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第1話

「どぅおりゃあああああ!」

振りかぶった刀を、思い切り振り下ろしながら、俺は相手に突進していった。

俺の仲間をひとり地にふせた敵は、返す刀でそれを受ける。

キン!という金属の噛み合う音が響いて鞘を握る手に電流のような衝撃が走る。

そのまま刀をはじかれて、のけぞった拍子に右肩から袈裟懸けに思い切り斬りつけられた。

「うおうっ!」

俺は刀を取り落とし、右腕をだらりと下げると、呻きながら左手で虚空を掴みながら一回転してばったりと倒れた。

俺の体を飛び越えていった仲間がまたひとり、切り伏せられる。

俺は断末魔の声を喉の奥から絞り出しながら左手を空に向かって差し出し、

ゆっくりと白目を剥いた。


「ハイ、オッケーです!」


とたんに、眩しいくらいの明るさだった空間がふっと暗くなり、

ぴんと張りつめた糸のようだった空気がへにゃっとしなる感触がした。


「おつかれさまです。」

「おつかれさまです。」

「おー。おつかれー。」


まだ宙に浮いていた左手をぺしっと誰かにはたかれた。

「ペキ。いつまで死んでんにゃ。はよ起き。」

「へーい。」


俺はむっくり起き上がると、着物についた土を払いながらモニターを見に行った。

先刻俺を袈裟懸けにした主演俳優と監督の後ろから、モニターをかいま見る。

俺のあとに斬りかかったやつを倒したあと、カメラは主演の凛々しい顔をアップで捉えていた。


俺の左手と迫真の白目は、当然映っていなかった。


モニター前で主演がおもむろに頷くと、監督はもう一度

「ハイ、オッケー」と声をあげた。

「本日オールアップ。お疲れさまでした~!」

「おつかれさまでしたー。」

「おつかれしたー。」

「したー。」


主演を見送り、それぞれ挨拶をかわしながら支度部屋にひきあげる。


俺は藤川碧。

もうおわかりと思うが、時代劇の斬られ役だ。

テレビの時代劇好きが嵩じてとうとうこの世界に足を踏み入れてしまった、

殺陣オタクである。


名前は「みどり」と読む。だが自己紹介のときに「紺碧のペキです。」というせいで、たいていの現場で「ペキ」と呼ばれている。

35歳、独身。鋭意花嫁募集中。


「ペキ、明日打ち上げだってよ。」

「うっす。」


衣装の着物を脱いで、私服の着物に着換える。

今地面に這った土付きの衣装だが、私服の方もたいして変わらない。

皆に言わせると、顔はまあまあマシなのに女が寄ってこないのは、睨んでるような目付きと、その服装のせいらしい。だが風通しがよくてラクなので、ヨレヨレのハンドメイド着物を着るのはやめられない。


「おまえ、次なに?」

「あー。あれすよ。古本屋探偵シリーズの。」

「火曜ミステリー劇場の?」

「そうす。」


斬られ役といっても、時代劇しか出ないわけではない。

チンピラだったり被告だったり、警備員だったり、現代劇にもけっこう出る。

俺は殺陣オタクなので、髪も伸ばして浪人役仕様にしているせいで、あまり声はかからないのだが・・・。


「じゃ、明日。」

「おう」

「お先、失礼します。」

「おう」


撮影所を出てすぐのところの京福電鉄の駅に向かう。

運行本数の少ない電車だが、今日はタイミングよくあまり待たずに乗車することができた。

ゴールデンウィークと梅雨の境目、蒸し暑さを増して来た京都。

観光シーズンも一段落、ときおり修学旅行生を見かけるぐらいでしずかな日常風景だ。


北野白梅町の終点で電車をおり、駅に隣接するスーパーの駐輪場に停めておいた

愛車〜といってもただのママチャリだが〜に乗って東に向かう。

買い物に来た奥様連中が、ちらっと胡散臭そうにこちらを見て、足早にスーパーに入って行った。


しばらく走ったところで、袂のなかで「必殺仕事人のテーマ」のトランペットが高らかに鳴った。走りながら袂から携帯を取り出す。

「おー。ペキ、今どこ」

「広瀬さんか。家に向かってるけど?」

「ほんな近所やな。ちべたにおるんやけど。来いひんか」

「え。おごってくれるんか。」

「お、おお。ええで。来いや。」

「わーった。すぐ行く。」


袂に携帯を投げ込むと、俺はチャリのスピードを上げた。

一仕事したあとのアイスクリームなんて、最高のごちそうじゃないか。



「あいすくりん ちべた」は千本今出川をすこし下がったところにある、

小さなアイスクリーム屋だ。

さびれた商店街にあって、異彩をはなつ全面ガラス張りのおしゃれなファサードを

もつが、その外観に似合わず、いつ行ってもヒマそうだ。

ああ、訂正。7月と8月だけは忙しそうだ。

女性店長がひとりでのんびりと店番をしている。


「いらっしゃいませ」

重いガラスのドアを押し開けると、店長がいつものごとくカウンターの向こうに顔を出した。入り口の吹き抜けを見上げると、二階のイートインスペースから広瀬さんが手を振っているのが見えた。

