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うちは酒場じゃありません

3話完結予定です。

 魔皇が居城を構えると言われる広大な大樹海――中規模国家の5~6個がすっぽり入る大陸最大の森であり、一般的にはそのまま『闇の森(テネブラエ・ネムス)』という呼称で通っている――その手前に拓けた小さな町があった。


 闇の森を制覇しようという人間族の開拓者や冒険者が、最後に立ち寄る唯一の文明世界であり、同時に人間族の文化・風習に興味のある非人間種族がしばしば訪れ、または酔狂にも住み着いたりしている人と魔が共存する町――こちらも、何の捻りもなく『黄昏の街(クネパス・ウルプス)』と呼ばれる場所である。


 妖魔だ魔物だと人間族が忌み嫌う闇の森の住人はもとより、人間族にしても、この森にしかない希少な動植物を採取しては、街で売り捌くのを生業としている山師、功名心や好奇心から森を訪れる冒険者、余人には計り知れない崇高な探究心や理解しがたい趣味の為、人跡未踏の奥地を目指す魔術師、さらに魔皇やその眷属を斃そうと血気に逸る勇者など、どっかネジが吹っ飛んだ連中が足を踏み入れるこの黄昏の街(クネパス・ウルプス)は、そんなわけで連日連日、どこかしらで騒動が起こるのが常であった。




  ◆◇◆◇




 ――がらがらがっしゃーん!!


 けたたましい騒音が通りまで響き渡り、それと同時に騎士らしい男達が、勢いよく小さな雑貨屋の間口から吐き出された。

 通りを歩く人々――というか、人間族はほぼ皆無で、酒樽のような体型のドワーフ族の親爺に、緑色の肌に裂けた口から牙が覗くホブゴブリンたち、上半身裸のワーウルフなどといった人外ばかりである――も、一瞬ギョッとした顔で立ち止まって見るが、場所と店の看板を見て、誰も彼も納得した顔で、何事もなかったかのように通り過ぎて行った。


「こ、こ、こ、こ……っ」

 最初に叩き出された30歳過ぎの口髭を生やした伊達男風の騎士が、怒りと羞恥で真っ赤に染まった顔で、鶏のように『こ』を繰り返し、ようやく人語を喉の奥から捻り出した。

「小娘がっ。我輩を誰と思っている! 畏れ多くもグラウィオール帝国アクィラ王国の一等男爵にして、世界救済のため皇帝陛下より勅命を賜ったエンリケ・マルムスティーン・ミュンハウゼンなるぞ! 貴様如き下賎の輩など、本来であれば口を利くことすら許されん貴き身分であるっ。その我輩に対して、かかる狼藉決して許されるものではない! そこへ直れ、この聖剣〈アウラ〉の錆としてくれるわ!」


 自分の上に折り重なった騎士達を乱暴に跳ね除けながら、腰に下げたやたら装飾過剰な剣をすらりと抜いた。


 その声に応えて、この店『異世界雑貨・食品店ドーラ』の店主にして、看板娘にして、従業員にして、給仕、会計、皿洗いまでなんでもこなす(推定)15歳の少女ドーラ・アヴァロンが、片手に背丈ほどもあるモップを持ったまま、柳眉を逆立て店のカウンターから出てきた。

 かなり怒っている証拠に、普段はぺったりと藍色の髪に埋もれて隠れている、頭の上の猫に似た副耳もピンと三角形に尖がっている。


「許せないのはこっちの台詞だわ! どこのお偉いさんか知らないけど、モノを買う時に代金を支払うのは当然でしょうが! それを『我々は世界救済の為、魔皇を倒す為の崇高な行程の途中である。これらはそのために徴収する。ありがたく思うが良い』って、そんな俺様ローカルルール通じるわけないわよ! あと民間人の女相手にいきなり段平(ダンピラ)振り回すって、それがお偉い身分の方がやること?! いい、あんたらがやってるのはね、世間じゃ強盗っていうのよ!!」

