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デューアとニオンとバーチとレヴィアとエルト

 森の賢者の一員であり、ツタの精霊のバーチは、森の中の湖のほとりにいた。

 湖を渡る風は心地よく、空は青く澄み渡っている。

 森のあちらこちらで鳥が鳴き交わし、温かい日差しが水面を照らし、輝いている。

 一見して五歳ほどの人間の少年に見えるバーチは、湖のほとりで膝を抱えてじっと湖面を眺めている。

湖の底に沈む光る石を数え、物思いにふけっている。

「ニオンは、おれのことを怒っている、怒っていない、怒っている、怒っていない」

 ニオンにぶたれ、部屋を飛び出してから三日。

バーチはあれから一度もニオンと会っていない。

 湖の底などに沈む微弱な精霊力を秘めた石は、妖精たちに重宝され細工師によって装飾品に加工される。

 赤や青、黄色や緑などのさまざまな色があり、どこにでもよくみられる一般的な石だった。

 バーチは深い青色に透き通る水の底を見ながら、溜息を吐く。

「やっぱり怒ってるよな、ニオン。もうおれの顔なんて、見たくないよな」

 三日前のことを思い出し、バーチは膝を抱える。

 若葉色のマントを手繰り寄せ、頭をうずめる。

「ニオンに、嫌われたよな」

 深緑色の髪がさらりと揺れ、大きな金色の瞳に涙がにじむ。

 池の水面を風が通り過ぎる。

 小さな風の精霊たちが楽しそうに水面を飛び跳ねていく。

 日差しは明るく、温かかった。

 一方のバーチの心は暗く、鬱々としている。

 そこがどんなにきれいな景色であっても、空が晴れ渡っていても、バーチの心にはどんよりと雲がかかっていた。

「はあ」

 今日で何回目になるかわからない溜息を吐く。

 普段なら楽しげに声を掛けてくる小さな精霊たちも、この三日間のバーチの落ち込みようを見て、見て見ぬふりをして通り過ぎていた。

 池の主である精霊でさえ、掛ける言葉もなく、池の水底からバーチを静かに見守っていた。

 おしゃべりな小さな水の精霊たちが、池のさざ波となって彼の噂をするだけだった。

「バーチ様、どうしちゃったのかしら?」

「森の妖精国の王女に振られたらしいわよ」

 小さな水の精霊は、水しぶきとなって空に舞い上がる。

 風の精霊と一緒に、くすくすと声を立てて笑っている。

「妖精たちと仲良くしすぎるからよ」

「あらだって、バーチ様はまだお小さいから」

「精霊としての常識を何もお知りでないのよ」

 噂好きの小さな風の精霊たちと共に噂話に花を咲かせている。

 どちらにしても、今のバーチの耳には何も聞こえてこなかった。

 森一番の美しい鳥たちの歌声を聞いても、彼の心が晴れることはなかった。

 馬のいななく声、車輪の音が遠くから聞こえてきたように感じたのはそんな時だった。

 バーチは辺りを見回す。青い空に目を凝らす。

 太陽の光に照らされ、空の一点が星のように輝いて見える。

「森の妖精国の天馬の馬車よ」

「黄金色の馬車よ」

 バーチの隣を小さな風の精霊が笑いながら通り過ぎていく。

「妖精国の馬車?」

 バーチは草の上に立ちあがり、空を見上げる。

 星にしか見えなかった光が、徐々に馬車の形となってこちらに近付いてくる。

 バーチはニオンが自分に謝りに来てくれたのではないかと考える。

 慌てて首を横に振る。

「ば、馬鹿らしい。あれはただの森の妖精国の馬車だ。たまたま森の上空を通っているだけで、ニオンとは何も関係ないんだ」

 バーチは腕組みをして、馬車に背を向ける。

「そ、そうだ。別におれはニオンに謝りに来てほしいなんて、これっぽっちも思ってないんだぞ」

 湖に背を向けてぶつぶつと独り言を言っている。

 そうしている間に、黄金色の天馬の馬車はどんどん近づいてくる。

 天馬のいななきがすぐそばで聞こえ、翼のはばたきで湖面に風が起こる。

 はばたきでバーチの深緑色の髪が揺れ、若草色のマントがはためく。

