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童話

古伝《魔女と叢雲》

作者: 15cc



 人の台地に、人ならざる者がいた。名前は厘、ただ一字の女だった。

 厘は子供の頃よりひとりだった。砂地の地区の隣の隣、鬱蒼と生い茂る禁忌の森で気付けばぽつりと立っていた。

 ある日、まだ幼かったとき、厘は森の泉に眠る杖を見付けた。七色に輝き、水面をなびかせ、何かを待っているようにも見えた。

 厘はその魅力と不思議さに魅せられた。泉に手を伸ばし、そう大きくもなく深くもなくもないのだから簡単に取れるだろうと水面に触れた。

 ――驚いたのは、その冷たさだった。

 ボロの布を巻いただけの厘でさえ、暑くて暑くて汗をかいているというのに、厘の手を受け入れた泉は心地よさをも通り越して痛いほどだった。

 「氷だよ」と教えてくれたのは、森の精であった。

 森の精は、杖と同じように輝き、「誰も触れられやしなかったのに!」と忙しなく羽をはばたかせた。それは喜びなのか怒りなのか、羽以外は光にしか見えない厘にはわからなかったが、優越感の波に覆われた。

 手を近付ければ近付けただけ、森の精が興奮していくことがよおくわかる。見ただけでも、その力を手に入れることが出来ればどれほどのものか――

 厘はぬぬぬっと力を込めて手を進めた。そして、肩まで浸かったとき、杖は眩く光ったのである。

 杖は、厘を受け入れた。

 厘もまた誇らしかった。あまりに嬉しかったものだから、杖を振り回し、森の皆に自慢した。


 「お前は最近偉そうだけども、一体何が出来るというのか?」

 森の精が驚くほどの力を手に入れた――と、森の端まで来たときだった。森に呪いをかけている門番の老樹が言った。

 厘は戸惑った。ここへ来るまで誰一人だってそんなことは聞いてこなかった。皆、「やっぱり君は違うんだね」と言っていたのだから、虹色の杖をぶんっ一振りすれば、何も出て来やしないのに森の精さえ陰に逃げて行った。

 厘は、老樹に言った。

 「それは皆が知っている。お前は、何故それがわからないんだ?」

 厘はぶんっと杖を老樹に向けて振った。

 老樹は逃げなかった。

 厘はもう一度杖を振った。

 しかし、老樹は怯えることもなく、我武者羅に振り回し始めた厘を大声で笑った。

 「己が何を手にしているのかも、何が出来るかも知ろうとしないでここまでやって来たなんて――可笑しいのなんのって!」

 老樹はひらりひらりと落ちて行くのも構わずに、また笑い出しては「子供は無知を武器に威張るんだ」「己のものだと勘違いして」と、俯く厘ヘ次々言葉を吐いていった。

 厘は、悔しかった。やっとこの地での己の役どころを得たと思ったのに、この有り様……いつもひとりぼっち。いつも何もすることもなく、森のために生きる者達が羨ましかった。

 厘は泣いた。どうすれば己の価値が生まれのかと、地にどっしり構えた老樹の根にしがみついた。

 老樹は小さな小さな手の温もりを哀れに思った。禁忌の森に生まれし者は、生まれたそのときから己が何をするべき者なのか知っている。ただ一人だけ、特別に生まれた厘も意味があるからここにいるのだが、厘はいつも誰かを羨むばかりで己の棲み家から動こうとはしなかった。だから、遣いをやったのだった。

 老樹は厘に言った。「まずは母のカタクリリャを呼べばいい、カタクリリャを呼べたら力について学べばいい。学んだならば己が何をすればいいのか見えてくるだろう」と、森の外を指差した。

 「……森から出られるのか?」

 厘は聞いた。そして母という言葉に胸を弾ませた。

 だが、老樹は違うと葉を揺らした。

 「母とは、全てをなくした雲のことだよ。空の怒りをくらい三人の息子を消され、空を恨む女のことだ。その雲を虹の杖を使って呼ぶがいい。そうして『お前の息子達と台地の王が命懸けで守った娘の欠片で空を堕としてやろう』と聞いてみるんだ。きっと、お前は母を手に入れ、父の役に立つだろう」

 老樹はそう言って腹の幹を割り、外界の光で厘を誘ったのだった。

 厘は杖だけを持って、恐る恐る幹の輪を抜けた。そこには黄金に輝く砂漠と照りつける太陽、真っ青な空が広がっていた。見渡す限りに広大で、空と台地の境目はずっとずっと果にあった。

 茫然と立ち尽くす厘に、腹を閉ざしながら老樹は最後の言葉を告げた。

 「空が太陽の妃の元へ行ったとき、雲の妃を呼ぶのだよ。月の中立者の前では、誰も争うことなど出来ないのだ。それをさらに隠してしまえば、たとえ月でもお前のことを知ることは出来ないだろう。さあ、父のために役立つのだ、台地の娘よ」

 厘は、老樹の言った通りにした。まだ優しく日陰を与えてくれる樹に寄り添い、眩しい光が去るのを待った。そして、宵の頃に――まだ月が遠くの山と言葉を交わして見えない内に、厘は虹の杖を掲げて叫んだ。

 「台地の娘が言おう、雲のカタクリリャよ、私がその願いを叶えてやろう!」

 言葉は、するりと出てきたのだった。己の意味が生まれながらに組み込まれていたように、湧いて来る不確かでありながら心地のよい自信となって厘の身体を支配した。

  

 雲はすぐさまやって来た。数多の隷属を連れ、一面の空を覆い尽くし、大人へと身体を変えた厘の言葉に轟音を鳴らした。

 それが永き時に渡る戦いの合図であった。



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