 自分よりも頭一つ大きな騎士に向かって、恐れ気もなく啖呵を切る。


 なまじ見た目が美少女――それも枕詞に「可愛らしい」「清楚な」と付く――だけに、そうして凄んで見せても、子猫が大型犬を威嚇しているようで微笑ましいものがあるが、言いたい放題言われた男にしてみれば逆効果でしかない。いい大人が道端で子供に説教されている構図に、もともと細かった堪忍袋の緒が一瞬で切れたらしく、「無礼者っ!!」と叫ぶなり、手にした剣を上段から力任せに振り下ろしてきた。


「ふん!」

 愛用のモップを両手で頭上に掲げて、それを握りの部分で受けようとするドーラ。


 そんなもので大の男が振り回す剣が、受け止められるわけがない。モップごと袈裟懸けに斬られる少女を想像して、男は嗜虐的な失笑を口の端に浮かべた。


 次の瞬間、『カーン!』と割りと軽い音がして、男の剣(自称『聖剣』)が真っ二つに折れた。


「は?」

 阿呆面を浮かべる男の胸元を、濃紺のワンピースに、フリルの付いた白いエプロンを組み合わせたエプロンドレス――要するにメイド服――には唯一不釣合いの、裏に鉄板の入ったごついワークブーツで、蹴り飛ばすドーラ。


「げふっっっ!!」

 潰れた蛙のような声を出して、数メートルも吹き飛ぶ自称エンリケ男爵。


 数秒後、ようやく地面に衝突してワンバウンドした彼は、思いっきりその場で「げほげほ」咳き込むと、自分の胸元の板金鎧にくっきりと残されたドーラの足型に気付いて、青い顔になった。

 鎧がなければ一発で昇天……いや、その気だったら頭の上を蹴り飛ばせば済むところ。手加減して、この程度で済ませてくれたのが、血の巡りが悪い彼にもようやくわかったらしい。


 慌てて駆け寄ってきた仲間の騎士たちに助け起こされながら、憤怒と恐怖とがない交ぜになった視線を、ドーラに向ける。


「なによ、まだやる気?」

 ぶ然と睨み返したドーラが、手にしたモップを逆さにして、柄の部分を地面に衝き下ろす。

 ちょうどその場所に落ちていた、男の剣の折れた半分が、まるでガラスでも割るかのように、その衝撃でバラバラに砕け散った。


「――わ、我輩の聖剣〈アウラ〉が!?」


 男の悲痛な叫びに、一瞬『あ、やばっ』という顔をしたドーラだが、一呼吸置いて何事もなかったかのような顔で、軽く肩をすくめて言い返す。

「なによ。モップも斬れないなんて安物もいいところゃじゃない。大方、足元見て売れ残りの『聖剣(笑)』でも買わされたんじゃないの? ご愁傷様」


(まあ、このモップの握りはセラミックス製だから、鋳鉄製の剣ごときでは斬れるわけないんだけどね)


 もっとも、さすがに『神剣』とか『ドラゴンの牙』とかが原料の魔剣が相手だと、厳しいところがあるけれど、打ち合ってかすり傷も付けられずにへし折れるなんて、ナマクラも良いところだろう。


「き、き、き、貴様……っ」

 わなわな震えながら、顔色を青くさせたり赤くさせたりと忙しい男である。

 震える指先を少女に向けて、仲間(部下?)に指示を出そうとしたところで、いいかげん面倒になったドーラは、エプロンのポケットに手を入れて《かんしゃく玉》を一掴み取り出すと、まとめて男達の足元目掛けて投げつけた。


 ――ぱぱぱぱぱぱぱん!!!!