 天馬の馬車は湖のほとりの草原の上に降りる。

 バーチのすぐ目の前で馬車が止まる。

 天馬の手綱を握る御者が草の上に降り立ち、黄金色の馬車の扉を開ける。

「ニオン王女、どうぞ」

 御者はうやうやしく頭を下げる。

「ありがとう」

 馬車の中から水色の髪にヴェールをまとったニオンが降りてくる。

 その後ろに侍女が続く。

 バーチは呆然として立ち尽くしている。

 金色の長い衣を着て、宝石をちりばめたヴェールをかぶったニオンは、バーチの姿に気が付くと微かに微笑んだ。

黙って膝を折る。

 ニオンが首を垂れると、緑の草の上に金色の布が広がる。

「先日は大変失礼いたしました。森の賢者であらせられるバーチ様に、手を挙げるような真似をいたしましたことは、決して許されることではありません」

 ニオンは深く頭を下げる。

 普段のニオンからは想像も付かないような丁寧な対応だった。

 慣れない言葉にバーチは背中がむずがゆくなる。

「そ、そんな許さないなんて、おれはそんなに狭量じゃないぞ。に、ニオンがこうして直接謝りに来てくれたって言うんなら、許してやらないこともないぞ?」

 バーチはそっぽを向いてぼそぼそとしゃべる。

「本当ですか?」

 ニオンが顔を上げる。

 そのエメラルド色の瞳が真っ直ぐにバーチを見つめてくる。

「お、おれは、心が広いからな。あれくらいで怒ったりしないんだぞ? 何と言っても世界を見守る森の賢者の一員だからな」

 バーチは得意げに胸を張る。

 内心ではニオンが会いに来てくれたことにほっとしていた。

「ありがとうございます、バーチ様」

 金色のヴェールに隠れてニオンの表情は見えなかったが、きっと喜んでくれているのだろうと勝手に思う。

 さらに言い添える。

「これからも、おれはニオンと友達だし、ニオンはおれにもっと頼っていいんだぞ。おれもニオンや妖精達ともっと仲良くなりたいと思っているからな」

 そして将来は精霊として、森の賢者として一人前だと認められ、ゆくゆくはニオンを精霊の巫女として娶りたいと密かに思っていた。

 ニオンが戸惑う気配がする。

 草の上にすっくと立ち上がる。

「バーチ様に、お願いがあります」

 ニオンの声は固かった。

 上機嫌のバーチは、ニオンの深刻な声音に気付かないままだ。

「おれに出来ることなら、何でもやってやるぞ」

 ぽんと自分の胸を叩く。

 ニオンは金色のヴェールを脱ぎ捨てる。

 その下から水色の長い髪が現れる。

「では、あたしと一緒に宮殿まで来てください。バーチ様のお力が必要なのです」

 ニオンはバーチの小さな体を抱きしめる。

「に、ニオン?」

 バーチはニオンに抱きしめられ、顔を真っ赤にする。

「風の精霊よ。あたしに力を貸して下さい」

 ニオンは口の中で小さくつぶやく。

 草原の草が揺れ、湖に白波が立つ。

辺りに風の精霊たちが集まってくる。

 ニオンはバーチを抱きかかえたまま、ふわりと空に浮かび上がる。

「バーチ様、あたしにしっかりつかまっていて下さいね」

「へ?」

 バーチは何となく嫌な予感がした。

 ツタの精霊であるバーチにとっては、自身の持っているその強い精霊力ゆえに、他の精霊の力を借りることは出来ない。

 そのため風の精霊の力を借りて、空を飛ぶのは初体験だった。

 ニオンとバーチは物凄い速さで宮殿目指して飛んで行った。


 *


 デューアは暗闇の中で目を覚ました。

 辺りは暗く何も見えず、物音一つ聞こえてこない。

 デューアは暗闇の中に一人ぼっちでいた。

 ――僕は、どうしてここに?

 何をしていたかを思い出そうとしたが、目を覚ます以前のことが思い出せない。

 ――ここはどこだろう?

 デューアは辺りを見回す。

 自分一人だけが暗闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。

 ――誰かいないのか?

