第6話
川島鏡子の住むマンションに到着したのは夜の帳が街を包みかけた頃だった。
部屋のドアは施錠されていなかった。
俺はそっと中に入った。
電気も点けないうす暗がりのなかで、三人の人間が息をつめて対峙していた。
俺は気配に気をつけながら、スイッチを探して灯りをつけた。
そこにいた三人が、同時にびくっと身を震わせてこちらを見た。
キッチンを背にして川島鏡子がへたりこんでいる。
その前に、フライパンを構えた広瀬さんがへっぴり腰でたちはだかり、
テーブルをはさんで窓際に、芹沢遊兎が両手でナイフを突き出すように持って立っていた。
一度キヨと心をシンクロさせたせいか。俺は遊兎の姿を複雑な想いで見た。
そう、遊兎は卯吉に瓜二つだった。
生まれ変わりってあるんやな・・・・。
そのせいで、供養されたはずのキヨ人形の想念は、また眼をさましてしまったのだ。
憑かれていたのは鏡子ではなく、遊兎だった。
「ペキぃ~」
広瀬さんが情けない声をあげた。
「警察は」
「今さっき呼んだ・・・。」
遊兎はすでに胸が痛んでいるようだった。鼻筋にしわを寄せ、脂汗を額にうかべている。
病院で異常なしといわれたのが、彼の唯一の心の支えだろうな。
だがそんなもの、なんの保障もない。なにしろ相手は・・・。
俺はなにもない空間を見渡しながら叫んだ。
「キヨ!おるんやな!」
窓が開いているわけでもないのに、カーテンがふわっと揺れた。
遊兎がびくっと身構える。
「お前の気持ちはわかった!たのむ!もう一遍だけチャンスをやってくれ!」
カーテンは動かない。
「ペキ・・・?」広瀬さんが訝しげに呼んだ。
俺はかまわずもういちど声を張った。
「たのむ!今日は俺にまかしてくれ!」
カーテンが再び、ふわり、と揺れた。
よし。俺は眼を閉じた。5・4・3・2・・・
スタート。
こころの中でカチンコが鳴る。
眼をあけた。今から俺は、超極悪非道の渡世人だ。
ぎろっ、と睨みつけながら、間合いもへったくれもなく、俺はずかずかと遊兎の前に行くと、
間髪入れずに手首をはたいた。
ぽろりと落ちたナイフを足で蹴飛ばし、遊兎の胸ぐらをつかんでぐいっと持ち上げる。
顎をあげて「ひっ」と声をあげる彼の髪を掴んで、キスできそうなくらい顔を近づけた。
最初は重低音で。
「おまえ死にたいんか。」
「・・・・・。」遊兎ののどぼとけが上下した。
顎を受け口の形に固定して、口の中だけで発音する。
「死にたいんかってきいとんじゃ!」
「や・・・いえ・・・。」
彼の眼がみるみる潤んで、きょときょととせわしなく揺れた。
ここでボリューム最大限だ。
「こんなアホなことしとったらなあ!全部自分に帰ってくるんじゃ!わかっとんのか!ボケ!」
「す・・すいま・・・せ・・。」
だいたいはじめから俺の顔を怖がっていた遊兎だ。涙を流しながら完全に恐慌状態に陥っている。
もう二度と、アホな考えを起こさないよう、トラウマになるくらいびびらせてやる。
「今度悪い事考えてみい、どこに逃げたかて絶対に!見つけたるからな!よう覚えとけよ!」
「はひ・・・。」
胸ぐらを掴んでいた手を離すと、遊兎はへなへなとその場にへたりこんだ。
俺にここまで言われる理由なんか、たぶん一生わからないだろうな。
サイレンの音が近づく。窓ガラスに、赤い光が明滅した。
警察がきたか。あとは法律にまかせればいい。
すぐに、数人の警官が部屋に入って来た。部屋の様子を一瞥し、二、三人が顔を見合わせて頷き合うと、
一斉にこちらに飛びかかって来た。
「?」
羽交い締めにされた。
俺が。
「いや、違う!違うって!」
「おとなしくしなさい!」
「俺と違う!おまわりさん!ちょっと!」
「暴れるな!公務執行妨害!」
警官の一人が叫ぶと同時に、別の警官に腕をとられた。
カチャ。手錠がかけられる。
「えーーーーーーっ!」
あわてて広瀬さんを振り返る。
「ちょっ。広瀬さん!なんとかいうて・・・。」
広瀬さんはまだフライパンを握ったままへっぴり腰の姿勢のままだった。
俺の叫びにふっと我にかえったようにこちらを見た。
警官に引っ立てられる俺をしばらく眺めて、言った。
「ペキ・・・・。キヨって誰?」
「広瀬さーーーーん!」
翌日、俺と広瀬さん、それに川島鏡子の三人は、「あいすくりん ちべた」の二階にいた。
昨日とはうってかわっての晴天。天窓から青空が見える。
あれから俺の容疑はすぐに晴れたが、結局事情聴取やなんやらで上京警察署で朝を迎えてしまった。
人形の件をはぶいて俺たちと芹沢遊兎のことを説明するのは大変だったのだ。
俺たちは誤認逮捕のお詫びに「捜査情報」とやらをちょっとだけ教えてもらって、さきほど放免されてきたのだ。
遊兎は取り調べに非常に従順に応じているらしい。
俺はふたりに、俺が見た事を全部話した。どこまで信じてもらえるか不安だったが、
もともと人形の瞬間移動を経験している川島さんは、案外すんなり受け入れてくれた。
広瀬さんは「鬼を見た」くらいの人だからもちろんだ。
「おれら女心とかわからへんからな~。」
広瀬さんが伸びをしながら言った。
「仲良さそうに見えてたからな、別れ話してたとか、全然そんなふうに見えへんかったわ。」
「すみません。」
川島さんが申し訳なさそうに頭をさげる。
「彼、ものすごく独占欲が強いっていうか。なんかしんどくなってしまって。」
芹沢遊兎は鏡子の心変わりが受け入れられなかったらしい。
もともと気の小さい男だが、だからこそ、大きく振り切れてしまったのか。
別れ話のもつれで相手を殺そうなんて、俺にはとうてい理解不能な心境だ。
「あの人形は?」
そう、そもそもの発端だったあの人形。
「キヨ人形は供養されてもう実体がなかったからな、あの人形を依りしろにして、芹沢の近くにいようとしたんやろうな。」
「川島さんのボディガード兼ってことかな。」
「あの人形、どうしますか?供養してもらう?」
俺の問いに川島さんはかぶりをふった。
「いいえ、ずっと大事に持っています。私のお守りやと思って。」
そうやな、そのほうが、きっとキヨも喜ぶやろうな。
「せやけどほんまにびっくりしたで。ペキに電話でとりあえず芹沢くんを止めろ、言われて。わけわからんまま行ってみたら・・・。」
「広瀬さんが止めてくれんかったら、あいつ今頃死んどったやろな。」
「人形のタタリでな。」
広瀬さんの言葉に、俺は首を横に振った。
「祟りというには、あんまりにも哀しいな・・・・。」
いや、祟りなんてそもそも哀しいもんなんかな・・・。