話 コスチューム
——スター!
——マスター!!
……水色。その声を聞いた瞬間感じる色彩だ。
声という釣り針に掛かり、眠りという深い海から、目覚めの水面へと巻き上げられる。
目まぐるしく変わる瞼の裏の景色。暗い明度に光が差し、水明の情調が浮かぶ。
さらに浮上して、水面へ。
——俺の意識を釣り上げた水色の女の子が、覗き込んでいた。
「マスター、おはようございます!」
「……おはよう」
もはや恒例の状況なので、いい加減慣れてきたように感じる。と、視界の左右からもひょいと二つの顔がのぞき込んできた。
「おはようです。……タクムはずいぶんと良いご身分ですね!」
「ずるいよね~ワタシもやりたいなぁ。おはよ~」
「お、おはようございます……」
ナタリーとミカの声に、アーティが恐々粛々といったように返答。
一人に膝枕されて、二人に見下されている。しかも全員女の子ときた。
……幸せだ。死んでもいい。
「今日はどうする? 俺はナタリーと向こうで出かける約束してるんだけど、レベル上げのための狩りもしたいよな」
「……うん? 夜まで狩りをして、向こうで寝てから行けばいいんじゃないかな?」
俺の発言を不思議がるように、ミカが言う。
……どゆこと?魔法界で今日の夜まで狩り、んで地球に戻って寝る?
「え? それだと明日になるだろ?」
「? ……ああ! なるほど、説明してなかったね」
合点がいったとばかりに、ミカがポンと手を打った。
「時間の柱に頼んで、魔法界の時間を早めて貰っているんだ。およそ地球の15倍のスピードで進んでいるはずだよ。向こうで1時間経つ間にでこっちは15時間経つんだ。……なぜそんなこと? ってことに関しては、早く知的生命体を生み出したかったってのが大きな理由かな。微生物が生まれて、植物や動物が生まれ、その後高度な知能を持った生物が生まれるんだ。要するにとっても時間がかかるから、早めちゃおうと思ったんだよ」
ということは今日一日こっちで過ごしても地球では潜ってから2時間程度ってことか。……そういえば9時から12時までの3時間で『アナザ・ワールド』を切り上げて地球に戻る予定だった。
魔法界の方で睡眠をとったから、そのことを忘れていた。
「……じゃあ今日は狩りに行くか」
「りょ~かいだよ~」「行くのです!」
「あ、少々お待ちいただいてもいいですか? 服のデータができたので試着していただきたいのですが」
俺ら三人は己の体を見て、パジャマ姿を失念していたことに気づいた。
*
「それでは、まずはナタリー様からいきます!!」
俺ら三人の前に仁王立ちしているアーティ。
ポニーテールにまとめられたアーティの髪が棚引く。水色の輝きが俺の視界を焼いた。
「……データベースから読み込み。……完了。……ソースコード:ナタリー の書き換え、衣服を設定。……完了」
「わわっ!?」
ナタリーの着ていたパジャマが光を放ち、まるで液体であるかのようにその姿を解けさせていく。
局部が見えてしまうことを危惧したのか、彼女が頓狂な声を上げて慌てて隠した。
幸いその心配は杞憂だったようで、すぐに光はその小粒な体を包んでいって。
やがて輝きは収まり、彼女の体を包む衣装へと。
こげ茶色の、皮っぽい材質の膝まであるハイブーツ。薄い朱色のスカート。……丈はかなり短いな。視線を上にあげると、少し厚手の生地の灰色のキャミソール、そしてそれらを包む漆黒のローブ。手には暗赤色、艶消しの指ぬきのグローブが。
……まさにファンタジー風の衣装だ。
だが、彼女の容姿にとてもあっていて。……まるで映画の一場面から切り取ってきたかのような風貌に、目が離せない。
ナタリーは暫く、自身の服の具合を見たり引っ張ったりして確かめていたが、
