第10話「ブリザード」④-2
第10話「ブリザード」④-2
二人は階段を上がりました。上にあがると、あの異様な臭気が、また鼻につきます。
「さてと。あいつらは、どこにいるのかな」
パードはそう呟きながら歩き、その後にガーネが続きました。さっき、トラたちと別れた温泉場へ近づくと、その岩場にトラとレイラの姿が見えて来ました。二人とも真っ赤な顔と、ぐったりとした様子で、その身体を大きな岩の上に横たえていたのです。
ガーネは地の底から吹き出ている蒸気と匂いに、二人ともやられたんじゃないかと考え、慌ててトラの元に駆け寄りました。
「トラ、一体、これは?」
「ガーネ。あたし、もう駄目。のぼせたぁー」
「さっきから、ずっと入っていたんですか?」
「ううん。出たり入ったり。楽しかったんだけどね」
「そうですか。ほっとしましたよ。それで、レイラさん。レイラさんはどうしたんですか?」
「……トラさんが気持ち良さそうに入っているのを見たら、アタシもつい…… ねっ」
今でこそ服をちゃんと着ていますが、どうやらレイラさんも温泉に入ったみたいです。
二人の言葉に、ガーネは何でも無い事を知って、ほっとしました。ですが……
「レイラさーん。酷いじゃないですか。オレと二人っきりで、ここに来た時は、いつも足湯だけで済ますのにぃー」
パードは不満気に言いながらも、嬉しそうな顔をしています。
「へへへへへ、レイラお嬢さん。ご気分が悪いようですね。ここは一つ、オレが介抱して差し上げましょう」
パードがもみ手をしながらレイラへと、にじり寄ります。そして今まさに、その身体に手を触れようとした、その時。
あんなに気だるそうな感じだったレイラの眼がカッと見開きます。次の瞬間、その綺麗な足を振り上げ、パードの顔面を蹴り飛ばしました。パードは、いきなりの攻撃に顔が変形し、足元がふらついていましたが、こんな貴重な機会を逃してたまるもんかと、半ば無意識の中、再びレイラに接近します。
そんなパードに対し、レイラは危機を感じたのでしょう。素早く立ち上がり、続けざまに蹴りを入れます。
「うっ!」レイラの攻撃をまともに喰らい、引っくり返ったパードでしたが、なんのこれしきと、幾らも経たない内に立ち上がり、レイラへと向かって行ったのです。
レイラは拳を振るい、パードの顔面へ、その一撃を放ちました。パードはその力に思わず上体を仰け反らせ、倒れそうになりますが、先程の蹴りよりは破壊力に乏しかったのでしょう。また直ぐに体勢を整え、向かって行ったのです。
そんな二人の様子を、トラとガーネは、ぼーっと眺めていました。最初は「あの二人、何か楽しい事をやっているな」ぐらいにしか思っていなかったのです。
ですが、ずっと見ている間に、ガーネの心に変化が生じました。やられてもやられても、突き進んでいくパードの「不屈の闘志」に感銘を受けたのです。出来る事なら自分も手伝って、パードの思いを叶えさせてやりたいとすら思ったのです。ですが、パードのぼこぼこにされた顔を見ると、どうしても行動に移る事が出来ず、「ごめんなさい」と心の中でパードに詫びるしかありませんでした。
一方、トラはレイラが撃ち出す一撃一撃に喝采を送っていましたが、しばらくするとレイラの攻撃が弱くなっている事に気が付いたのです。
「お風呂上がりのせいで眠気を催して、身体が思うように動けなくなっているのね。これ以上、この状態が続けば、確実にレイラが危なくなるわ」そう判断したトラは、ガーネに囁きます。
「ねぇ。もうそろそろ、止めさせた方がいいんじゃない?」
ガーネはその言葉を聞いて「やっぱり、トラもパードのあの姿に、心を打たれたのに違いない」と思いました。「確かに、このままではパードが壊れてしまうかも知れません」ガーネの心の中では、その懸念が膨らんでいったのでした。
トラとガーネの思いは完全にすれ違っていましたが、止めさせよう、という点では同じでした。ガーネはパードにとって辛い事になるであろう行動を、泣く泣く起こす決心をしたのです。
「レイラさーん。イッヒッヒッヒッ」
力が弱まって来たようですね。もうこれまでですよ、と勝利宣言を上げんばかりに舌舐めずりしながら、妙な手つきでパードはレイラへと歩み寄ります。
