12話 感情を持て余す神様にほんとの笑顔を
食事が終わり、幸福な満腹感を感じながら後片付け。木材でこしらえた食器に付着した油はナタリーの魔法で洗い流した。『洗浄』という生活必需の魔法があるらしく、体や物の汚れを落としてくれる便利な魔法だ。
人体にも使用できるらしく、お風呂に入れない野外での宿泊時等に便利だと言っていた。使った皿とコップを宝物庫に入れ、かまどの火を消す。ふっと、周囲の明度が下がった。とはいっても"はじまりの平原"は見通しが良い。空を遮るものがないので、月明かりが満足に降り注ぎ、かなり明るいのだ。
まてよ……?ここは地球じゃないんだよな?なんで月があるんだろう?……そも、これは月ではない。だってここは"魔法界"なのだから。
地球は生命が誕生するのにとても恵まれた環境であると、聞いたことがある。その恵まれた環境が宇宙に存在するだけでも、奇跡的なのだとか。
やはり、生命が在る所は、地球とどこか似るということだろうか?
「アーティ、魔法界の天候に地球と違うところは何かあるか?」
ナタリー達と一緒に小屋を組み立てているアーティに通話で声を掛ける。
「うぐぅ……重いですぅ……!!」と言いながら、小屋のドア部分のパーツを必死に持ち上げようとしていたアーティが、手を止めてこちらを振り向いた。
通話を通じて、ミカ、ナタリー、アーティ三人の声が。アーティへの個人通話に彼女らの声が乗った様子。
『すみません、マスターに呼ばれたので行ってきます』
『分かったのです』
『いってら~』
アーティがこちらに向かって歩き出した。いや、別にこっちまでくる必要はないんだが。
通話で話せばいいのにな。
俺の前まで来たかと思うと、彼女は草の絨毯の上にぽふっと正座。
一度俺の顔を見たかと思ったら、ふわりと微笑んで口を開く。
「魔法界では、地球とほぼ同じ天候です。そして南に行けば温かく、北に行けば寒くなるところも同じです。ですが、この世界は球体をしているわけではありません。極地では次元が歪んでいて、入るとどこに飛ぶかは予測不能です」
「なんだそりゃ?」
球体でない世界なら、どうして月の様な物が夜を照らすのだろうか?
魔法なんてとんでも概念があるのだから、気にしたら負けなのか。
「あー、これはワタシが説明したほうがいいかもしれないね」
耳元で緩んでいるような、それでいて知性を感じさせる、真っ赤な印象の声。
「うお、びびった」
いつから俺たちの話を聞いていたのか、ミカが目と鼻の先に。アーティの隣に腰を落ち着ける。
彼女の顔を覗き見ると、少し苦笑気味だ。……かなりミカの表情が分かるようになってきたと思う。常に笑ってるけど、柳眉が軽く顰められていたり、口角が上がり切っていなかったりといった違いがあるのだ。
声のトーンも、若干落ち着いているようだし。
「……魔法界って、地球の模倣として作った世界なんだよね。昔一つの世界で、これまでとは一線を画すほどの知的生命体が生まれたんだ。……それが地球なんだけど。でさ、神様は地球を真似してもう一つの世界を創ったんだ。自然に生まれたものでないから、空間と時間の柱にあべこべな部分を補完してもらってね。それともう一つ、魔法という新たな概念を世界に与えてみた。……全く同じ世界なんてつまらないでしょ? 地球で生まれた人間という種族は、植物を焼き、他種族を排し、同胞とでさえも無意味に殺しあった。……魔法界を創った後の出来事さ。今思うと、神様も愚かだね。そんな種族と似たような存在が住まう世界を、もう一つ創り出してしまったんだから。……そういった訳で、魔法界はちょっと歪んでるんだ。まあ、愚かな神様のお話さ」
そんなことを言ってミカは笑う。神様でも後悔することがあるのかと、これまでつかみどころのなかったミカを近くに感じることができたような、そんな気がした。
「愚かなミカが魔法界を創ったおかげで、俺たちは今こうしているけどな」
俺がそんなことを言ったのは、自分のことを愚かと自虐した神様に、その行為には意味がちゃんとあったんだと否定したかったからなのかもしれない。
「……うん、そうだね。ワタシも今では、これでよかったと思ってるんだ。タクムくんやナタリーちゃんを見ていて思うんだよ、ワタシはもっと多くのことを見て、感じなければならないかなぁってね。神様が世界の住民の気持ちが分かってないなんて、ナンセンスだと最近になって思ってね。」
肩を竦めて、ミカが笑った。続けて、悲しげな笑顔で言葉を紡いでいく。
「神達は長い間、感情は不要だと断じてきた。けどいつからかな、争いや絶滅を見ているうちに悲しくなったんだ。……ワタシが創った世界で、いがみ合わないでくれよ。仲良くやってくれ、世界はもっと優しくてもいいだろうと。で、まあ嫌になっちゃった。世界の管理がね。……ワタシはきっと、神様失格だね。」
……ミカってこんな繊細なヤツだっただろうか?
彼女の笑顔の仮面の下。読めないその心の内で、ぐちゃぐちゃにこじれた感情の糸を想像した俺は、また口を開いていた。
「別にいいんじゃないか? 嫌ならやらなくても」
嫌ならやるな、安易な言葉だろう。
ミカは神様で、代わりなんてそうそう居ないんだから。
——彼女が管理をしなければ、世界はどうなる?嫌だからって投げ出せる役目じゃない。
「……そういうわけにはいかないよ。ワタシが生まれた理由だもん」
予想どうりの返答。
世界の柱、ミカが存在しなければならない理由。世界の管理という役目の存在。
——でもさ、別に一人でやらなくたっていいだろう?
