小説竜~隠密~
友達に第一部がへん、と言われたので打ち直しました。
「お肉を持ってきてちょうだい」
人間が寝静まった夜、唐突に呼び起こされた。眠い目を擦りながら竜はベッドの下に隠れた彼女のもとに行った。するとそう言われたのだ。これで彼女の「お願い」を言われるのは四回目だ。最初は柔らかな布団を持ってくること、二回目は自分だけの「縄張り」が欲しいというのでベッドの下を明け渡し、三回目はベッドの下にあった彼女にとっての「ゴミ」をどこかに持っていって欲しいと言われ、とりあえず押入れに全部詰め込んだ。そして今回、肉を持って来いと言うのだ。言われた瞬間、うぇっと竜は舌を出した。竜にとってお腹が空くということがまず無いので(紙粘土だから)食べるという行為が理解できなかった。さらに言えば竜はもうクタクタで尻尾を巻いて逃げたい気持ちに駆られて一瞬項垂れた。だが、あと数時間だけ…と鼓舞し、嫌々頷いてふらふらとキッチンに向かった。
そんな竜にスージーは早く!と急かし、竜は冷蔵庫なる大きな箱の前に急いで飛んできた。だがあまりにも大きすぎる。どうやって開けたらいいのか見当もつかない。しかもお肉ときた。ここから彼女のもとに運ぶとしたら重労働だ。はぁと溜息を付き少しの間冷蔵庫とにらめっこしていた。
さて、この大きな扉をどうやって開けようか。確か、前にあの人がこっちにこう…引っ張って…いたような…。
ぐっといろいろ力を加えてみたがビクともしない。ふと昔見た動画を思い出す。猫が冷蔵庫の上に乗ろうとしていて飛び上がった後、扉が開くという動画があったような無いような…。
とりあえず実践、と冷蔵庫の上に止まり縁に足をかけて蹴っ飛ばした。少し開きかけたが元の位置に戻ってしまった。しかし、竜にとって開いたかどうかなんて気にする余裕も無かった。自分の足が取れてしまっていないか蹴ってから不安になった。恐る恐る足を見るとちゃんと付いていてほっと胸をなで下ろした。
どうすれば開くのか悪戦苦闘しているともぞっと布団が擦れる音がした。
ペタペタと素足が床を歩く音が近づいてくる。サッと冷蔵庫の上に乗せてある電子レンジの裏に隠れ様子を伺った。もちろん、あの人しかいるわけが無いのだけど。
人間は冷蔵庫の中からオレンジ色のパッケージの何かを取り出すとそれを仰いだ。喉を鳴らして美味しそうに飲み込むと次はもう一つの扉に手を掛け、いくつかの冷凍食品を取り出した。竜は目聡く次々と冷凍庫から出されていく冷凍食品の一つ一つに目を配る。
そのうち冷凍肉が出てきた。人間がまだ冷凍庫を漁っている隙に竜はレンジの裏を飛び出し冷凍肉を引きずってベッドの下に戻った。
息を切らして彼女のもとに辿り着くと遅い!と怒鳴られた。
「いったい、何分掛かってるの?」
竜は理不尽だと思ったが声を出すことはなかった。言ってしまえばきっと「あんたの計画バラシてやろうかしら」とかなんとか言われるに決まってる。
お小言を右耳から左耳へ流していると人間が口をもぐもぐさせながら戻ってきた。薄暗い部屋の中、人間はおもむろにパソコンの前に座ると画面に明かりを灯す。
竜はいったいこんな時間に何をするのだろうとグチグチ言ってるスージーから視線を外し、あの人を見ていた。
人間がキーボードを叩くとジジッとパソコンは音を立てて反応を示す。そしてキーボードにカタンと触れると人間の指先が今までにないスピードで舞った。ガタっと音が鳴り終わる前に次のキーに指が触れる。最早、タッと軽く触れる程度でキーを弾いていた。
目まぐるしく動く指にくらくらしているとどこからかフルートのような澄んだ音色の音がする。
リズミカルにキーを弾く音に合わせてそのフルートは音を奏で、まるでこの家から溢れてきたかのようにその音は次第に大きくなり部屋中に鳴り響いた。竜はウットリと頬を緩ませてその音に聞き入った。しばらく聞き入っていると竜の思考の海に新しい波が押し寄せてきた。真っ白い白波が砂浜に押し押せてくるように竜の思考に小さな小瓶が流れ着いた。今までの書いていた冒険物の小説ではなくてもっと…そう、何か全く別のものが入った小瓶。