レイラは恐怖で思わず右手を懐の中に入れます。「雪狼」を倒した、あのガンを引き出そうとしたその時、ガーネがパードに声を掛けてきました。
「さぁ、パードさん。私たちも温泉でしばし寛ぐことにしましょう」
ガーネはパードの耳を引っ張って、奥へと連れて行きます。
「こら、ガーネ。離せ、離すんだ。お前、判っているのか。こんな機会はもう二度と…… こ、こら、そう引っ張るな」
「さぁ、早く入りましょう。温泉が私たちを待っていますよ」
「待て、ガーネ。男同士で入ったってつまらないじゃないか。は、早く、離せ!」
ガーネは、もがきながら哀願するパードを無視して、どこへとも無く消えて行きました。
レイラは、しばらくその光景をきょとんとして眺めていましたが、やがて、トラの方を振り向きます。
「ねぇ、トラさん。ちょっと聞いていいかしら」
「うん? 何なの、レイラ」
「アタシのところのパードはあの通りの人だけど、あなたのところのガーネは随分とドライね。女性に興味は無いのかしら」
「別に。普通だと思うわ。ただ、あの人の一番の関心はあたしだから」
「ふーん。猫マニアなのかしら」
「いいえ。多分、あなたより、あたしの方が魅力的だからじゃないかと思うの」
「へぇ…… あっ、そう」
レイラの頭が痛くなったのは、単にここの環境のせいだけでは無いようでした。
一方、ガーネとパードは頭にタオルを乗せた状態で、並んで温泉に入っていました。
「いやあ、やっぱり、寒い場所は温かい温泉が一番ですね」ガーネは嬉しそうです。
「そうかい。オレは、隣がレイラなら最高だったんだがね」パードは不満そうです。
そんな会話をしている二人に、レイラとトラが近づいて来ます。
「ああっ! やっぱり、オレの気持ちが通じたんだ。ほら、ガーネ。彼女がやって来る」
「いや、着替えを持って来たようです。帰るための支度でしょう」
「なんだ。つまらん」
それでもパードは一抹の望みを託し、レイラに混浴を求めましたが、レイラはパードの頭を掴んで、温泉の中に沈ませます。
パードは苦しさのあまり手を上げてもがいていましたが、やがてその手もガクッと温泉の中に消えていきます。ですが直ぐに身体全体が、うつ伏せの状態で、ぷかぷかと浮いてきたのです。
「まだ、生きているのかしら」トラが自分の近くへと漂って来た、その身体をツンツンと前足で小突きます。
「どれどれ」ガーネは、その脈を調べます。「ええ。残念ですが、まだ生きていますよ」
「どう? 今の内に、殺っちゃわない?」レイラが嬉しそうに提案します。
「いえ、帰りも「雪狼」に出会うんですよ。戦力を減らすわけにはいかないでしょう」
「それもそうね。ちぇっ、運がいい奴」レイラはガーネの答えに下唇を噛んで悔しがります。
知らない人が聞いたら、悪党たちが会話しているんだとしか思えない内容でした。
「こんな悪党がのさばっているから、いつまで経っても良い世の中にならないんだわ」この会話の締めくくりとして、トラは自分がその悪党みたいだなどと、これっぽっちも認識する事無く、パードをなじっていました。
結局、パードは呼吸が苦しくなって自分で目を覚ますまで、温泉の水面上に浮かんでいたのです。
レイラは目の前の仲間に、持ってきた水筒からコーヒーを入れて手渡します。
「さぁ、どうぞ。トラさんのは薄めにしてあるから、飲める筈よ」
「レイラさん、有難うございます」「レイラ、有難う」「よっ、済まんな」
温泉での一件など、何事も無かったかの様に穏やかな感じがするその中で、三人と一匹は談笑し合っています。
「ところで、レイラさん」「何? ガーネ」
「さっき、「雪狼」に襲われた時」「えっ、ガーネ。そんな事があったの?」
トラが不思議そうに尋ねてくるので、ガーネは首を傾げていましたが、やがて気が付きました。
「そう言えば、トラは、森の中では私の内ポケットに居たんでしたね」「うん、眠ってた」
それはそれは羨ましい。と、ガーネは愚痴をこぼした後、話を続けました。
「あの時、レイラさんがガンで「雪狼」を撃ってくれたので、私やトラは事無きを得ましたが、あの射撃の腕前は相当なものでしたね。何しろ「雪狼」の額を貫通していたんですから。一体、いつから、あんな風に撃てる様になったんですか?」