 デューアは暗闇に向かって叫んでみたが、声は出なかった。

 そこでようやく思い出した。

 彼がかつて人間の世界にいた時、家族も周囲の人間も誰も彼を見ようとせず、唯一飼い犬のポチだけが彼の友達だったことを。

 そしてその唯一の友達だったポチも、あの火事の夜に死んでしまった。

 彼は本当に独りぼっちになってしまった。


 *


 宮殿に降りたニオンは、バーチの手を引いてデューアの囚われている地下の牢獄を目指した。

 バーチは青い顔をして口を押え、何も言わずに黙って手を引かれている。

 ニオンの呼び出した光の精霊を先頭に、二人は地下の牢獄に繋がる螺旋階段を降りている。

 光に照らされたニオンの顔は不安げで、今にも泣き出しそうな顔をしている。

「バーチ様、デューアが大変なんです。悲しみの上位精霊に取り付かれたまま、この三日間ずっと目を覚まさなくて。もしもデューアがこのまま目を覚まさなかったら、死んでしまったらと思うと」

 バーチは手を引かれ、ちらりとニオンの不安そうな顔を見上げる。

 ニオンを勇気づけるように言う。

「大丈夫だ。森の賢者であるおれが、そんなことさせない。悲しみの精霊なんか、おれが追い払ってやる」

 悲しみの上位精霊がどんな存在か、長い間生きてきたツタの精霊のバーチでさえ、ほとんど知らない。

実際に会ったことも見たこともなく、悲しみの精霊が人間に取り付くことさえ知らなかった。

 バーチは精一杯ニオンを励ます。

「だから、大丈夫だぞ、ニオン。その悲しみの精霊って奴が、どういう奴かは知らないが、そいつがいなくなれば、デューアは目覚めるんだろう? また元のように元気になるんだろう? だったら何の問題もないじゃないか」

