9話 魔法界:エデュリシアル
三人分のコップに麦茶を注ぐ。それをお盆にのせて、ついでに酔い止め薬も持っていく。
転移酔いに利くかは知らんが、無いよりましだろう。
二人はパジャマに着替えている。ナタリーが白いキャミソールに緩い半ズボン、ミカがタオル生地でピンクの半袖半ズボンセットだ。
……お風呂上がりの女の子はどうしてこういい匂いがするのか。さっき二人を抱きしめた時正直やばかった。
髪から俺と同じジャンプーの香りがするというのがかなりぐっときている。
「ほい、麦茶だ」
「ありがと~」「どうもです」
「それとこれ」
俺はソファーに座るナタリーの前の机に酔い止めを置く。
「なんです? これ」
「飲んだら酔いにくくなる薬だ」
「……ありがとうです!」
口角が上がる動きに合わせて、彼女の髪がふわりと舞う。漂った甘い香りが、俺の鼻腔をくすぐった。
壁に立てかけてあるアナログ時計の短針は、9の文字を指している。俺らは就寝までの三時間ほど『アナザ・ワールド』をすることにした。
*
pcから、『アナザ・ワールド』を立ち上げる。ゲーム開始画面が可視化された。……しばらく待てども、転移が始まらない。
「ありゃ?」
「うん? 転移されないね?」
ミカとそろって首を捻る。ナタリーは転移の瞬間が怖いのか目を固く閉じてプルプルしている。吐き気が待ってるって考えたらそうもなるか。
暫く画面を見ていると、タイトルロゴとともに、操作選択画面が出てきた。ああ、そういえばアーティが言っていたな。"探検モード" と "アバウブモード" があると。
「話は中でするから、とりあえず転移するぞ」
俺はそう言って、 "探検モード" をマウスでクリックした。
*
鼻腔をくすぐる青草の香り。瞼の裏からでも分かる暖かな日差しは、今が日中であることを俺の体に伝えてくれる。
草のゆりかごを微風が優しく揺らす。もう少しまどろんでいたい、そんな気持ちにさせる穏やかな——
「タクム、起きるのです」
「タクムく-ん、起きないと触るよ~?」
肩が揺さぶられ、ほっぺたをつつかれる。肩を触ってるのはナタリー、ほっぺたはミカかな。
「……おはよう」
「うん、おはよう」「おはようなのです」
パジャマ姿のミカとナタリーがいた。かく言う俺もパジャマか。
あれ、大体騒がしく起こしてくるあいつがいない。
「おかえりなさい、マスター!」
声が響いた。俺の目の前の空間が歪み、不定形の光の粒子が不意に現れ人の形を成す。
白い輝きは、しなやかな肢体を描き解けいって……。
視界上のミニマップに青い光点が現れる。
水色をした少女が、世界に降り立った。
——裸で。
「……アーティ、服を着てくれ」
俺の両側の女性陣の目が怖いから!!
「すみません、プレイヤーであるミカ様がいらっしゃるので、ソースコードを利用できません。故に服の着用は不可能でした」
「なんじゃそりゃ……?」
言いながらアーティがしゅんとした顔を見せる。同時に、俺の右肩に触っていたナタリーの手にギリリと力が込められた。
痛い痛い!!
「……あの、ナタリー?」
「タクム、この女、誰です?」
ナタリーの目からハイライトが消える。あ、あかんやつやこれ……!?
割と簡単に気が狂うやつだなぁとは思ってたが、ヤンデレは不味い!
ミカに助けを求めようと、左側を見る。
ミカの笑顔が消えていた。目を半眼に細め、アーティを見据える。
「え~っと、アーティちゃん? タクムくんはそう呼んでたけど。君さ、さっきワタシの力使ったでしょ? 気づかないとでも思ったのかな? これでもワタシ、神なんだよね。ワタシが認めたここの二人ならともかく、生物ですらない君に好き勝手されるのはちょっと、不愉快かなって、思うんだぁ」
こっちもこっちでやばいぞ……?
「……失礼いたしました。マスターである巧様の要望にお応えするための最善手であったために、ミカ様のお力をソースコードから読み取らせていただきました」
「うん? タクムくんが?」
ミカがくるり振り返ってこちらを見る。
「……いや、こいつ俺と初めて会ったときも裸だったから、服を着てくれって言ったんだ。意図してミカの力を使いたかったわけじゃないと思う。俺からも謝るよ」
「……これでチャラだね。」
「うん? 何のことだ?」
「さっきワタシ達がアイス食べちゃったの、これでチャラだね」
「あ、ああ。わかったよ」
はぁ、何とかなったか。なんかうまいことアイスの件をうやむやにされてしまった。
「タクムぅ……。なんで無視するのです?」
耳元から狂気を含んだ囁きが!!まだ終わっていなかった!?