「ぎゃああっ!!」「ひゃああああ!!」「ま、魔法か!?」「ひえええええーっ!!」

 突然、足元で炸裂した爆発音に、騎士風の男達が揃って背中を向ける。

 一人取り残された……というか、衝撃で腰を抜かしていた自称男爵も、ドーラが2回目の《かんしゃく玉》を投げようとしているのを見て、「うわああああーっ!?」脱兎のごとくその場を後にした。


 捨て台詞のひとつくらいあるかと、男達が通りの角を曲がるまで身構えていたドーラだが、どうやらそんな余裕もないらしい。

 完全にその気配が消えたのを確認して、なんとなく物足りない顔で握っていた《かんしゃく玉》をポケットに戻し、逆さにしていたモップの刷毛(ハケ)の部分を下に戻すと、粉々になった『聖剣(笑)』の欠片を一まとめにし、ついでに蹴った勢いで男の手から離れて、通りへ転がっていた柄の部分も回収した。


「……ま、後から取りにきたら面倒だし」

 取りあえずそれらをまとめて、回収するんだったら勝手に回収しろとばかり、店の脇のところに放置して、店の中に戻る。


「よう。お帰り、お嬢。相変わらず見事な手並みじゃのう」

 騒ぎの間、カウンターの隅に避難していた見事な白髭のドワーフ――ドゥーヴル爺が、コップに半分ほど残った清酒を振って、ドーラの健闘を讃えた。ちなみに酒の肴は《イワシの缶詰》である。


 梁から吊り下がった魔法の角燈(ランタン)の青白い光のもと、見れば男達を叩き出した時に乱雑に転がったテーブルや椅子も、図々しくも自分の分の酒とツマミをきっちり確保して、避難した店の常連達の手によって、もとの形に整えられ、各自何事もなかったかのように――というか、いつもの余興という雰囲気で――マイペースに、飲み食いを楽しんでいた。


 ちびちびと舌の先で《チョコレート》を舐めているリザードマン、寡黙な表情で《缶ビール》を口にするケンタウロス、至福の表情で《桃の缶詰》を開けて堪能しているエルフ等々。

 いつもながら堅気のお客さんが一人もいない――というか、うちは基本雑貨屋なんだから、昼間っから入り浸ってお酒飲んでるじゃねーわよ、とか思いつつ――店内をぐるりと眺め、カウンターに戻ったドーラは、モップを隅に置いてぺこりと一礼した。


「皆さんお騒がせしました。ご迷惑をおかけしたお詫びとしまして、本日の料金は半額にさせていただきます」


 その言葉に、店内に居た客の全員が眼を輝かせ、『いやっほおおおおっ!!』と歓声をあげ、いま飲み食いしている酒やつまみを大急ぎで腹の中に掻っ込むと、次々と席を立って店の半分を占める雑貨店の食品棚のところへ行き、目当ての《缶詰》やら《魚肉ソーセージ》やらを手に、カウンターに戻ってきた。

 どうやら全員、半額で抑えるよりも普段の倍、飲み食いする方を選択したらしい。


 会計に並ぶ常連客を、伝票と《ソーラー式電卓》片手にテキパキと相手して、代金とお釣りとを支払う。基本、一見の客も常連客も関係なく前払いが原則である。ツケは効かない。

 前金で貰った分と新たに持ってきた商品との差額をきっちり計算して、足りない時は請求し、多いようなら返金するドーラ。別にそこまで細かく計算しなくても、誰も文句を言わないとは思うのだが、性格的にこういったことはきっちりしないと――一部、守銭奴と言われる原因でもあるが――気が済まない性質(たち)なのである。


 ひと段落着くのを待っていたのだろう。コップを空にしたドゥーヴル爺が、同じ缶詰をカウンターに置いて、上機嫌に2杯目を注文してきた。


 軽くため息をついて、カウンターの下から取り出した一升瓶をどかっと置き、慣れた手つきで受け皿にこぼれるギリギリまで酒を注いだ。

「ととととと……う~~む、こっちの方も見事な手際じゃのお。毎回、こぼれるギリギリで調節するとは」

 表面張力で山盛りになったコップを、横から眺めてひとしきり感心するドゥーヴル爺。なんでこぼさないんじゃろうと若干不満げでもあるが。


 こぼさないようにカウンターにコップを置いたまま、口を尖らせ、上の方を一息に吸い込んだドゥーヴル爺は、しみじみと嘆息した。

「う~~む。やはり酒は清酒に限るのぉ。これが飲めるだけでも、この街に通う意味があるというものじゃ。儂も若い頃は、一口で火を吹くような強い酒ばかり飲んでいたものじゃが、あれはいかんな。これに比べればただの燃料じゃわい」