「おう」

俺も手を振り返して、ショーケースの前に行く。

「こんちは。」

「広瀬くんにもういただいてますよ」


すでに金は払ってくれているらしい。

「お、ひやしあめが出てる。じゃあ、ラムレーズンとひやしあめ、カップで。」


二段重ねに盛ったアイスのカップを持って二階に上がる。

広瀬さんが奥の椅子に座って手をひらひらさせた。

「ごち。」

「おう」


カメラマンの広瀬さんとはこのアイスクリーム屋で知り合った。

店長とは美術大学の同窓生らしく、イートインスペースの壁面を使った写真展を

ここで開いているときに、俺が偶然客として行ったのがきっかけだった。


いつもよれよれのライダースーツを着て、バイクを乗り回している広瀬さんだが、

これでなかなか、繊細で綺麗な写真を撮るのだ。

「こうみえて俺はナイーブやねん。」というのが彼の口癖だ。

自動的に店長の年がばれるので、あまり大きな声ではいえないが、俺より十歳以上年齢は上だ。けど精神年齢は、まあ同じようなもんだ。


「どや、仕事のほうは。」

「まあ、ぼちぼち」

「なんやあれやろ、時代劇の制作減ってんにゃろ。」

広瀬さんの言う通り、時代劇はいまや絶滅の危機に瀕してるといっていい。

俺としては忸怩たる思いだが時代の趨勢とやらでどうしようもない。


しばらく、広瀬さんは俺と時代劇の未来について語り合っていたのだが、

ふと、思い出したように

「そや、おまえ人形のタタリとか、そんな話好きやったなあ。」と言った。


俺は殺陣オタクだが、実は妖怪ものとかも大好きだ。

そもそも広瀬さんと仲良くなったのも、彼が学生時代に鬼を見た事がある、なんて

言い出したからなのだ。しかもバイク事故で瀕死の重傷を負ったところを、鬼に命を救われた、とかなんとか。

だが結局詳しく聞いて行くと、夢だったのかな、みたいなところに落ち着いてしまって、てんで信憑性にかける話だったのだが。

広瀬さんいわく、「鬼に記憶を消された」のだそうだ。


まあ、そんなことはどうでもいい。


「俺こないだ、周山のほうバイクで走ってて、偶然事故にいきあったんや。」

カーブを曲がり損ねて山肌を滑り落ちかけている乗用車を見つけ、乗っていた若い男女を助け出して警察や消防にも連絡をとり、なかなかたいへんだったらしい。


「まあ二人とも、たいした怪我もしてへんかってよかったんやけどな。そこでへんな話聞いてしもてな。」


アイスのスプーンを銜えたまま、俺は思わず身を乗り出した。



数日後。

広瀬さんが助けた二人、芹沢遊兎と川島鏡子はほんとにどこにでもいそうな、

ごく普通のお似合いのカップルだった。

芹沢くんはおとなしそうな優男で、俺の目付きの悪さにそうとうびびっているらしく、絶対目を合わせようとしない。川島さんのほうは最初から下ばっかり見ている。

広瀬さんにあらためてお礼を、という二人との待ち合わせの喫茶店に同行させてもらうことにした俺は「俳優」とだけ伝えてもらったことをちょっと後悔していた。

けど、そんなにがっかりしなくてもいいと思うのだが・・・。


「こんな顔やけど、全然怖ないし、心配せんとってや。」

広瀬さんのフォローがむなしく響く。

「あの、それで、お話の人形っていうのは・・・。」

俺は早速本題に入る事にした。

「持ってきました・・・。」


川島さんは膝の上のバッグから、布にくるんだ長細いものを取り出した。

布をほどいて取り出したのは25センチくらいの日本人形だ。

おかっぱの市松いちまさんではなくて、日本髪を結った、それこそ時代劇に出てくる女の人のような。


「天神さんで見つけて、衝動買いしちゃったんです。」

天神さんというのは北野天満宮の縁日だ。

「それ以来、このあいだの事故みたいな、悪い事が何度も起こるんです。だから気持ち悪くて・・・。」


「俺は気のせいだって言ったんですよ。」

芹沢くんがおずおずと口を挟んだ。

「でも、ユウトだって見たでしょう。」

「う、うん・・・。」


川島さんは何度かこの人形を手放そうとしたらしい。バザーに出したり、リサイクルショップに持ち込んだり、ついには「燃えるゴミ」に出した。

だが・・・。


「戻ってくるんです。」


さわっ、うなじの毛が逆立つのがわかった。

「な、なんで・・・。」

「わかりません。朝起きたら、部屋の同じ場所にまた戻ってるんです。」

川島さんはほとんど泣きそうになっている。

俺はもういちどとっくりと、問題の日本人形を見た。

キレイな顔だ。やわらかいS字のかたちに細腰を落としてポーズをとっている。