「ああ、あれね」レイラはコーヒーを一口啜ります。
「この国の人は、学生から社会人になる前の数年間、国へのご奉仕と称して、軍隊に勤務しなければならないのよ。その期間が終わった後、その軍隊から要望されたり、あるいは自分から志願した場合は、そのまま軍隊に入隊する事が出来るの。それ以外は自分で職を探す事になるわね。アタシの場合、そこで射撃訓練した事が今になって生かされているって訳よ」
「だけどな。オレも確かに軍隊に行っていたけどよ。そんなにうまくはならなかったな。第一、その期間だけなら射撃訓練なんか、そう度々受ける機会なんて無かった筈だがな。他にやる事も一杯あるし。雑用とかな」
「人によるんでしょ」レイラはさり気なく言います。
「それと、アタシの場合は軍隊勤務が終了した後、射撃に興味を抱くようになっていた時期があってね、その時、銃所持の免許を取得したの。今でも個人的に練習をする事があるし、うまくなったのは、きっと、そのせいじゃないかしら」
「へぇ。それじゃあ、いずれ何等かの大会に出て、優勝でもしようかとか思っているの?」
トラがそう言うと、レイラの眼が輝きます。
「そうね、それもいいわね。トラさん、有難う。いいアドバイスを貰ったわ」
「トラ、よかったですね。トラのおかげで一人の人間が、その将来へと繋がる目標を決める事が出来ましたよ」
ガーネはトラを賞賛しました。
「ええーっ、そんなぁ。あたしはただ言ってみただけよ」
とは言うものの、トラは二人に褒められて、まんざらでも無さそうに、頭を掻いて照れています。
「一体、なんなんだ。こいつら」パードは仲間外れにされたような気持ちになって、僻んでいました。
目的の作業も無事に終わり、温泉にも入れる事が出来た三人と一匹は、いつ、ガイル所長と合流しても構わない状況でした。ですが、その場にいる誰もが、これから起きる「雪狼」との再戦や、あの陰気な所長との合流に、躊躇してしまって言い出す事が出来ません。
ガーネは少しでも時間を稼ごうと、別の質問をぶつけてみることにしました。
「この前、レイラさんから、ここに来た理由を教えて貰ったんですが、パードさんはどうして、あのガイル所長の手先、いや助手になったんですか?」
「オレは国の役所の一つで働いていたんだが、その上司から頼まれたんだ。しばらくの間、この教授の助手をしてくれないかってな。今、あの研究所は軍の管理下にあるが、本来はうちの役所が管理している建物だったんだよ」
「ふーん。だけど、ガイルって人、微生物研究所の所長さんなんでしょう? という事は二人もその関連の勉強をしていたの?」
トラは「レイラは判るのよ、でも、パードはどうなのかしら」と疑っていたのです。でも、実際はその逆でした。
「ああ。オレたち兄弟は生物学を専攻していたしな」「えっ、ご兄弟がおられるんですか?」
「ああ、弟がな。まぁ、オレよりはましかもな」パードは謙遜の意味を込めて言いました。
「それはよかったですね」とガーネ。
「本当、運がいいのね」とトラ。
「ええ、本当に。あなたに似なくてよかったわね」とレイラ。
「お前等。何かオレに恨みでもあるのか?」再び疎外感を覚えるパードでした。
「それで、レイラさんは?」ガーネは、これ以上、パードを追い詰めるのはまずいと判断して、レイラに言葉を振ったのです。
「あ、アタシ? あたしは…… そう言った勉強はしていないわね。パードに較べれば、やっぱり、アタシはただのバイトでしか無いのよ。知人の紹介を断われなくてここに来ているだけ。だから、ここでは素人さんでも出来る事をやっているのに過ぎないわ」
なるほど。見掛けとは違ってパードさんの方が、この研究所に相応しい人材って事ですね。レイラさんはバイトに過ぎないと。ですが……
ガーネは考え込みました。
レイラの言葉を鵜呑みにすれば、そう言えなくもありません。ですが、ガーネの心の中では、それを強く否定するものがあります。レイラが、この仕事に対して、時折見せるその表情や、その言動には、パードとは桁外れに強い目的意識を感じさせるものがあったからです。もっとも、この時のガーネには、それがどうしてなのかは知る由もありませんでした。