「すごいです……ジャストフィットしてるですよ!」
目を輝かせて声を上げた。……どうやらお気に召されたようだ。
にへらと崩れた相貌が、テンションの上がりっぷりを物語っている。
そんな考えを巡らせていると、ナタリーがこちらにたたたっと駆けてきた。
「タクム、どうですか?」
少し上目遣いで俺を見ながらナタリーが言う。
彼女の臀部に、褒めてほしいと主張してくる、ブンブンと振られる尻尾を幻視した。
なんか褒めるのが癪だが、本心で似合うと思っているのだから仕様がない。
「……ナタリーにぴったりの衣装だと思うぞ。すげぇ似合ってる、映画から抜き取ってきたみたいだ」
「ありがとです! ……でも、映画って何です?」
ナタリーが首を傾げて問いかける。
そういえば彼女は映画を知らないのだったか。
「そうだなぁ、実際に見たほうが早いかもな。買い物ついでに見に行くか?」
「いくです!」
少し頬を上気させて、食い気味に答えるナタリー。
そんな俺らのやり取りを遮るように、待ったがかかった。
「お熱いねぇ! お二人さん!」
そんな俺らをミカがはやし立て、ナタリーの顔がボン!と爆発したように赤く染まっていく。
俯きがちにその銀髪を指でくるくると弄びながら、ごにょごにょと小声で何かを嘯いて。
「……タクムくん、ナタリーちゃんの次は私も連れて行ってよ!」
ミカがちょっぴり拗ねたように、俺に近づきながら話しかける。
特に拒否する理由は無いし、むしろ行きたい。友好を深めるいい機会だ。
「うん? いいぞ。じゃあミカは明後日でどうだ? 長期休暇中の今でもないと行けないしな」
「え、ほんとに? からかい半分だったんだけど」
「ほんとはナタリーとミカで一緒に行けたらいいんだけど、一応デートだから」
女の子扱いしないととすぐ怒るナタリーを恐れた俺。
それに何となく女の子二人を侍らせて町を歩くのは違う気がする。
「で、でーと……」
さっきからナタリーの顔色が赤色で固定されたままだ。そういえばデートの意味をナタリーは知っているんだな。
そんな光景を、アーティが笑顔で見ていた。
水色の微笑の中に、幾許かの陰りがあるような気がして。
「……アーティとも行けたらいいのにな?」
――地球でも一緒に。
彼女は、いつでも俺らと一緒という訳ではない。
地球に、アーティヒュールという個体は存在しないから。
俺らが地球で過ごす時、アーティは一人ぼっちだ。
「……なんでしょう? 自身の感情がよくわからないですが、私はどうやら悲しみに似た気持ちを覚えているみたいです」
彼女は笑顔で答える。もしかしたら、彼女は悲しい表情を知らないのかもしれなかった。
「悲しいときは悲しそうな顔したらどうだ?」
「悲しい、顔」
アーティは自分の手で顔をこねくり回す。
何を血迷ったのか、ひょっとこみたいな顔になっている。
「分かりかねます。マスター、悲しい顔をして見せてくれませんか?」
うーん……。いきなりそんなことを言われても、演技力に自信があるわけでもなし。
仕事でミスして上司に迷惑かけたことを思い出してみるか。
12月の23日に残業になって、屋台のおでんをおごってもらいながら慰められたなぁ……。思った以上にダメージが残っていたようで、割と気分が落ち込んだ。
「ほら、こんな感じか?」
あの時の心境を表情に乗せる感じで、しょんぼり感を演出する。
「……ダメです」
「うん?」
なにやら深刻な顔をしたアーティが、俺に近寄ってきた。
「いえ……なんだかマスターにその顔をさせたらダメなような気がして。そんな顔しないでください」
いつも聡明な彼女が、何かおかしなことを言っている。
故障か何かか?