*
俺からの説明を交え、『アナザ・ワールド』の疑似人格、アーティヒュールと恐ろしい俺の連れたちとの自己紹介が終わった。
ミカが魔法のようなものを使って、アーティに服を着せた。今朝彼女が着ていたようなワンピースだが、アーティの髪の色に合わせて薄く水色がかったものだ。魔法ではなく能力だよと言っていたが違いがよくわからん。
ナタリーはとりあえず褒めまくって元に戻した。食べ物がなかったのでかなり苦心したが。
さて!!ゲーム開始前のごたごたは終わった。
"魔法界"を心行くまで楽しもう!!
「よし、とりあえずここにいてもどうしようもない。ナタリーの両親にも早く会わないといけないしな」
「はい、それでは魔法使いのナタリー様以外はジョブ選択を行ってください。リストは今視界に表示します」
アーティがそういうと、視界にポップアップウィンドウが現れた。ナタリーは魔法が使えないとアイデンティティを失う、もとい親になんと言われるかわからないので、ジョブは魔法使いである。使える魔法も、ナタリーがもともと使えるものだ。ここは彼女の故郷なんだからな。
「前回のアップデートで様々な世界の生物のデータが取れたことにより、ジョブの数が飛躍的に上がっております。わからないものがあれば、私がお応えいたします!」
膨大なジョブの数を表示するウィンドウをスクロールしていく。先ほど見た"指圧師"のほかにも、"剣士"だの"槍使い"だの、果ては"勇者"まで、様々なものが並んでいる。
だが、俺が最初に選ぶのはそんなありふれたものではない。スクロールのために振っていた指を止める。
見つけた。
最初に必要なジョブとはこれ、"建築士"である!!
「うーん、四人が住める拠点となると、やっぱ木で作るのがいいかな!!」
「タクム、どこかの村で泊まれる場所さがしたほうがよくないです?」
「ワタシもそう思うなぁ」
こいつらは分かってないな。そんなに甘くないんだよ、このゲームもとい世界管理は。
「ゲーム開始時に持ってるお金が皆無なんだよ、『アナザ・ワールド』って。なあ、アーティ?」
「す、すみません……皆様のお体はプレイヤーデータですけど、ここは本物の世界ですから……」
「でもおなかは減るし眠くもなるんだよな~?」
「は、はい……」
変なところでリアリティがあるんだよな、『アナザ・ワールド』は。
「ただジョブのおかげで、何するにしても時短できるんだ。要するに、ちょっと便利な異世界生活って感じだ。お金欲しいなら働くなりしなきゃならないし、腹が減ったら狩りをして調理しなけりゃならん」
「なるほど、野垂れ死にもアリ、です?」
「アリ、だ」
「う~ん!! ワタシは死の危険とは無縁だったから楽しみだよ!!」
「初期ジョブは特別にジョブレベル5からスタートいたします。ジョブレベルは20まであり、上限に行くと二次職が解放されます。ジョブを設定することによって得られる恩恵は、レベルに依存した知識、練度、そしてここは"魔法界"ですので、魔法を得られます」
「……魔法使いってどんな恩恵があるのです? ジョブに応じて魔法が使えるようになるんですよね?……もしかして需要ないジョブだったりします?」
「いえ? ジョブ:"魔法使い"はすべての魔法を習得可能です。時間はかかりますが、こと魔法に限れば最強でしょう! 魔法習得にはレベルアップで入る技術点を振り分けてください。レベルカンストですべて習得できるように調整済みです!」
「おい、もう行こうぜ、楽しみすぎて待ちきれないんだが」
「同感だよ~!」
「わかったのです」
「それでは、改めて、」
ようこそ、『アナザ・ワールド』へ!!
*
始まりの平原から北に5キロ。
"獣王の森"入口 適正ジョブレベル:戦闘系ジョブlv3
灰色の体毛に鋭く尖る爪、全長2mの狼型の魔物 "飢餓狼"
俺らはその群れに囲まれていた。
狩りを逸った一匹が状態を低く構えた状態から跳躍する!
「ナタリー!!」
「はいです!! 『風刃』!!」
跳躍に合わせ、ナタリーが箒をスイング。
箒に付与された風の刃が、飢餓狼を半ばから両断した!!