 バーチはニオンの手を握り返す。

 にっこりと笑う。

「バーチ様」

 ニオンは潤んだ目でバーチを見つめていたが、口元に笑みを浮かべる。

「ありがとうございます、バーチ様」

 バーチは破顔する。

「うん、やっぱりニオンは笑ってる方がいいな。元気でいるニオンの方がおれは好きだ」

 それは精一杯のバーチの告白だったが、当のニオンは気付かなかった。

「ふふふ、バーチ様も今のままのバーチ様の方がお可愛いですよ」

 ニオンに可愛いと言われて、バーチは不満だった。

 ――どうせなら、格好良いとか、もっと別の言い方が良かったな。

 不機嫌に頬を膨らませ、バーチは階段を降りていく。

 宮殿の最下層にある牢獄にたどり着く。

 そこは何重もの壁に囲まれ、真昼のような明るい光に照らされ、妖精の兵士達が物々しい警備をしていた。

「こちらです」

 ニオンに案内され、何重もの扉をくぐる。

 その一番奥にデューアの幽閉されている牢獄がある。

「こちらにデューアが囚われているのですが」

 ニオンが扉の前に立ち、そう言いかけた時、牢獄の中から物凄い悲鳴が聞こえる。

 悲しみに泣き叫ぶその声が、壁を隔てたこちらにまで響いてくる。

「デューア?」

 ニオンは驚いて振り返る。

 扉に駆け寄る。

「デューア? どうしたの、デューア!」

 ニオンは扉の向こうに向かって呼びかける。

 バーチの耳はデューアの叫び声に混じって、異様な音を聞き取る。

「ニオン、そこから離れろ!」

「え?」

 バーチは青年の姿になって、ニオンを扉から引き離す。

 壁際へと連れて行く。

 その直後、近くの壁が音を立てて崩れ落ちる。

 もうもうと砂ぼこりの上がる向こうには、虚ろな目をしたデューアが立っている。

「デューア!」

 ニオンはデューアに駆け寄ろうとする。

「駄目だ、ニオン」

 バーチがニオンの腕をつかむ。

 デューアの周囲の床に亀裂が走り、床石が大きく傾ぐ。

 その亀裂はニオンとバーチを巻き込み、二人のいる床の周囲が抜け落ちる。

「きゃあ」

 バーチはニオンの体を抱き留める。

 床に手を当て、床石が陥没しないように周囲にツタを張り巡らせる。

「何事だ?」

 この騒ぎを聞きつけ、兵士達が集まってくる。

 デューアは集まって来た兵士達の方を振り返る。

 そちらに手を伸ばす。

「何で父さんも母さんも、誰も僕を見てくれないんだ!」

 誰にともなく叫び、デューアは手を一閃させる。

 兵士達の集まっていた床にひびが入り、床石が浮き上がる。

「うわっ!」

 周囲の壁まで崩れ落ちる。

「な、何で?」

 ニオンはバーチに支えられながら、ゆっくりと体を起こす。

「これは土の精霊の力じゃないわ。これはデューアの力? デューアはいったいどうしてしまったの?」

 バーチは金色の瞳を険しくする。

「わからない。けれど、このままにしておくのは危険だ」

 バーチはニオンを置いて立ち上がる。

石があちこちから飛び出た床をデューアの方へと歩いていく。

 デューアがこちらを振り返る。

 虚ろな青い両目からは、涙がとめどなく流れ落ちている。

「どうして誰も僕を見てくれない? どうして? どうして?」

 デューアは手を伸ばし、握りしめる。

 バーチの目の前の空間が歪み、圧縮する。

 ばちん、と何かが爆ぜる音が聞こえる。

 バーチの鼻先で空間が爆ぜる。

 深緑色の前髪がそよぐ。

「ノートゥン様に話は聞いていたけど、これが噂の空間術か。この世界の精霊の力とは異なる力なんて、確かに厄介だな」

 バーチは眉をひそめ、頬に手を当てて考え込む。

「でも、対処法はある。それ以上の力で押し切ってしまえばいい」

 ぽつりとつぶやくと、バーチの足元から緑の葉を付けた大量のツタが伸びてくる。

 そのツタは見る間に地下室中を覆ってしまう。

 デューアが何かする間もなく、足に絡みつき、体の自由を奪う。

「空間術の発動が、動作に由来するのか、言葉に由来するのかは知らないが。口を塞ぎ、動きを封じてしまえば大丈夫だろう」

 デューアは何かを訴えようと口を開いたが、ツタが絡まり口を動かすことが出来ない。

 両手と両足を縛られ、動くこともままならない。

「バーチ様、もう十分です。やめて下さい!」

 離れた場所で見ていたニオンが、悲痛な声で叫ぶ。

 盛り上がった床石の上を、デューアの方に歩いていく。

「ごめんなさい、デューア」

 ニオンはツタで縛られたデューアの前に立つ。

 子どもの姿に戻ったバーチがよちよち歩いて来る。

「ニオン、まだそいつに近付かない方がいいぞ? 悲しみの精霊の気配は、そいつから離れていない。恐らく、悲しみの精霊が体から離れない限り、そいつは正気を取り戻さないだろう」

「そんな」

 ニオンはがっくりとひざを折る。

 水色の長い髪が顔にかかり、影を作る。

「デューア」

 ニオンのエメラルドの目に涙がにじむ。

 バーチが気遣うように声を掛ける。

「ニオン、元気出せ。いつかデューアも正気に戻る時が来るさ」

 いつかとはいつのことだろう。

 そして同時に、ずっと戻らないかもしれない、という不安もが頭をよぎる。

 もしもデューアがこのまま戻らなかったら、どうなるのだろう。

 ずっと地下の牢獄に入れられたままなのだろうか。

 ――デューアがこうなったのも、全部、わたしのせいだ。わたしがわがままを言うから、あんなことになったんだ。

 ニオンの頬を涙が伝う。

「ニオン」

 バーチが悲しそうな顔をしてニオンを見ている。

 ニオンの顔から目を逸らす。

「ニオン、ごめんな。おれはニオンの役に立てなかった。悲しみの精霊をデューアの体から追い出すことが出来なかった」

 ニオンはゆっくりと首を横に振る。

「ううん、そんなことないです、バーチ様。バーチ様がいたから、あたしは助かったんです。バーチ様がいなかったら、デューアもあたしもどうなっていたかわからないです」

 話しながらも、涙は止めどなく流れ落ちる。

 ニオンはうつむく。

 ――あたし、駄目だな。こんな時、どうしたらいいのか、どうしたらデューアが救えるのか、何も思いつかないなんて。こんなことならもう少し真面目に勉強しておけばよかった。

 今更ながらそう思う。

 ――色々なことを知っているデューアなら、良い考えをひらめいたかもしれないのに。

 ニオンがうなだれていると、どこかから声が聞こえる。

『ニオン、喜びの精霊をお呼びなさい』

「誰?」

 ニオンはぱっと顔を上げ、辺りを見回す。

 辺りにはがれきが積み上がっているばかりで、ニオンとバーチとデューアの他には誰の姿も見えない。

「ニオン、どうした?」

 隣にはバーチが不思議そうな顔をしてニオンを見ている。

――気のせいなの?

