小説竜~暗転~
時間かかるね…このお話…。打ってて楽しいんだけど…疲れる。
…遅くてすんません!
奴は優めがけて突進してきた。竜は優を守るために前に出て全力で止めようと両足を踏ん張りこれから訪れるだろう衝撃に備えて目を固く瞑った。しかしいつまでたってもその衝撃は来ない。空気の動きも鈍い音も何もなかった。
「へぇ、紙粘土のゴーレムか…」
竜にぶつかる前に優がゴーレムを掴んで止めていた。竜がぱちくりと瞬きをして何が起こったのか理解しようとしていると大丈夫かい?と心配の声が降ってきた。ゴーレムと呼ばれた岩みたいな人型の奴は優の手の中で拳を振り回していたが優がパソコンの脇に散らばっていた輪ゴム二本で腕の動きを封じるとじっくりと観察し始めた。
「完全に紙粘土だ。ユダヤ教のゴーレムとは別物? そうだよな、額に≪emeth≫なんて書いた紙なんて無いしなぁ。それともカバラ定式呪文のほうで作ったのかな?」
竜とスージーはポカンと口を開けたまま固まっていた。一体こいつはなにを言っているのだろうと二人して頭に疑問符を浮かべていた。そのまま優は暴れるゴーレムとやらをひっくり返したり、振ってみたりと弄り回しながら何やらブツクサ言っていた。
「あんたといい、この人間といい…ここは変な生き物しかいないのかしら?」
スージーはブツクサ言っている優を見ながら呟いた。竜は人間じゃなくて優だよと言ったがスージーは優という固有名詞でもう一度呼ぶ気はさらさらなさそうだった。
「別に下がるでも進むでもどっちだっていいのよ。今、重要なのはこいつが何を言っているのか理会することよ。おい、人間!」
「………えっと…僕?」
優が困ったように首をかしげていると他に誰かいるの?と言いたげにスージーは短く煙を吐き出した。
「あんたなんかに固有名詞はもったいないわ。人間で十分。でさっきのゴーレムがどうとかって何?」
「あぁ、それね。ゴーレムの作り方にはいくつか方法があるんだよ。例えばラビ…律法学者のことだけど…ラビの作り方だと断食とか祈祷など様々な儀式の後に土をこねて人型にする。そして額に≪emeth≫…つまり真理と書いた羊皮紙を張る」
優はペタッとその辺にあった紙に≪emeth≫と書いて額に張り付けた。
「すると造り手の命令に忠実な泥人形の出来上がり。壊したかったらその額の羊皮紙の≪emeth≫の≪e≫を消して≪meth≫…つまり死という言葉にすればいいらしいよ」
優は自分の額の紙のeを消してmethにして横になった。
「そうすればゴーレムは元の土人形に戻る。でも羊皮紙じゃなくても護符だったり直に書き込む方法だったり口の中に張るものだったり、横たえた人形の周りでカバラの呪文を唱えながら7周する方法だったり…。作り方は色々さ。でもこのゴーレムにはいろんな制約があってね。それを破ると狂暴化してあたりを破壊するともいわれているんだ。例えばユダヤの安息日の金曜日は働かせてはいけない…とかね」
優は輪ゴムで自由を奪われたゴーレムを手に取るとしげしげと眺めた。口の中に指を突っ込んでみたり足の先から頭の先まで眺めていたが特にそれらしい護符とか羊皮紙のようなものは見当たらなかった。
「よくわかんないけど…つまり、こいつには主人がいるわけね。人間、結構使えるじゃない」
「あはは…そりゃどうも…きれいな顔立ちしているのにそんなつっけんどんな性格してると嫌われちゃうよ? なぁ?」
優が竜に振ると竜は大きくうなずいた。するとスージーは顔を真っ赤に染めてうつむいた。小さく人間のくせに…と呟いたがほかの二人には聞こえなかった。
「で、君はどうやってここに?」
「さぁ? なんか変な穴に落ちて光の膜を破ったらここにいたわ」
竜はギクッと鱗を震わせた。きっと僕のせいだ。僕があんな物語を書いたからスージーはこっち側に迷い込んでしまったんだ。
