第5話
匕首を懐に入れ、家を出ようとした卯吉は、人の気配を感じて振り返った。
その眼が大きく見開かれる。
「キヨ!」
死んだはずのキヨがそこに立っていた。
赤い、花の刺繍の着物に、黒い帯。
「お、おまえどうして・・・。」
「おまえさま、そんなものを持ってどうなさるおつもりか。」
「・・・・。」
「人を殺めなさるのか。」
「う・・うるさい。」
「いけない・・・。」
キヨは卯吉の腕に手をかけた。ひんやりと冷たい感触に、卯吉は
「ひ」とちいさく呻いて体を引いた。
「おまえさまはそんなことをしてはいけない。」
「・・・はなせ。」
「あれほど優しいおまえさまが、なぜそんなむごいことを考える。」
「・・・はなせ・・・。」
「殺生をすれば地獄に落ちましょう。おまえさまはそんなことをしてはいけない。」
「うるさい!はなせ!」
卯吉はキヨの手を振りほどいて懐から匕首を掴んで振りまわした。
眼が血走って形相が変わっている。
「もう他に手がないのや!なんぼお前かて、邪魔はさせん!どけ!」
「おまえさま。」
「どけ!どかんと!」
卯吉は匕首を振り上げ、キヨに向かって振り下ろした。
アイスレバコソ
卯吉が胸を押さえて体をくの字に曲げた。
ツミビトニハ シナイ
そのまま踞って小さく喘ぐ。
ワタシガサセナイ
視点が定まらなくなる。
イツマデモミテイルヨ
ばたり、倒れた卯吉の傍らに、左胸にふかぶかと刃を刺して、人形が微笑んでいた。
ウキチ
ウキチ
アイシテイルヨ
霧が晴れた。
だが視界は暗い。雨は止んでいたが日が暮れようとしているのだ。
俺たちは宝鏡寺の本堂の前に座り込んでいた。
「ナツメ。」
「ん・・・・。」
「大丈夫か。」
「・・・・・。ん。」
唇が白い。青ざめて冷たくなった頬をなでた。
「ごめんな。怖かったな。」
一瞬、ナツメの唇がへの字にゆがんで、瞳がうるんだ。
だがすぐに、その瞳に勝ち気な光を戻した。
「大丈夫。」
俺は袂から携帯をとりだした。心配だったが生きてる。
「広瀬さんか。いまどこや。うん、うん。あのな、頼みがあるねん。」
通話を終え、携帯をしまうとナツメの腕をとった。
「立てるか。」
少しふらつきながら、それでもナツメはしっかり立ち上がった。
俺の衿もとをじっと見ているので、視線をおろすと、はだけた胸に無数の痣が見えた。俺は衿を直して笑った。
「気にすな。こんなん、いつものことや。斬られ役なめんな。」
「・・・・ん。」
唇を噛んで俯いたナツメをうながして、ふたりで門に向かって歩く。
寺ノ内通りに出たとたん、向かいの茶道具店から、冴子が血相を変えて飛び出して来た。帰りが遅いので心配して来てたのか。
青ざめて俺に寄りかかっているナツメを見たとたん、冴子は眦を決して俺たちのほうに駆け寄ると、右の拳を固めて俺の顔めがけて繰り出して来た。
もちろん、俺はよけなかった。
脇があいてる甘々のパンチだが、重かった。いままでのどんな拳より。
「ミドリ!」
つい習性で、派手に倒れたせいで、ナツメが魂消た悲鳴をあげた。
俺はそのまま冴子の前にスライディングすると、両手をついて地面に頭をすりつけた。
「すまん!!」
「ミドリは悪ないねん!」
ナツメが俺と冴子の間に割って入った。
「いや!俺のせいや!」
「おかあさん!わたしが・・・。」
ぱちん。俺が顔を上げると、冴子がナツメの頬を張っていた。
そして膝をおとすと、背中に腕をまわして胸にしっかりと抱いた。
「・・・ごめん・・・なさい。」
ナツメが棒立ちのまま、うわずった声でつぶやいた。
冴子は黙ってナツメの髪をなでた。ナツメは冴子の肩に顔を埋めた。
「ごめんなさい・・・。ごめんなさい・・・。」
涙で湿ったナツメの声を聞いてはじめて、冴子の腕に無事に返せた実感が湧いた。
あかん、腰が抜けそうや・・・。
いや。腰ぬかしてる場合やない。まだ一仕事残ってる。
俺は急いで立ち上がった。
「すまん。冴子、続きはあとで。」
「ちょっと碧!」
「ほんますまん。戻って来たら煮るなと焼くなと好きにしてくれ!」
冴子はあっけにとられた顔をしていたが、ナツメが耳元でなにか言うのを聞いて、
真顔でひとつ頷いた。
「ほんますまん!」
俺は走り出した。
堀川に出たところでタクシーを拾う。袂で必殺仕事人のテーマ。
「広瀬さん。そうか、やっぱり・・・。あんな、すぐに行くさかい、それまで頼む!頼んだで!」