 気が付けば兵士達の姿も見えなくなっている。

 ニオンがデューアに向き直った時だった。

『ニオン、喜びの精霊をお呼びなさいな。そうすれば、悲しみの精霊もそこから退散するはずよ』

 その優しげな声には、聞き覚えがあった。

 ――わかったわ。

 ニオンは大きくうなずく。

その言葉の通りに喜びの精霊を呼び寄せようとする。

しかし感情の精霊は他の精霊と違って、呼びかけに応じたりはしない。

その感情を持つ人に強く引きつけられる性質を持つ。

 デューアが悲しみの精霊に取り付かれたのがいい例だ。

 それはひとえにデューアが強い悲しみを持っていたために、悲しみの精霊が引きつけられ、取りつかれたのだった。

 ――でも、どうしたら喜びの精霊を呼び寄せることが出来るのかしら?

 ニオンは眉を寄せる。

 難しい顔をして考えこむ。

 どこからかくすくすと笑う声が聞こえる。

『そんなに難しいことじゃないわ。楽しいことを考えればいいのよ。喜びの精霊は楽しいことが大好きだから』

 ――楽しいこと?

 ニオンは必死に楽しいことを思い出そうとした。

 色々と考えているうちに、かつて父王が生きていた時、一緒に歌を歌って踊ったことを思い出した。

 父王が亡くなってからは、歌を歌ったり踊ったりすることは、その時のことを思い出すので、すっかりやめてしまったが、今ならもう一度歌ったり踊ったりしてみてもいいかもしれない。