竜は罪悪感に押しつぶされそうになっているとスージーがこっちを見ていることに気が付いた。
「あんた、それにしても脆いわね。防御の呪文でも唱えてあげましょうか?」
「呪文? そんなことできるんだ。すごいな」
優がヒュゥと口笛の成りかけの音を口から漏らす。優がそう言うものだからスージーは得意げに胸を張った。
「おだてても何も出ないけど試しに何かやって見せてあげるわ、それ貸しなさい」
そう言ってゴーレムを優から受け取るとゴリッと音を立てて首を毟り取った。竜と優は二人してげぇっと言ったがそんなことはお構いなしにスージーは腕、足とちぎり取っていく。ちぎり取った各部位はいつの間に持ってきたのか足元に置かれた箱の中から取り出した優の私物である刺繍針に刺していく。
「さて、こいつに無くて私たちには常にあるものは何だと思う?」
竜と優は顔を見合わせてスージーの質問の意図を読み取ろうと頭をひねる。
「心?」
竜は魂と答えた。
「どっちも違うわ、答えは電気よ。本来なら動くためには電気信号が必要なはずなのよ。でもそこの竜とこいつは粘土でしょう? きっと私たちとは別の何かが電気信号の役割をしているはずなのよ」
最後にゴーレムの右足を付け根から引っこ抜くとその右足を針に突き刺した。そして針に刺した右足を焦げたベッドの方向に放り投げた。最後の右足は放物線を描き枕の上に落ちたようだ。
「これであの足とこの本体の距離が離れたわけだけど…」
ちらっと竜が見るとどうにかして本体とつながりを持とうと右足が枕の上でのたうち回っていた。スージーは各部位が離され、紙粘土の繊維が飛び出た場所に針を刺していく。竜はあれが自分の体だったらと鱗を震わせた。
「で、これに電気を通す」
そういうとスージーの小さく開いた口から呪文が飛び出した。竜にわかる言葉は何一つとしてなかった。まるで飛び出したすべての音で一つの意味を持っているかのように息継ぎなしでその呪文を紡いでいく。
スージーの深い藍色の鱗の中でピッとなにかが光った。竜は何だろうと覗き込むとまるで雷のように弾けていた。藍の黒雲の合間を縫って光るその様は竜の視線を惹きつけた。そっと彼女の鱗に触れようと竜が手を伸ばそうとしていたら彼女の水色の瞳がにらみを利かせていることに気が付いた。何かを言われる前に伸ばした腕を竜はそっと元の位置に戻す。スージーはフゥと煙を竜に飛ばしてもう一度睨み付けた。
ゴーレムはバチッと弾かれたかのように一瞬浮き上がると四肢のない胴体がガクガクと震えだした。
体はひび割れ、内側が見え隠れする。
「さぁ、これでおしまい!」
パンっと軽快な音を立てるとゴーレムは内側に縮んでいった。ギチギチと音を立てて丸い形になっていく。
竜は優の後ろに隠れるとガタガタと鱗を震わせた。優はそんな竜に大丈夫?と声をかける。
「ほら、これが『コア』みたいなものよ」
そう言って真っ黒いガラス玉を二人に見せる。優と竜は二人してその玉を覗き込む。優の顔がその玉に映り込む。二人の心はその玉に持っていかれる。どこまでも続く漆黒。まるで底のない崖の淵に立っているような黒だ。竜はその玉にとても懐かしいものを感じた。あれはきっと……
「きれいだ……」
唐突に優はそう呟いた。すっと右手をその玉に伸ばし、まるで何かに取り憑かれたかのように「きれいだ」と言い続ける。
いけない!
竜は咄嗟に尻尾で優の右手を刺した。そして自分はスージーの手からその黒い玉を引っ手繰ると優の手の届かない電気カバーの上に泊まった。優が下でこちらに手を伸ばしているのがわかる。スージーはその近くで優の邪魔をしているように見える。スージーも何かを感じたのだろうか。竜は意を決して自分の口の中にその玉を放り込み、飲み込んだ。
「あ……」
スージーの絶句の声が聞こえたのを最後に視界が暗転した。