自分に飛び掛かる血飛沫さえも、箒の纏う風圧で吹き飛ばしたナタリーは、油断なく周囲を睥睨する。
「うっわ……エグっ」
「タクムくん、あの劣等種たち、来るみたいだよ?」
ミカが好戦的に口角を上げる。
彼女のジョブは"格闘家"肉体を使った戦闘を行うジョブだ。
歩くことにさえ楽しみを見出していた彼女らしい選択だと思う。体を動かすにはもってこいだ。
飛び掛かった一匹を契機に、本格的に狩りが始まった。
三人背中合わせで立っている俺らに向かい、数匹が跳躍!! それに同期し、残りは地上を疾駆する。
点でなく面での攻撃。
「タクムくん、ナタリーちゃん、浮いててねッ!!」
その言葉に、俺とナタリーはとっさに『浮遊』を唱えた。
「『範囲連撃』!!」
——狼が迫る。
ミカは正面から迫る一匹を、噛みつかれる寸前まで引き付け、渾身の宙返り蹴りを放った!!
爪先が地上の一体の顎を捉え、ひしゃげる。
勢いそのまま、跳躍していた低空の一匹の腹もを蹴破った。
ここではまだ止まらないとばかりに、蹴破った飢餓狼を足場に、空中胴回し回転蹴り!!
背後の一匹を地上に叩き落す。
都合三体、一連の動作でねじ伏せた。
今だ落下中のミカに、地上の飢餓狼たちが噛みつこうと雁首揃えて持っている。
ミカは空中で体を捻り、そのまま頭から突っ込んだ!!
今にも飛び掛かり、噛みつかんとする一匹のその頭を手でつかみ、重力と体重をもって土を舐めさせる。
掴んだ頭と自身の腕を軸に、足を広げ体を回転。
扇風機のように回転する足が、飢餓狼たちにヒットした。
足技により開けたスペースに、頭跳ね起きで着地。
片手には捩じ切った飢餓狼の頭。もう一方を飢餓狼に向かって突き出し、早くかかってこいとばかりに挑発する。
「こんなものなの?」
首を傾けて笑う彼女の髪は、鮮血を浴びてさらに深紅に染まっていた。
いや、スプラッタが過ぎるだろう……!?
こいつら修羅場に慣れすぎだ、こちとら24年間喧嘩せず平和に生きてきたってのに……!!
そんなことに思考を裂いていると、視界右上に敵を表す赤い点が増えた。
……まともに戦うには流石に多すぎるか。
通話でミカに話しかける。
「ミニマップに印をつけるから、そこまで敵を誘導してくれないか?」
「りょう、かい!!」
回し蹴りで飢餓狼の一匹を蹴り飛ばしながら、ミカが返事をする。
「ナタリー、お前もだ」
「分かったのです。『光矢』!!」
ナタリーの頭上に都合10本の光の矢が出現した!!
遠距離から森に潜む敵に向かって光の矢を飛ばす。数本がヒットしたらしく、奴らはナタリーを標的に据えたみたいだ。
ミニマップがあるから隠れてても位置ばれしてるけどな。
わざと敵が隠れているところを通ってナタリーが飛翔する。
ミカとナタリーが敵をひきつけて逃げるのに同期して、俺は先回りで落ち合う場所まで飛翔しよう。
「俺が合図したら飢餓狼を振り切って離脱してくれ」
「了解だよー!」「分かったのです」
"獣王の森" だけあって、やはり木が生い茂っている。
ナタリーとミカが敵を誘導している間、俺が何をしていたかというと、まあ木を切っていた。
ジョブ:"建築士"の魔法の中には『伐採』というものがある。
名の通り、木を切り出すだけの魔法なのだが、かなり調整がしやすいのだ。
伐採のためだけの魔法だから、木なら自由自在に削れる。
一本の木が倒れて来ただけでも人はペシャンコに潰れるのだ。数本同時に倒れてきたら、いかに狼の運動能力をもってしても、躱しきれないだろう。
「いいぞ!! 離脱だ!!」
俺の合図でミカとナタリーが飛翔する。飛ぶ術を持たない飢餓狼は、足を止めて見上げることしかできなかった。
その視界には、轟音を立てて四方から倒れ落ちる木々が映る。
——数舜の後、着弾。
質量の暴力に飲まれ、数多のHPバーが霧散した。
「やったね!!」
「タクム、すごいのです!!」
「おう、誘導さんきゅー!!」
ちゃんと時間どうり倒れてくれてよかったな。
ミカとナタリーが俺のそばに着地して、笑顔を見せる。
俺は仲間たちと初勝利の喜びをかみしめたのだった。
……三人ともパジャマ姿でなければ、もうちょっと格好がついたろうに。