「そういうものかしら。でも、これも酒精には変わりないんだし、あんまり飲み過ぎると身体に悪いと思うんだけど?」

 かぽかぽとコップを傾けて、2杯目も水みたいに飲むドゥーヴル爺のペースに、若干眉をひそめるドーラ。

「かかかっ。この程度の酒で酔い潰れるドワーフなんぞおらんよ! いっそ樽で注文したいくらいなのじゃが……」

 プルトップ型の缶詰を開けて、カウンターに置いてある爪楊枝で鯖の切り身を抓んで、滴り落ちる汁の一滴までこぼさないよう注意しながら、大事そうに口へ運ぶ。


「樽ねえ。確か一升瓶10本分の《樽酒》ってのもあった筈だから、『召喚(とりよせ)』できるとは思うけど」

 何気ないドーラの言葉に、ドゥーヴル爺の顔がぱっと輝いた。

「なんと! あるのか!?」

「多分……大丈夫だとは思うわ。一升瓶10本分だから18リットル…水に不純物が混じってると考えても、最大でも20キロ程度、あと樽の重さを5キロとすれば、だいたい25kgってところかな。1度に40kgくらいまでが限度なので、まだ余裕ってところね」

「むむむむぅ……ぜひ欲しいところじゃが。それで幾らになるのかの?」


 舌なめずりをするドゥーヴル爺の前で、電卓を叩く。 

「えーと、コップ1杯200ミリリットルで銀貨1枚で出しているから、180リットルの……900枚、金貨30枚ってところね」

 ちなみに銀貨1枚がだいたい1,000円で、銀貨30枚で金貨1枚になる。つまりは90万円ということだ。


 金額を聞いて当然ながら渋い顔をするドゥーヴル爺。

「むううう、そいつはきついのお。いまから鍛えるのも面倒だし、そうなると手持ちの剣か槍を売らんと手が出せんわ」

「ああ、そうね。ドワーフの鍛えた刀剣ってなれば、どこでも高値で取り引きしてくれるものね。その気になれば毎日、樽で飲めるわけよね。――いいわね、手に職がある人は食いはぐれがなくて」

(こっちは一日一回しか使えない《異世界物召喚魔法》でカツカツだっていうのに。……と言うか、昼間から飲んでないで働け)


「……まあ、確かに引っ張りだこじゃし。場所柄もあって、即金で売れるのも確かじゃが……最近は、ああいう連中が増えてきたからのぉ。せっかくの名刀も、物の価値のわからん馬鹿に使われるようでは、泣くにも泣けんわい」

 いつの間にか半分以下にまで減っていたコップの中身を眺めながら、鍛冶師としての慨嘆か単なる飲兵衛としての悲哀かは知らないけれど、しみじみとため息をつく。


「ふーん、そういうものなの」

 商品なんて売れてナンボだと割り切っているドーラとしては、職人のコダワリというのはあまり実感できるものではないが、まあモチベーションを保つのに必要なんだろうな、くらいに想像して頷いた。頷いてから、はっと思い出してバツの悪い顔で聞いてみた。

「……もしかして、さっきあたしが壊しちゃった『聖剣』も、そういう思い入れがあったのかな?」


「ああ、ありゃ出来合いの量産品にそれっぽい柄と鞘をつけただけの紛い物じゃ。気にせんでいいわ」

 本職にあっさりと言い切られ、ドーラはほっと胸を撫で下ろした。

「よかったぁ。まあ安物だとは思ってたけど」

「まともな職人の作ではないな。土産物屋の飾り程度じゃろう。だいたい『聖剣〈そよ風(アウラ)〉』なんて名前からしてふざけておるじゃろう? 神聖言語もわからんような貴族だの騎士だのいるとも思えん。大方騙りじゃろう」