 ニオンは自然にそう思った。

「金の鳥 銀の月 水際を駆ける」

 ニオンは昔よく口ずさんだ歌に合わせて体を動かす。

「ほら、バーチ様も。喜びの精霊を呼ぶために踊ってください」

 ニオンはバーチの手を取る。

「こ、こうか?」

 一緒に踊り出す。

「銅の太陽 鈍色の雲 荒野を駆ける」

 歌いながら、踊りながら、ニオンは段々楽しい気分になってきた。

「バーチ様、上手ですよ」

 ニオンは笑いながらステップを踏む。

 昔、父王の前で踊っていた頃の感覚を取り戻す。

「金の鳥を追いかけるのは誰

 銀の月をつかむのは誰

 それは大海の竜

 風と水の精霊の加護を得て 天を駆ける」

 気が付けば、小さな精霊たちがニオン達の周りに集まっていた。

「ほら、風の精霊たちも一緒に踊ろう。光の精霊たちも闇の精霊たちも仲良く踊りましょうよ」

 ニオンは精霊たちに手を伸ばす。

 小さな精霊たちは喜んでニオン達の踊りに加わる。

 どのくらいそうしていたのか、悲しみの精霊の気配が消えた。

 代わりにもっと楽しい気分になってくる。

 ニオンは歌いながら、踊りながら、喜びの精霊の気配を感じていた。

 ――良かった。これでデューアは大丈夫だね。

 ニオン達は地下の牢獄に公爵のエルトとレヴィア女王が駆け付けて来るまで踊り続けた。

 その精霊たちの踊りに、エルトは顔をしかめ、レヴィア女王は、

「あら、楽しそうねえ」

 と、うらやましそうに言って笑った。

「どうやら、無事に喜びの精霊を呼べたみたいね。さすがニオン、私の娘だわ」

 レヴィア女王はすぐにデューアを地下牢から出すと、すぐに医者を呼んで看病させた。

 ニオンとバーチはエルトに長いお説教をくらった。

「まったく、地下牢をこんなに壊して。補修費にいくらかかると思ってるんだ!」

 文句を言いつつも、二人とデューアに対するお咎めはなかった。


 *


 それから数日後、デューアが目を覚ましたという報告を聞いて、ニオンはバーチと一緒に部屋を訪ねた。

 部屋の前でレヴィア女王に呼び止められ、一枚の布を手渡される。

「これ、破れを繕ったんだけど。上手く直ってるかどうかわからなくてね」

 ニオンが手に取ると、鈍色の布が歪み、一匹の仔犬の姿を取る。

「わん!」

「これは」

 ニオンとバーチは目を丸くしてその仔犬を見つめる。

「デューアはこれで納得してくれるかしら? やっぱり元の大きい犬の方がいいかしら?」

 レヴィアの問いに、ニオンは仔犬をしげしげと見つめている。

 バーチと目を合わせ、無言でうなずく。

「ありがとう、母様。仔犬のことは、デューアに聞いてみるわね?」

 ニオンは仔犬を抱いて、バーチがデューアの部屋の扉を叩く。

 中からデューアの声が聞こえて、二人は部屋の扉を開けた。




「デューア、入るわね」

「失礼するぞ」

 ニオンは部屋の扉を開ける。

 バーチがその後ろに続く。

 部屋の中ではデューアがベッドの上で上半身を起こし、青い瞳でこちらを見ている。

「ニオン様、それにそちらは森の賢者のバーチ様ですか。お二人には多大なご迷惑をお掛けしたと聞いています」

 その声には以前のような固さはなかった。

 デューアの全身を包む空気は、どこか険しさが取れた様な印象を受ける。

 普段の黒い服とは違い、白い病院服を着ているせいかもしれない。

 ニオンはデューアと目が合い、視線を逸らす。

「目が覚めたなら、良かったわ。あんたにいつまでも寝込まれていたら、勉強がはかどらないものね」

 デューアの前に出るといつもそうだが、ニオンは素直な態度で接することが出来ない。

 いつも強がって見せてしまう。

「すみません、ニオン様」

 デューアは部屋の窓から差し込む昼の光の中で困ったように笑っている。

 ニオンの尖った耳の先が赤くなる。

「そ、そうだわ。デューアに渡すものがあったんだわ」

 ニオンは抱いていた仔犬をデューアへと押し付ける。

「これは?」

デューアは仔犬を見て不思議そうな顔をする。

 すると今までデューアとニオンの様子を黙って見守っていたバーチが、二人の間に割り込む。

「これは、お前が連れていた犬だ。レヴィア女王がお前のマントを元に戻してくれた。これはお前の大事な飼い犬なのだろう?」

 バーチは面白くない様子で、恋敵のデューアを見据えている。

「これが、ポチ?」

 デューアは尻尾をちぎれんばかりに振りまわす仔犬に手を伸ばす。

「わん!」

 仔犬は甲高い声で鳴く。

 それを聞いて、デューアの目尻が和らぐ。

「ポチ。良かった」

 デューアは仔犬の頭を撫で、胸に抱きしめる。

「ありがとうございます、ニオン様、バーチ様」

 幸せそうなデューアの顔を見て、ニオンはほっとする。

 ――良かった、デューア、笑ってる。

 本当は涙が出るほどうれしかったが、デューアの手前、涙を見せるのは癪だった。

 精一杯強がって見せる。

「べ、別にお礼なんて言われる筋合いはないわよ。元々あたしのせいであんなことになったんだから、その落とし前はきちんとつけないといけないし」

 ニオンの強がりを、デューアはさっぱり気付かない。

 デューアは仔犬を膝の上に置き、表情を曇らせる。

「話は女王陛下からお聞きしました。僕は悲しみの精霊に取り付かれ、大変なことをしてしまったのですね。ニオン様とバーチ様のお二人が僕を止めてくれなければ、もっと大変な事態を引き起こしていたかもしれません」

 デューアは膝の上の仔犬のふかふかな毛を撫でている。

 仔犬は黒い小さな瞳を輝かせている。

「よかったら座りませんか? 本当ならば、何かお出しできるといいのですが」

 勧められるままに、ニオンとバーチはベッドのそばの椅子に腰かける。

 デューアは悲しげに笑う。

「僕が悲しみの精霊に取り付かれるきっかけになったのは、ポチが原因なのです。この布に犬の姿を定着させたのは僕の力ですが、ポチは元々僕が元の世界にいた時に飼っていた犬なんです。道端に捨てられていたのを僕が拾ってきて、家族に隠れてこっそり飼っていたんです。ポチが見つかった時も、家族は何も言わなかった。まるで僕もポチも、この家にいないかのように家族は見て見ぬふりをしたんです。ポチだけが僕は見て、懐いてくれた。僕にとって、ポチだけが唯一の家族のように思われた」