「いったいどうしたのよ?」
スージーがそう叫ぶが竜の頭の中はそれどころでは無かった。想像力が脳を満たし、まるで淵ギリギリまで水の入ったコップのように今にも溢れだしてきそうだった。脳が張り詰め、気づくときっちりと固く乾いた右手が鉛筆を求め、左手が紙を掴んでいた。
竜の右手が鉛筆を握った瞬間、想像が溢れた。
荒んだ心が現れたような曇天の空が広がっていた。辺りの建物はボロボロに砕け散り、その堤防のみが人がいた証拠のように思えた。
そしてその堤防に一人の男が座って釣り糸を垂らしている。
僕はハァハァ、と息を荒げて男に駆け寄った。
僕は言う。
早く逃げなきゃ。
男は微笑んでどこに?と僕に言った。
僕は息を整えてから遠くにと答えるとケタケタと男は笑う。
僕は君のように走れない。すぐに疲れてしまう。
そういって男は仕掛けを手繰ってまた投げた。そして釣れないなぁと呟いた。
釣れるわけないだろと僕は叫び、男の手から釣竿を叩き落とした。
男は面倒臭そうに落とされた釣竿を拾い上げるともう一度仕掛けを手繰り寄せた。
君は気付いてないかもしれないけどここにいる俺は…
男が何かを言いかけた時、地響きが辺り一帯に鳴り響いた。
さぁ、時間だ。世界が変わる。男が呟いた。
地響きとともに澄んだ音が鳴り響く。
海を見ると水が無かった。遠くにとても大きな波が見える。とてもとても大きな波だ。
反射といってもいいだろう。僕は弾かれた弓のようにその場から逃げた。振り返ると波が男を飲み込んでいく。足が千切れるくらい走った。坂を駆け上り波が来ない高台に上って唖然とした。
波は沢山の建造物を飲み込み、電線がショートして火花を散らす。
波がすべてを攫っていった。人間たちの営みも動物たちの楽園も何から何まで攫っていった。
僕はただ、その全てが無くなる様を見ているしかなかった。
悔しいとも、悲しいとも思わなかったが無性に腹が立った。
波に対してじゃない。人間たちにだ。この怒りは自然に嘘をつき続けた人間という種族そのものに向けた怒りなのだ。海を埋め、護岸を弄り、海を我が物にしようとした人間に怒り、僕は吠えた。
その叫びは空を裂き、地面を揺らし、波をもう一度引き寄せた。
辺り一帯から悲痛な叫びと怒号が起きたあと、海が燃えた。
まるで自然の怒りを表したかのような炎だった。
僕の目に映るその炎が心を引き寄せる。
人間たちに制裁を。人間たちに制裁を。
その音が永遠と頭の中に木霊する。
人間たちに制裁を。
僕の口からもそれが漏れた。
闇に染まっていく空の下、煌々と燃える海原が人間の生活を飲み込み、燃やし尽くした。
燃えろ、燃えろ、燃えろ!
ザワザワと冷たい風が僕の体を撫でた。
毛が逆立ち、体が変化するのが分かった。
手の指が短くなり掌にクッション材のような膨らみができ、足は走るために踵が伸び、つま先の裏にもクッション材のような膨らみができ始めた。
手足が四肢に変わった。視界の中心で伸びた鼻先が白い息を吐き出す。
服の中で自分の体毛が擦れ、何とも不快な感じがする。ズボンに至っては後ろ足を拘束する以外の何物でもない。
びりびりに破いて目の前で燃え盛る海に放り入れた。
海はあっという間に燃やし尽くした。
僕…いや、俺は遠くを見つめてもう一度吠えた。
周りから生き残った同族の声が木霊した。
俺に意見を求める声、不安に駆られてパニックになっている声。
俺が先導しよう。すべての同族は俺のもとに集え。
俺は空に向かって吠える。
すると白い結晶が降ってきた。
冷たい風が炎を大きくし、雪を強く体にぶつけてくる。
俺は自分の場所を示すためにもう一度大きく吠える。これは俺と人間のたたかい
「ちょっと、無視しないで!」
はっと気づくとスージーが尻尾を掴んで気を引こうと頑張っている。ごめんと竜が謝るとほっとしてからスージーは怒った。
「いったい何なの、急に棒なんか持ち出して!」
フゥとスージーは怒りながら鼻から細い煙を吐き出すと竜の顔にぶつかり、宙に広がった。竜がその煙にむせているとスージーのとがった爪が鼻先をキュッと摘まんだ。