 先ほどの自称男爵以下騎士たちが、ほうほうの体で逃げて行った方向――闇の森とは正反対の、人間族の開拓村がある方――を見て、鼻を鳴らすドゥーヴル爺。


 そこまで言われればドーラもピンとくる。

「ああ、なーるほど。それっぽい服装と肩書きを名乗って、『世界救済』だの『魔王を退治する』とか言って、僻地の町や村を巡って『善意の供出』を求めるってわけね。……なんだ、やっぱり恐喝・詐欺の類いじゃない。足腰立たなくなるまでノシておけばよかったわ」

 

 その言葉にドゥーヴル爺が呵呵大笑したところで、不意に店の外で、


 ――ぱぱぱぱん!!


 という破裂音がして、「ひいいいっ!?」という引っくり返った、聞き覚えのある野郎の悲鳴が聞こえてきた。

 即座に愛用のモップを掴んで、店の外に飛び出すドーラ。


 見れば店の脇に置いてあった『聖剣〈そよ風(アウラ)〉』の残骸に手を伸ばした姿勢で、自称エンリケ男爵がひっくり返っていた。

 どうやら茶目っ気を出して剣の周りにばら撒いておいた、かんしゃく玉のトラップをあっさり踏んだらしい。

 そしてその背後、先ほども付いていた一応鎧冑をまとった騎士風の男4人の他、5~6人の粗野な身なりと人相をした男達が手に手に武器を持って控えていた。どう見ても夜盗か追い剥ぎです。本当にありがとうございました。


「まったく。噂をすれば影とはよく言ったものね。言っとくけど、うちの店は刃物かざした常識知らずは客とみなさないわよ。いますぐその聖剣なんちゃらを持って帰るか、刃物をしまっておとなしく客として振舞うか、二つに一つを選びなさい!」

「うるさい小娘! やれっ、やってしまえ!」

 どちらも選ばずに自称エンリケ男爵の叫びに従って、男達が好き勝手な掛け声をあげて一斉に襲い掛かってきた。堪え性がない上に聞き分けのない連中である。


 武器の持ち方や足運びは素人か、ちょっと齧った程度ではあるが、なにしろ人数が多い上に場慣れした様子である。黙って迎え撃つのは不利。

 そう判断したドーラは、一気に自分から距離を詰めると、モップを支点に輪になって剣を突き出してきた男達の頭上を越え、ついでに途中で正面の男の頭を蹴り飛ばし――冑を被った男なので多分死んではいないだろ――着地すると同時に、モップを横薙ぎに翻し、「ぐああ!」「ぎゃあ!」二人の男の足の裏を刈り、倒れたところの鳩尾へ連続してモップの柄を突き入れる。


 一瞬で意識を失った男達から距離を置いて、手首でモップを回転させ、横から剣を突き入れてきた男の剣を弾き飛ばし、さらに一歩踏み込んで、空いた胸元に掌底を叩き込む。

 呻き声も出せずに斜向かいの店の前まで、すっ飛んで行った男の行く末を見ることなく、時間差で斬りかかってきた騎士風の男の攻撃を、身体を半歩ずらして余裕を持って躱したドーラは、カウンターでモップの先端を男の喉に入れ、「げっ」と蹲ったところへ膝蹴りを入れた。


 濃紺のスカートと腰まである長い髪、そして細い首元にある鈴を模した金色のチョーカー飾りが、ヒラヒラたなびくたびに、どんどんと減って半分になった味方の人数を数えて、安全な後方から指示を出していた自称エンリケ男爵の顔色がどんどん悪くなっていく。

 このまま仲間を見捨てて逃げるか……と考えたところで、その内心を見透かしたかのように、ちらりと振り返ったドーラの『逃がさないわよっ』という断固たる意思の籠もった視線と目が合った。


