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西エリア首都区第一高等学校、というのがカミラたちの通っている学校の名前だ。
首都区と銘打ってはいるが、国家そのものがない今、首都という存在に意味は無いに等しい。これは国家がまだ存在していた頃からの悪しき慣習によく似たものである。
先の大戦よりも半世紀前に設立されたこの学校は、全寮制でなかなかの規模を誇り、西エリアでは一番偏差値の高い高等学校である。
伝統と規律を重んじる校風。設立当初からほとんど変わらないその外観は、修復工事を繰り返しているものの、まるで一世紀前に迷いこんだような石造りを堅実に守っている。ガラス張りの高層ビルが立ち並ぶなか、偏屈な老人のごとくどっしりと座りこんでいるこの学校は、なかなか異彩を放っていた。
もちろん、学業のほうでも異彩はばりばりに輝いている人が集まってくる。第一高等学校の名は伊達ではない。地方では世紀の天才と褒めそやされた学業に秀でた者、人間業とは思えぬ動きをする、運動技術に秀でた者。卒業生の中にも政府要人やら起業家などがゴロゴロいることから、そのレベルの高さが伺えるだろう。世界規模でその名を轟かす、数少ない高等学校の一つである。
生徒の学業の全面的サポートと銘打って、第一高等学校は全寮制だ。男子寮は4人部屋だが、女子寮は2人部屋である。ただ、部屋の数は女子寮の方が多いので、男子寮も女子寮も寝泊まりできる人数はだいたい同じである。しかしその分、若干女子寮の方が大きめだ。
いずれにしても寮の部屋には生活必需品しか入らないぐらい狭い。というより、わざとそうしているかのような狭さだ。
女子寮は部屋の両脇にベッドが備えつけてあるが、部屋の奥行きはベッドの長さと同じである。洋服や教科書はベッドの頭の方にある大きめの棚に入れている。そうすると、もう何も部屋には持ち込むことができない。生徒は思う存分、学業に打ち込むことができる。半ば強制的ではあるが。
テレビなどの娯楽は共同スペースの食堂にある。勉強は、これも寮の共同施設である自習室で。自習室なのに、勉強時間は決まっているし、監視もされている。部屋はただ寝るためだけにあるといっても過言ではない。
当然であるが、勉学に不必要な物は持ち込み禁止。見つかったら、鬼のように怖いともっぱらの噂の寮母さんにお説教されるらしい。
さて、『ユートピア』の来襲から一夜明けて、いつも通りのそんな女子寮の一室で。
カミラは布団をかぶって、枕に縋り付いていた。
「あと、10時間・・・」
さらに布団にくるまって、か弱く首を振って見せるカミラにも、笑顔のユリアナは容赦がない。全身で布団にしがみつき、起きようとしないカミラに対し、ユリアナはうまく掛け布団を扱い、カミラを転がしている。その手際はもはや達人の域である。
「そんなに寝てたら溶けるよぅ、カミラちゃーん。どうせぇ、遅くまでテレビ見てたんでしょー?」
「いや、違う・・・そうだけど」
どっちだよ、と言いながらユリアナはあっけなくカミラの布団を剥いだ。カミラが見ていたという小型テレビは持ち込み禁止のはずだが、どういう訳かカミラのベッドの真ん中に、堂々と鎮座していらっしゃる。実はこれはユリアナの私物なのだが、どうやって寮母さんの厳しいチェックを抜けているのかは謎である。
獣のように至極不服そうにむくりと起き上がったカミラは、無言でユリアナの背中を叩き続ける。寝起きのカミラの拳では、ユリアナに1ダメージも与えられないようだが。
「そんなに拗ねないの。着替えて、顔洗って。食堂閉まっちゃうから」
いつもはへらへらふわふわと雲を掴むような言動しかしないユリアナであるが、根っこは超の付く真面目ちゃんである。ちなみに、権力者、老人に対しても真面目体質は発動する。まとめると、外面が良い。老人の膝の上でゴロゴロと喉を鳴らす猫である。
彼女は大家族の家に負担をかけないため、奨学金制度を使いながら成績上位をキープしている。そんな苦学生で屈託ない彼女は、同級生よりも老人に好かれている。ついでにおばあちゃんっ子なので、言動もいささか古臭いのがまた、それに拍車をかけていた。
この世話焼きばあちゃんめ・・・とカミラは心の中で毒づきながら、渾身の力を込めてユリアナの頬を引っ張る。いつも頬に何かつまっているのではないかと思わせるほど、ふくふくしたユリアナの頬は、面白いぐらいよく伸びる。
「ちょ、カミラ痛い痛いいたたた」
「罪名、あたしの眠りを妨害した罪だ。あたしは刑を執行したまで」
「それは寝ぼけさんの屁理屈……いひゃいですすみまへんでひた」
ユリアナが降参したところで溜飲が下がった。カミラが指を離すと、ユリアナの頬が若干伸びているような気がするが、気のせいだ、うむ。
ユリアナはちゃんと着替えていた。飾り気のないシャツとスカート。上着に紺のベスト。明るい茶褐色の癖っ毛は、いつものように素っ気ないポニーテール。髪を束ねるゴムにも何の装飾も無く、量販店でまとめ売りしてある茶色の地味なものだ。
彼女は服装にはあまり頓着しない。選ばなくて楽だからと着ているコーディネートは3日ローテーションである。服も自分から買いに行こうとすることはなく、いつもカミラがあちこち連れ回している。ユリアナはあまり乗り気ではないが。
カミラからすれば、あり得ないことこの上ない。
やはりおしゃれは大事だ。花の17歳、我が身を着飾らずしてなにを飾るというのか。心を飾るという選択肢はまず出てこないカミラである。
カミラはベッドの上に備えつけてあるクローゼットを開けると、今日の服をゆっくりと選び出した。季節は秋だが、ここのところ寒い日が続いている。そろそろ本格的に冬物を出した方が良いだろうか。いやしかし、もしかすると暖房がつくかもしれない。カミラの服を全部仕舞うには棚は小さすぎて、苦労して服を引っ張り出しながら、あーでもないこーでもないと悩み出した。
迷いに迷った結果、目の覚めるような鮮やかな青色のタンクトップの上に、黒い肩出しのニットを重ね着することにした。少し寒いかもしれないが、そんなことは大した事ではない。ミニスカートを履かない方が由々しき事態である。
その間ユリアナは図書館で借りた本を読んでいた。夜中、暗い中で本を読みすぎてユリアナの視力はすごく悪いのだが、普段はメガネをかけていない。頭の上かベストの胸ポケットが、ユリアナのメガネの定位置である。
以前、メガネをかけなくても見えるのかと聞いたら「慣れた」と答えられた。そういうことではないが。むしろメガネをかけると、遠近感が狂うと、ユリアナはメガネを疎んじていた。メガネの存在意義はあまりないらしい。
それでも時々、小さな文字が見えないらしく、目を細めている。そんな事をするくらいなら、メガネをかけてしまえばよいのに。もともとつり目なので睨んでいるようにも見え、目つきが悪いと言われていた。目つきが悪いのはカミラも一緒だが。
ユリアナはメガネを頭の上に押し上げ、本を閉じた。どうやら今日も、メガネをかける気は無いらしい。そして満足そうに頷くと、どっこいしょ、と言いながら立ち上がった。