「とにかく、今後私を無視するのは禁止。いい?」
コクコクと頷いて彼女の手が鼻先から早く離れてくれることを願って必死に首を振る。ならいいわ、と彼女は指を離してベッドの下の暗闇に消えていった。竜はクルリと回れ右をすると自分の指定位置に戻っていった。気が付くと人間は布団に潜って寝息を立てており、さっきまで鳴り響いていた音もいつの間にか鳴り止んでいる。もう一度読み返して最後の一文の最後がグニャリと歪に歪んでいた。急に呼び止められたせいでちゃんとした文字を書くことができなかったのだ。ハァと小さくため息をついてから紙の束を新たに作った隠し場所であるパソコンの裏に大事に隠してからパタパタと翼を動かしてパソコンの横に降り立つと寝静まったこの家と同様に竜もまた眠りについた。
「寝たよね?」
竜が眠ってから数分後、スージーがベッドの下から出てきた。傍らにさっきの冷凍肉も携えて。
スージーからしてみれば竜の隠しそうな場所くらい見なくてもわかる。向こうのあいつも何か貰う度に隠していたっけ、と思い出してとても懐かしくなった。
パソコンの裏に隠してあった紙の束を見つけ出し、軽く目を通してみた。
しかし、スージーには読めなかった。もしかしたらミミズのようなものがうねうねしている様子を描いたのかもしれないとスージーは思ったがいくつか読めるものもあった。そのことからこれが文字の羅列だと分かる。要するに、竜の文字は癖が強かった。グネグネといびつに曲がるその文字らしきものはスージーの目をグルグルと回すくらいにお世辞にも読めるものじゃなった。
「こっちがうぇってしたいわ」
さっき、肉を持ってきてほしいといった時の竜の姿を思い出して腹が立ったことを思い出した。人が何を食べようとあんたには関係ないでしょう、と。
ハァ…と深いため息を吐き出してパソコンの前で眠っている竜を見た。そしてまだ色の塗られていない右腕に視線を移し、本当に粘土で出来ていることを再認識した。
「ふぅん、あいつと全く同じ」
瞳以外は…と言いかけて紙の最後の一枚に目を落とす。
スージーが現れる。
たったその一言が書かれていた。でもやっぱりスージーにはミミズがのた打ち回っているようにしか見えなかった。スージーはフンとつまらなそうに鼻息を紙に向かって吹きかけるとこれじゃ、誰も読めないわと思った。
「残念な誕生日プレゼントになるに違いないわ」
と悪態を付いてパソコンの周りに溜まった埃を竜の足元にかき集め、その埃で文字を書いた。そして何やらブツブツ呟くと風が竜の足元を渦巻いて白い右手の表面を削り、鱗を削り上げていく。
「ちょっとした気まぐれよ、変に思わないことね」
そういって竜に持って来させた冷凍肉に噛り付いた。若干溶けていくらか柔らかくなった肉の歯ごたえがまるで鳥の骨を噛んでいるようだと思いながら喉の奥に押し込んでいく。
「さぁ、これからが本番」
そう、これからがスージーの腕の見せ所だった。右腕から削り取った破片がテーブルに落ちる前に風が拾い上げ一つの塊にしていく。
「このくらいでいいか」
ヒョイっと残りの肉片を口の中に押し込むとその粘土の塊を竜に作らせた自分の巣に持ち帰った。
「さてと、これであれが出来るはず…」
巣にはスージーと同じ大きさのドーナツ型造形物があった。白い粘土なんて見たことなかったけど恐らく儀式に使える筈だとスージーは思い集めてきたのだ。何よりこの部屋にはいろんな材料が散乱していた。やろうと思えば悪魔を召喚することだって出来るだろう。純度の高い炭素棒も沢山あり、金属に至っては事欠かない。見渡す限り、儀式や召喚に必要なものはすべて揃っている。
パキッと鉄で出来た針を口で折るとぐいっと造形物の中に押し込んだ。しかし、不思議な粘土だ。水分を含ませてもすぐ固くなってしまう。しかし、また水分を与えれば柔らかくなる。
「変な粘土…」
少し、持って帰ろうかなぁと余った紙粘土を尻尾で突き刺して翼を広げた。
「お世話になりました」
ぺこりとお辞儀をしてその造形物の真ん中に飛び込んだのだった。