「お前がやれって言ったんだけど」
「悲しい顔は分かりましたから!」
そういってアーティは俺の顔に触って無理やり口角を上げた。
「マスターは笑っているのがいいと思います!」
そんな言葉でもって、眼前で笑いながら諭される。
彼女の水色の美貌と、純粋な感情が相まって、俺の心臓はドキリと跳ねた。
*
「お次はミカ様の衣装ですね!」
先ほどと同様の手順で、ミカの衣装が変化する。
足元から、ブーツとアンクルガード、脛当てが一体となったような銀色に赤の装飾が施された靴。黒い厚手のショートパンツに、動きを邪魔しない程度の銀色の胸当てと肩当て。その下にはぴちっとした薄めの下着が彼女の体を包んでいる。ミカはなんといってもスタイルがいい。おかげでナタリー用コスプレ衣装でもなければ大体着こなせてしまうだろう。
「いいセンスだね~アーティちゃん!」
「ありがとうございます!」
ミカが目線で感想を言えと訴えてくる。
徐々に笑顔の表情の彫が深くなっていくのが逆に怖い。
「可愛いというよりはカッコいいな、ミカにぴったりだ。」
「ありがと~! タクムくんの衣装も早くみたいな~」
その言葉を待ってましたとばかりに、アーティが俺に向けて手をかざした。
「それでは、マスター」
俺の衣装は、底にスパイクのついた皮素材の黒い靴に、淡い茶色のダボついたジーンズのようなズボン。黒いインナーの上に軽い皮の鎧、さらにその上にローブを纏うというものだった。
「マスターは生産系のジョブを多く取っておれられますから、攻撃力が不足しがちです。ですので剣などを装備していただいて、遊撃手をするのが良いと思います。前衛はミカ様、後衛はナタリー様でフォーメーションが組めますので」
アーティによる衣装の説明で納得した。
俺が魔法剣士みたいな衣装なのはそういうことなのだ。いつでも前衛にも後衛にも回れるように、前衛ならば剣、後衛ならば魔法を使い分けろと。
だが、肝心要の剣が見当たらない。
「服装のコンセプトは分かったけどさ、剣は?」
「皆様の装備はすでにご用意してあります! 初期装備ですから、あまり強いものではないですが。強い装備を手に入れたければ、魔法界の現地民のお店で買うか、鍛冶のジョブを取って魔物や鉱物などの素材から作ってください!」
そういいながらアーティが空間に手をかざす。
ミカの"無限収納"よろしく、空間がぱかっと割けた。
深海の様な暗緑色、空間の裂け目から、俺の腰丈ほどもある杖を取り出す。
「ナタリー様には、『魔法使いの長杖』をご用意いたしました。魔法の威力、詠唱速度、命中補正があります」
「……長杖!!」
ナタリーは目を輝かせると、アーティに抱き着いた!!
アーティの胸に、ナタリーの小さな頭がすっぽりと収まる。
「ずっとほしかったのです!! 箒と杖を持ってこその魔法使いなのです!!」
ぎゅぅううっとアーティの体を抱きしめる銀髪ロリ魔法使い。
ステータスを得て強化されたその力に、堪らずアーティは悲鳴を上げた。
「な、ナタリー様、苦しいです」
「はっ!? こめんなさいです」
気を取り直すように、アーティが空間から手袋状の装備を取り出す。
「こほん、続いてはミカ様の装備です! 『手甲』と言って、素手での攻撃時に威力向上、防御時に防御力向上が望めます」
「うん、軽くていいね!」
ミカは手甲をはめて具合を確認すると、2,3度拳を突き出した。
びゅうと風を切る音がしているが、拳が動いているように見えない。
あれに当たると骨が折れそうで怖いな。
「最後にマスターには『剣士の直剣』と『魔法使いの短杖』です。剣は使っていれば剣士のジョブを取得できると思いますので、根気よく使ってあげてください!」
アーティから俺に、直剣と短杖が手渡された。
短杖をベルトに刺し、直剣を片手で持ってみる。
……重っ。無理だわ。
気を取り直して両手で柄を握り締め、上段から斬り下ろす。
剣の重さに、軸足が持っていかれてグラついてしまう。
「タクムくん、剣に振り回されちゃってるよ?」
「よろよろしてるです」
仲間の容赦ない言葉が刺さる。
男の子にはプライドというものがあることを考えた上で発言してほしい。
「うるさいな! 生まれてこの方剣を持ったことないんだよ!」
「……何はともあれ、これで私からは以上です!! では、狩りをお楽しみください!!」
特にフォローを入れてくれなかったアーティに悲しくなりながらも、転移しようとした彼女を止め、みんなでナタリーの箒にまたがって"獣王の森"へと出発した。