「……そっか。じゃあせめて楽しくやろうぜ、嫌々じゃあやる気も出ないさ」
「うん? どういうことだい?」
彼女が首を傾げて聞き返す。
——嫌になって、やりたくないこと。投げ出したいこと。……それをするのはとても苦しくて、辛くて。
でも、隣に一緒に居てくれるやつがいたらどうだろう?面倒だ、やめたいんだって愚痴を言える。
嫌なことの中で、ちょっとでも面白いことが見つかれば、笑いあえる。
だから。
「……俺はお前にpcを渡さないことに決めたってことだ。ずっと俺らと一緒に楽しく世界管理していけばいいのさ。別に神界とやらに戻らなくてもいいだろ、やることやってれば。ミカはきっと神界にいるよりこっちがあってると思うから、一緒に居よう?」
暫くの間、ミカは目を閉じる。
両手を胸の前で掻き抱いて、そこに大切なものがあるように。
——ばっと彼女が、その深紅の髪を巻き上げて、勢いよく顔を上げた。
そこには、いつもと変わらない、人を揶揄うにやけ顔。
「……プロポーズなのかな、それは?」
にやけた表情から、一転。
俺に向かって、いじらしく顔を赤らめたミカが言う。
「えっ!? いや……」
「ふふっ、ちょっとからかっただけだよ」
俺の反応を見たミカが心底面白そうに笑った。
「……そういうのはナタリーにやってくれ」
「7:3くらいの割合でナタリーちゃんとタクムくんをいじるようにしてるよ!」
「勘弁してくれ……」
いじられるのはナタリーの専売特許で、俺には不要に思える。
そんなことを考えて、ミカと話していると、彼女の目が優し気に細められた。
「あはは! ……タクムくんさ、やっぱり君才能あるよ!」
「ん? 何のだ?」
俺がそう問い返すと、
「異種族の女の子を落とす才能!! ……ワタシは決めたよ。すべての世界が滅びるまで、君と君が創る世界とともに在ろうとね!!」
ミカが眩しい笑顔で答えた。
眼尻がちょっと濡れているように見えたのは、俺の気のせいだったのかもしれない。
*
ミカが放った最後の言葉に、「それはプロポーズなのか?」と意趣返しの言葉を放とうとしたところで、気づく。
アーティとナタリーがこちらを凝視していた。……ナタリーはいつの間にこちらに来たのか。なんかとてもこっ恥ずかしい。
ナタリーが俺たちに声を掛ける。
「早く小屋を完成させて、明日に備えてみんなで寝るです。……それから、ミカ。ナタリーも一緒にいると、その、楽しいですから!」
ぶっきらぼうにそう言うと、とっとと小屋の組み立て作業にかかってしまう。きっと今ナタリーの前に回り込んでその顔を覗いたら、真っ赤に染まってるんじゃないだろうか。
ナタリーの言葉に、ミカは目をぱちくりとさせた。
「ああもう、君等にはほんとに、かなわないよ」
そんな台詞を言いながら、ミカも組み立て作業に加わらんとその場を立つ。
「アーティ、俺らも行こうか?」
俺が笑いながらアーティに問いかけると、
「なんと形容していいのかわかりませんが、その、マスターたちはいいと思います」
表現しうる言葉を持ち合わせていないのが歯がゆいとばかりに、彼女が俺らの関係性を羨んだ。
多分、アーティは一つ勘違いをしていると俺は思うんだ。
「……ちゃんとお前もそこにいるから、安心してくれな」
「……はい!!」
俺はアーティと並んで、小屋の組み立てに向かった。
*
全員でやったので、小屋の組み立てはすぐに終わった。ゲームやっているといっても、空腹感も今とてつもなく感じている疲労感もこっちでの現実だ。
故に、迅速に睡眠をとる必要があるのだが、状況が不味い。……女の子三人との雑魚寝などといういまだかつて体験したことのない現実が、俺に睡眠を許してくれない。
「マスター、眠れないのですか?」
アーティが話しかけてきた。同時に疑問が一つ、俺の頭に浮かぶ。
——こいつ、睡眠をとるのか?
「……まあ、眠れないな」
というと、アーティがその場で正座した。ドア側で寝っ転がる俺から、彼女の後ろを見れば、ナタリーとミカは就寝中のご様子。
動き回って疲れたのだろう。
「マスター、膝枕というものをご存知でしょうか?」
「いや、知ってるけどさ、やるの?」
「『アナザ・ワールド』がインストールされているpcでインターネット検索をした結果、女性の膝枕は男性に安心感を与えるとありました」
アーティが突飛なことを言い出した。
女性が原因で眠れていない俺に、膝枕で安心感を与えるという。
そんな疑念が彼女に伝わったらしく、
「あの、私ではだめでしょうか?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ」
余計な心配をかけてしまった。アーティの様な可愛い女の子にされるのが嫌だなどとんでもない、ただ俺が緊張して眠れないというだけで……ああもういいや。
俺はアーティのところまでにじり寄り、膝に頭をぽふっと乗せた。
あ、これいいなぁ……。頭からすごく柔らかい感触が伝わってくる。
「髪がくすぐったいです」
彼女の声に目を開けると、上半身をぷるぷると震わせ、上気した顔でくすぐったさに耐えていた。
「あ、すまん」
その言葉に頭を退かそうとすると、しなやかな手で優しく押さえつけられた。
そのまま、頭を撫でられる。
アーティの手は柔らかくて、なぜだかとても安心した。
「私は寝なくても大丈夫ですから、マスターが寝るまでお付き合いいたします」
一定のリズムで髪を梳かすように撫でられて、それが子守唄の様で、次第に瞼が重くなってくる。
「……おやすみなさい、マスター」
そこで、俺の意識は途切れた。