やがて時が経ち、いつまでも、そこに居られなくなりました。
「じゃあ、そろそろここを出ましょうか? これ以上長居をすると、「雪狼」の数が増えていく一方だわ」
それを聞いたガーネは、ここに来た時、尋ねた質問に対する答えをまだ聞いていなかった事を思い出します。
「あっ、ここを出る前にちょっと尋ねたい事があるんですか?」
「えっ、何なの?」レイラが尋ねます。
「さっきも尋ねたと思いますが、何で、「雪狼」はこの中に入って来られないのでしょう?」
「ああ、その事か。そう言えば、その質問の途中だったな」パードは思い出します。
「奴らが来られないのは、この匂いのせいだよ。単に嫌いとかじゃなくて、弱いらしいんだ。この匂いは奴らの身体に、大きなダメージを与えてしまうらしい」
「なるほど、そうだったんですか。じゃあ、こうしたらどうです? ここの温泉水を被ってみると言うのは? 匂いの為に近づけないんじゃないでしょうか?」
「おいおい、ガーネ。この外がブリザードだって事、忘れたんじゃないだろうな。そんな事をしたら、あっという間に身体全体が氷に覆われてしまうぞ。匂いだって、すぐに消えてしまだろうな」
「そうね。残念だけど、迎撃態勢を取って、このまま進むしか無いわ」
パードとレイラは口を揃えて否定しました。
「ガーネ。やっぱり、駄目だと思うわ。さてと。それじゃあ、あたしは温泉でまだ眠いから、寝る事にするわね。じゃあ、ガーネ。内ポケットに、あたしを入れて頂戴」
トラはガーネに、そうせがみました。
「判りました。では、どうぞ」ガーネはトラが手に乗った事を確認すると、自分の内ポケットへと滑り込ませます。
「じゃあ、みんな。後はよろしくね」この言葉を最後に、トラは内ポケットの中で深い眠りへと誘われていったのです。
「本当にいい身分だなぁ。あの猫は」「本当、羨ましいわ」
パードとレイラはため息を付いて、ガーネに言います。
「それはそうでしょう。トラはお姫様猫ですから」ガーネは満足そうに納得していました。
「その猫もアレだが、お前もお前だ」
ガーネの言葉に聞いて、再びパードとレイラは、ため息を付くのでした。
表ではそんなガーネたちの思いとは別に、「雪狼」の咆哮が幾つも聞こえてきます。
「まずいな。もう、かなりの数がここにいるみたいだ」
「そうね。多分、もうガンだけでは、ここを切り抜けるのは無理みたいだわ」
レイラはそう言って、自分が抱えていた重そうなリュックサックを肩から降ろします。レイラは、そのチャックを開け、中から大きな機材を二つ取り出しました。
「もう、これに頼るしかないわね、はい、パード」レイラはそう言って、その内の大きい方をパードに放り投げます。またレイラも、パードに渡した物より小型ではありますが、同じタイプと思われる物を手に取って構えたのです。
「ええと。ひょっとして、それは」ガーネは恐る恐る尋ねてみました。
「もちろん、サブマシンガン。自動機銃だ。もうこれでしか、あいつらに対抗出来ない」
「そうね。ガーネも、覚悟してよ。一気に走り抜けるつもりだから」
パードとレイラはサブマシンガンを片手に、ガーネにそう告げたのです。
第10話「ブリザード」④-2(終)
これで第10話「ブリザード」の前半が終了です。今まで、お読み下さった方、深く感謝します。
今年の五月ぐらいから、このサイトにて書き始めましたが、少なからずお読み下さる人も居るので安心しました。今、流行ってるタイプのお話しでは決してありませんが、暇な時、このサイトに立ち寄って、お読み頂けるのであれば幸いと思っています。
さて、年内投稿は今回を持って終わりとします。次回からの後半部分は、二月ぐらいからスタートする予定です。その際はまた、よろしくお願いします。
現在、午前0時を過ぎて、今日は2011年12月24日です。
メリークリスマス。さて、今日はクリスマス・イブですね。みなさんがケーキを食べるのは今日24日でしょうか? それとも、明日25日でしょうか? いずれにしても、楽しいクリスマスのひとときをお過ごしください。
年内最後と言う事で、下記のメッセージを持って、今年最後の投稿を締めくくらせて頂きたいと思います。
良いお年を。