 同時に、店の奥からいつの間にか玄関先まで、酒と肴を持って移動してきた客たちの、

「おおっ、そこじゃ、いけ! お嬢っ」「お見事っ。これぞ百戦錬磨の看板娘!」「これがなくちゃ、面白くねーからなー。いやー、すげーわ」「がんばれ! ドーラちゃん!」「結婚してくれ!」

 無責任な野次が飛んでくる。


 見れば通りを取り囲むようにして、ぐるりと見物人(ほとんど人外)が、同じように嬉嬉として歓声をあげていた。

 もはや逃げ道もない。

 ごくりと唾を飲み込んだ自称エンリケ男爵は、予備の剣を抜いた。


「……まったく。人を娯楽扱いしてんじゃないわよ!」

 いましも一人の男に肘打ちを決めたドーラが、うんざりした顔で、どっと笑顔でどよめく観客に怒鳴り返す――その無防備な背中に向かって、忍び寄っていた自称エンリケ男爵が力任せに剣を振るった。


 と――。

 すかっ、と音を立てて刀身が空を切った。


 ふわり、と羽毛のような身軽さで、再びモップを支えに跳躍したドーラは、

「……最初は恐喝、次が数を頼んでのお礼参り、最後は不意打ちとか、役満もいいところじゃない。ほんと下種の考えって、なんでこう短絡的なのかしら?」

 ウンザリした顔で、手にしたモップを思いっきり自称エンリケ男爵の脳天へと振り下ろした。

 伊達男気取りの暴漢は、声もなくその場へぶっ倒れる。


 完全に浮き足立った残りの4人へ向け、モップを振り回しながら突進する。


 程なく、襲ってきた全員を叩きのめしたドーラだが、死屍累々という感じで周囲に倒れている野郎どもの処遇に、頭を悩ませることになった。

 この街には治安維持の衛兵も自警団もない。


 どーしたもんかと首を捻ったところで、2杯目の清酒を飲み干したドゥーヴル爺が、誰にともなく声をかけた。

「ふむ……こいつら確か『世界救済の為』『魔皇を斃しに行く』と言ってたはずじゃろ? ならせっかくだ、誰ぞ闇の森(テネブラエ・ネムス)の奥に運んでやってはどうかの。こやつらも目的が果たせて本望じゃろうて」


「――ほう。それは面白い。なら私が招待して進ぜよう」

 見物人の中から白皙の貴公子然とした美青年が現れた。

 一見して少々古い様式の貴族服を着た貴族のようだが、尖った耳と白目の部分が赤く瞳が逆に白い異相の、明らかに人外の青年であった。


 その青年の存在感に、人間・人外関係なく自然と道が開いた。


「げっ……侯爵っ……」

 畏怖(主に男)と憧憬(主に女)の視線に染まる周囲の面々の中で、ただ一人ドーラだけが、露骨に眉をしかめる。

 青年の方は気にした風もなく、体重のないような足運びでドーラの目の前までやってくると、自然な様子で一礼し、その右手の甲に軽く口付けした。

「やあドーラ、相変わらず麗しくも壮健そうでなによりだ。本来であれば君の笑顔を見るために、毎日でもこの街へ足を運びたいところなのだが……まったく、“すまじきものは宮仕え”とはよく言ったものだね。なにかと陛下の雑用が多くてね。まあ他がボンクラ過ぎるのが原因なのだが……お陰で君には寂しい想いをさせてしまったね」

「いや、ぜんぜん寂しくないし」

 と言うか笑ってすらいない。


 思いっきり無愛想に答えても、まったく堪えた様子もなくサラサラの髪を手櫛で梳く侯爵。

「つれないねぇ。だが、そこがたまらない魅力だよ。私としてはもっと君の花の(かんばせ)を愛でていたいところなのだが、いかんせん例のものを至急持参するようにとの陛下の勅命でね。ろくな挨拶もなしに用件のみを済ませるなど、非常に遺憾なのだがこれも仕事なのでね。申し訳ないがいつものアレを用意してもらえないかな。――ああ、その間に、この狼藉者たちは私の方で処分しておくので後のことは任せたまえ」