禍々しいものは一切感じられないが、まあ俺には霊感がないからな。


『やっぱり、アイツに見てもらおうか。』


「この人形、お借りしてもいいですか?」


川島さんはほっとしたように、はじめて俺の顔をまっすぐ見てくれた。

「なんとかしていただけますか?」

「約束はできませんが、ちょっと心当たりがあるんで、その人に見せてみます。」

「お願いします。」

俺は人形をまた布で丁寧にくるんで、懐にいれた。



三人と別れ、俺はその足で小野冴子の家に向かった。

小野冴子は俺のおさななじみだ。高校までは腐れ縁のようにいっしょにつるんでいたのだが、関東の大学進学後音信が途絶えた。

そして9年前、26歳のときにふらっと京都に戻って来た。臨月の腹を抱えて。

お腹の子の父親のことは誰にも話さず、実家で子供を産んだ後は茶道具の塗師の修行をして、今はそれを生業としている。

俺はおさななじみのよしみで、力仕事やベビーシッターが必要なときに駆り出されてやってる。


「お茶のむ?」

俺が下げていった多齢堂の下げ袋をみて、化粧っけのない顔でにやりと笑うと冴子は言った。

「おう」


しゃしゃしゃ、と茶筅の音が心地よくひびく。

テーブルと椅子仕様の、洋風のリビングだが、和のインテリアを上手く使ってある。俺はここのリビングが好きだ。

す、と冴子が茶を出してくれた。

うすみどりの泡が綺麗にたったお薄。いい香りだ。

「頂戴します。」

一礼して茶碗をとり、すっ、と飲み干した。


「旨い。」魂が清められるようだ。

俺はうやうやしく茶碗を掲げて眺めた。

「冴子、ちょっと訊いていいか。」

「なに?」

「なんで茶碗がミッフィーなん。」

「かわいいでしょ。」

「かわいいけど。」

「それ、春のパン祭りでシール集めてもらったんよ。カフェオレボウルらしいけど。なんでかすっごい点てやすいのよね。それ。」

「あそう。」

再びうやうやしく、俺は冴子に茶碗を返す。

「結構な御点前でした。」

「おそれいります。」


「で、なんか用事?」

「あ、ああ、ちょっとナツメにな。」

「ナツメに?」


ナツメ、というのは9歳になる冴子の娘だ。

字は棗、と書く。そう、抹茶を入れる茶器の棗。


「あの子、今日は体操教室やわ。」

「あ、じゃあまだ帰ってへんのか。」

冴子は壁の時計を見て言った。

「もうそろそろ終わる頃やし、迎えにいってやってくれる?晩ご飯、一緒に食べたらええやん。」

「ほんま?ほんな行ってくるわ。」


大宮通にある体操教室の前には子供たちのレッスンが終わるのを待っている保護者がたむろしている。教室の内部はガラスドアごしによく見えるのだが、親たちのとがめるような視線に遮られて俺はなかなか近づけなかった。

ナツメはちいさな体に似合わない大きなスポーツバッグを斜めがけにして、つま先をとんとんしながら出て来た。冴子に似た大きな眼にたっぷりのツインテールがよく似合っている。

「靴が傷むぞ」俺の声に一瞬すかすようにこちらを見て、なんだ、という顔をした。

「通報されんで」

「かもな」

俺のような風体の男が子供を連れていると、どうも「誘拐」にしか見えないようだ。今も一組の親子が胡散臭そうにこちらを見ている。

ナツメもそれに気づいたのだろう、ことさら大きな声で俺に「わざとらしく」笑いかけた。

「パパー!!おまたせ~!」

とっとと帰ろう。

「パパ~~待ってったらあ!」


人目がなくなると、いきなりナツメは声のトーンを落として言った。

「またへんなもん持って来たやろ。」

「わかった?」

「わかるわ。」

実はナツメは普通の人間には見えないようなものが見える、ようなのだ。

俺には実際見えないのだから、らしい、としかいえないのだが・・・。

「いや、実はな・・・。」

俺は懐に手を入れた。

「・・・・・ん?」

手を懐のなかでもぞもぞ動かし、今度は上からぱんぱん叩く。

あれ?


ない。


ナツメが俺の着物の衿をつかんで前をはだけるとぐいっと顔をよせた。

「くさっ!」

すぐに顔をしかめて飛び退く。

「汗くさっ!オエッ!」


だがすぐに真顔になって言った。

「そこになんか入れてたね。匂いが残ってる。」


そのとき、袂でトランペット音がした。

「・・・はい。・・ああ、川島さん。え。いや、それが実は・・・。

え?」


人形は、やはり彼女のもとへ帰ってしまっていた。






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