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警報がなんともないことが分かったので、カミラたちはそれ以上なにも気にせず、クラスへ向かうことにした。
クラスでも朝の警報のことは話題になった。『ユートピア』の再来だのなんだのと姦しくも皆、噂話に花を咲かせている。どのみち生徒たちも詳しいことは知らないので、どの噂も憶測の域を出ない。
中には宇宙人が地球を乗っ取りに来て、手始めにこの第一高等学校を襲撃したなどという阿呆らしい推測も出ていた。結構なことである。
カミラはあくびをしながらノートを開く。残念ながら生憎、噂話で盛り上がれる友人は一人もいない。宇宙人襲撃の説に一人、カミラの頭をペチペチ叩きながら大笑いしている悪友なら、若干一名心当たりがあるのだが。誠に遺憾ながら。
ユリアナの手を払いのけ、ノートをパラパラとめくる。数ページめくると、昨日『ユートピア』が来て講義が中断されるまで描いていた、グランフェルト教授の似顔絵が堂々と鎮座していた。四角ばった顔に太い眉、薄い頭と小さな瞳。知ってる人が見たら、間違いなくグランフェルト教授だと分かるだろう。
自分の絵に文字通り自画自賛しながら、シャープペンシルを握り、グランフェルト教授にディティールを付けたしていく。途中、ユリアナが勝手に覗いて勝手にツボに入っていたが、カミラは気づかないふりをした。睡眠時間を削った罪は重い。勝手にツボに入って変な人認定されるが良い。あたしは関係ないのだ。
そうしているうちに、件のグランフェルト教授が入ってきた。相変わらず、自信なさげというか、頼りなさげというか、底知れないというか、なんとも微妙な顔つきである。威勢がいいのはそのビール腹だけで、全体から覇気とは正反対の気が漂ってくる。カミラは自分の似顔絵と比べて、修正点を洗い出す。もう少し眉が垂れた方が良いだろうか、うむ。
グランフェルト教授は熱意があるのかないのかさっぱりわからない教授で、無駄話が異様に長い。眠れない夜のように長い。いや、グランフェルト教授を見るだけで睡眠欲に抗えない生徒が続出するので、この例えは相応しくないが。
聞くところによると、親戚のツテで雇われているらしい。まあ、どうせ単なる噂話だ。信用に足るものではないし、さして人気も人望もあるわけではない教授の家庭事情に、興味のある生徒はいなかった。
カミラはグランフェルト教授の間延びして聞き取りづらい野太い声を聞き流しながら、一応はテキストを開いておく。眠らなければ目は付けられないので、真面目にノートを取っているふりをしていれば良いのだ。今日の話はグランフェルト教授の趣味について。熱帯魚を見つめることが、どうして宇宙の根源に関係あるのか。度し難い。
つくづく教鞭を執るには向かない御人である。世界史の教授なのに、なぜか人生観について語ることが多い。熱帯魚の話は、今月で4回目である。そしてつまらない。外ヅラに定評のあるユリアナでさえ、あくびを咬み殺していた。
「……そのマリンはですね……ああ、もうこんな時間か。さて、講義に入ります。昨日の続きから」
あれ、いつもより短い。当社比5割減といったところか。ユリアナもいささか拍子抜けした様子である。
右眉だけ欠けた似顔絵のグランフェルト教授の次のページを開いて、カミラは講義の内容を書きとっていった。
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講義が終わって伸びをする。グランフェルト教授の講義だと他の教授よりも長く感じるから不思議である。今日もなかなかの脱線具合であった。熱帯魚のマリンはついに、土星になったらしい。教授曰く、生物は全て土星に属しているのだとか。うむ。よく分からん。
ところどころに落書きの入ったノートをなんとなく見直す。グランフェルト教授は正面の顔が描きづらい。ベルトに乗っかっているお腹は実によく表現できたと思うのだが。
一人悦に入っていると、誰かに肩を叩かれた。
「あぁー……カミラ・スケルディングとユリアナ・オタラですね?」
特徴のある野太い声。間延びした口調。紛うことなき、グランフェルト教授である。
「はい、なにか?」
カミラの表情はいつものポーカーフェイスである。内心、落書きが見つかったのかと少しばかりびっくりしたが、グランフェルト教授なら大丈夫だ。どうせ口頭指導で終わりだろう。痛くも痒くもない。
たいがい、生徒に舐められっぱなしな教授である。哀れな。
その悲壮感を漂わせたグランフェルト教授が、重たい口を開く。この教授が大声を出すところを見たことがない。今日もモゴモゴと滑舌悪く、近くにいても聞き辛い。
「えー、学校長から、お話があるそうです。今日中に来るようにと」
「ああ、そうですか。分かりました」
学校長から、直々に話とは。予想以上に大きな話のにおいに、カミラの表情が少しだけこわばる。まさか学校長直々に、落書きのお咎めではあるまい。蚊帳の外で高みの見物を決め込んでいたユリアナも、へえ、と不思議そうに瞑目する。
カミラとユリアナは互いに目を見合わせて、首を傾げた。