 淡々と話す声は、誰かに聞かせているというよりも、独白に近かった。

「僕が大人になったら、いずれはあの家を出ようと考えていました。ポチと一緒ならきっと大丈夫だと、何の根拠のない希望を持って自分を慰めながら日々を過ごしていたんです。けれどあの夜、家が火事になった時、ポチは僕をかばって死んでしまった。僕はポチと一緒にあの火事の夜に死ぬつもりだった。けれどどうしてかわかないけれど、気が付けばこの世界にいた。レヴィア女王とノートゥン先生が驚いた様子で目の前に立っていた」

 ニオンとバーチは黙ってデューアの話を聞いていた。

「聞いたことがある。大樹は世界と世界を繋ぐ役目を果たす。それを守る我ら森の賢者たちは、外から異界の者が入って来ないように、妖精や精霊が迷ってあちらに行かないように見守っていると」

 バーチが難しい顔をして解説する。

 デューアは少し困った顔をする。

「レヴィア女王もノートゥン先生も、僕がこちらに来た理由を聞いて、お二人はここにいても良いと言いました。けれど、異界の者である僕が、果たしてこちらに留まっていてもいいのかには、いつも迷っています」

 デューアは部屋の窓の外の昼の光を、遠い目で眺めている。

 膝の上の仔犬は気が付けば寝入っていた。

 膝の上で丸くなり、小さな寝息を立てている。

 ニオンはデューアの弱気な態度にむっとして言い返す。

「そんなの良いに決まってるでしょう? 現にデューアはここにいるんだもの。いても良いか、良くないかなんて、関係ないわよ。重要なのはデューアがどこにいたいか、でしょう? デューアがここにいたいなら、ここにいれば良いじゃない。何も迷う必要はないわよ!」

 ニオンはそこで言葉を切り、わずかにうつむく。

「そう言うことなら、あたしがデューアの家族になってあげるわよ! そうすればデューアは独りじゃなくなるし、寂しくもないでしょう?」

 尖った耳の先まで赤くなるニオンを、隣にいるバーチが驚いた顔で見つめている。

 ニオンの家族、と言う本当の意味に気付き、バーチの顔が青くなる。

「ほ、本気なのか、ニオン。本気でこいつと家族になるつもりなのか?」

 バーチは泣きそうな顔をする。

 家族とは、つまり夫婦になる、と言うつもりでニオンはデューアに提案したのだった。

 ニオンは顔を真っ赤にして黙ってうつむいている。

 当のデューアは青い目を丸くしている。

「ニオン様が、僕の家族に、ですか?」

 膝の上の仔犬を撫でながら、不思議そうに首を傾げる。

 家族と言う意味がわかったのか、にっこりと笑う。

「ではニオン様は、僕の妹になって下さるのですね? 本当の兄妹のように親しく接して下さる、と言うことですよね?」

 見当違いの答えに、ニオンは涙目になる。

「デューアの馬鹿。どうしてそうなるのよ!」

 感情的になって怒鳴る。

 どうしてニオンに怒鳴られたのか、デューアは訳がわからないようだった。

「? 妹では不満ですか? でも、ニオン様が姉と言うには少し違うような」

「何ですって?」

 ニオンは椅子から立ち上がり、吠える。

 それを見ていたバーチは、ほっと胸をなで下ろす。

――よ、よかった。デューアが鈍感で。これならまだおれにもチャンスはある!

 バーチは小さな拳をぎゅっと握りしめる。

「どうしてあんたはそうなのよ!」

「ニオン様は、何をそんなに怒っているのですか? 理由を仰って下さらないと、よくわからないのですが」

 デューアとニオンの言い合いが部屋に響く間、窓から差し込む昼の光は明るかった。

 窓の外では小さな光の精霊と風の精霊が、風に乗って仲良く飛び回っていた。


おわり 

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