 気絶している自称エンリケ男爵以下の顔ぶれを見渡して、ドーラに向けるのとはまったく違う冷酷な笑みを浮かべる。


 内心で彼らの今後の運命に嘆息しながら、ドーラは店の中に戻った。

 目的のもの――ずっしりと重い紙袋――を提げて戻ってきたところ、どこから現れたのか20匹ほどの腐肉喰らい(グール)たちが、二人一組になって男達を荒縄で縛って抱え上げていた。


「はい、今月のラノベとコミックの新刊。取りあえず魔皇が既刊で持ってる続きと、新シリーズで出た分は入れておいたから」

「すまないねいつも。――おっと、レディにこんな重い物を持たせるとは、私としたことが」

 ドーラの手から紙袋を軽々と受け取った侯爵は、代わりに掌ほどの大きさの皮袋を取り出して渡した。

「では、こちらが代金だ。足りないようなら追加でもう何袋か用意してあるが?」


 ちらりと中身を確認して、すべて金貨――それもプレミアものの旧帝国金貨(現行金貨の10倍の値段がつく)――なのを確認して、ため息をついた。

「こんだけあれば充分よ。……というか、前から言ってるんだけど、1枚あれば充分なんだけど」

 それに対する答えはいつもと同じ。

「とんでもない! 異世界の物品を自在に召喚できるなど、陛下でも不可能なこと。できるのはこの世界でも君だけだろう。その代金と思えば、これでもまだ足りないくらいだよ。君はもう少し自分の希少価値を知るべきだね。まあ、そんな奥ゆかしいとこも、魅力ではあるのだが」


 自分としては、『ちょっとした特技で他に能がない』程度の認識なので、お互いの溝は深いわねぇ……と、しみじみ思いながら、ドーラは受け取った代金をエプロンのポケットにしまう。


「さて、名残惜しいが、陛下をお待たせするわけにもいかん。《龍脈》を通っても城までは1時間ほどかかるからね。しばしのお別れだ。また逢える日を心から楽しみにしているよ」

 そう一礼して、侯爵は踵を返した。その後に続いて、荷物を持った腐肉喰らい(グール)たちが、ぞろぞろ続く。


 やがて、その姿が闇の森(テネブラエ・ネムス)へと完全に消えたところで、誰ともなく一斉に安堵のため息がその場に広がった。

「いやいや、すっかり酔いが醒めてしもうたわい。せっかくお嬢が見事な闘いぶりを見せてくれたというのに、これでは勿体ないわい。お嬢、すまんが清酒をもう1杯追加してもらえるかの」

 ドゥーヴル爺の注文の声を合図に、残っていたお客や通りすがりの連中も、ついでとばかり店の中に入ってきた。

「そうだな。せっかくだからドーラ嬢ちゃんの健闘を讃えて乾杯といこうぜ」

「おう、俺も1杯もらうぜ」

「よっしゃーっ、乾杯!」

『乾杯ーーーっ!!!』

 狭い店内に賑やかな乾杯の声がこだました。


「……だから、ウチは酒場じゃないというのに」

 カウンターに鈴なりになって、つまみの会計や酒の追加を注文するお客たちを見渡しながら、カウンターに戻ったドーラは、伝票と電卓片手にいつもの愚痴をこぼした。



 ――『異世界雑貨・食品店ドーラ』は、今日も平常運転であった。

別作品の番外編を書いてたら、「あれ、主人公いらなくね?」と思ったので焼き直して別作品にしました。


12/2 誤字訂正しました。

×すさまじきものは宮仕え→○すまじきものは宮仕え


あと、エンリケ・マルムスティーン・ミュンハウゼン=ホラ男爵 です。

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