第10話「ブリザード」③-1
第10話「ブリザード」③-1
トラはダイニングにいました。大きくて綺麗なテーブルに、自分が好きな食べ物や飲み物が所狭しと並べられています。
「さぁ、トラ様。お食事の用意が出来ました。どうぞ、お召し上がり下さい」
白い前掛けを着けたトラは、ナイフとフォークを持ち、椅子に座っています。
「うん、判ったわ」給仕の言葉を合図にトラはお食事を始めました。
大好きなお肉の塊にフォークを刺し、ナイフで切ります。
「まぁ、なんて柔らかいんでしょう!」感動に身を悶えさせながら、トラはその一片を口へと運びます。
「ふむ。もぐもぐもぐ」口の中で、ジュワーッと溢れ出す肉汁。その美味しさにトラは失神しそうです。
「ここにあるのは全て、我が国が誇る最高のシェフが作り出した、自信作の料理でございます。トラ様。如何です。お味の程は?」
「この得も言われんばかりの美味しさ。さすがとしか言いようが無いわね」
「そうでございますか。それを聞いて、シェフもさぞかし満足でございましょう。どうか、ごゆるりとお食事をお楽しみ下さい」
「もちろんよ」
トラは肉を次々と平らげ、ワインを飲み干し、「ほら、早くついで。後、お料理も追加をお願いね」と給仕に声を掛けます。
「はい、ただ今」トラの求めに応じ、次々と食べ物や飲み物がやって来ます。それをトラは休む間も無く、無我夢中で口に入れていきました。
「わぁ、すごいわね。しかもどの料理もあたしの舌を唸らせるものばかりじゃない。ほら、あれも、これも」
食べるのに夢中になってしまったトラは、「もう、面倒だわ」とばかり、ナイフとフォークをおっぽり出して、テーブルの上にあがり、お皿から直接、ガツガツと食べ始めます。
「トラ様。それは幾らなんでも、下品なのでは?」
「うるさいわね。猫はこの食べ方が一番なのよ。お前は全然判っていないんだから」
「しかし……」
「楽しい食事中だってのに、本当に頭にくるわね。お前なんかこうしてやる」
ガブッ トラは給仕に噛み付きました。
「トラ様、痛いです。放してください!」「駄目だわ。お前にはお仕置きが必要なのよ!」
「トラ、痛いですよ! 放してください」「トラって何よ! 給仕の分際で、主を呼び捨てにしたりなんかして!」
「給仕? トラ、それって何のことですか?」「えっ!」
トラはやっと眼が覚めました。そこは眠る前と同様、カプセルの中だったのです。
気が付くと、トラはしっかりとガーネの手に噛み付いています。トラは慌てて、口を開き、ガーネに謝りました。
「ごめん、ごめんね。ガーネ。でも、あたし、何でガーネのベッドにいるのかしら」
トラは隣にある自分のベッドを見ながら、ガーネに尋ねます。
「トラが夜中に、「ガーネ、おトイレ」って、私を起こしたんですよ。その後、用を足して戻って来たら、私のベッドに潜り込んですぐに眠っちゃったんです。
それで、トラのベッドに寝かせようと思ったら、私の服に噛み付いて、「美味い、美味い」なんて言っているじゃありませんか。何か可哀想になってきましてね。そのまま一緒に寝ていたと言う訳なんです。トラはやっぱりお腹が空いていたんでしょうね。無理もありません」
「そうか…… あれ、全部夢だったんだ…… まだ一杯残っていたのにな…… くすん」
トラは下を向いて眼をうるうるさせながら、ため息をついています。
「トラ、まだ眠いんですか? どうせ、ここから出られないんですから、もう少し寝ていたらどうです?」
「ううん、もういいわ。起きる事にする」
「そうですか。じゃあ、改めて。お早う、トラ」「うん、お早う、ガーネ」
ガーネとトラは洗面所で顔を洗いました。
「あっ、お早う。どうです、気分は?」
洗面所から出てきたガーネとトラに、いつの間に来たのか、パードが声を掛けます。
「気分はいいですが、その後、どうなんです。まだ検査は終わらないんでしょうか?」
「えっ、検査って? ああ、そうでしたね。うん、もう少しだと思いますよ」
何か歯切れの悪い言い方です。
「ひょっとして、忘れていたとか?」「まさか、そんな」
トラの言葉にパードは慌てて、手を振りました。
「忘れていましたね」「そうみたいね」ガーネとトラは頷きました。
しばらくして、ガイル所長と、もう一人の助手であるレイラが入って来ました。
「どうかね。ガーネ、トラ。気分は?」
「いいですよ。助手が検査をしているのを忘れるぐらいですからね。早く出して下さい」
ガーネがそう言うと、ガイル所長はパードをにらみつけます。パードは慌てて「そんな事はありません」と弁解します。
ガイル所長はゴホンと咳払いをした後、ガーネの方を振り向きました。
「検査は後数時間程度で、予定通り終わりにするつもりだ。それまでは辛抱して欲しい」
ガイル所長はそう言うと、マイクをオフにして、パードを連れて部屋から出て行きます。
後に残ったレイラはパードがいた席に座り、計器を調べています。
「OKね。何も問題は無いみたいだわ」レイラはそう言うと、カプセルの方を振り向きます。
「どう、調子は? 後、もう少しで出られると思うけど、何か欲しいものはある?」
「朝食が欲しいんですけど」
レイラはガーネの要請に対し、にっこりと微笑みます。
「いいけど、あの朝食よ。それでも構わないの?」
「いいって訳じゃないけど。我慢するわ。ねぇ、レイラさんだっけ。レイラさんも同じ物を食べているの?」
「ええと、確かトラさんだったわね。その通りよ、ここにはあれしかないもの。だけどアタシは飽きちゃってね。朝はこれだけにしているわ」
レイラはトラの言葉を受けて、自分のコップを高く上げます。
「何が入っているの?」「カフェラッテ。結構、美味しいわよ」
「へぇ、あたしも飲めるかな」「猫には、コーヒーはきついかもよ」
「でも、とりあえず、作ってみてよ。飲めなければガーネに上げるから」
「なるほどね。それはいいかも」
「トラ、私はあまりコーヒーは」
「大丈夫よ、ガーネ。このカフェラッテはそんなにコーヒーの味は濃く無いの。じゃあ、二人分作ってくるわね」
レイラは部屋を出て行きます。
「トラ。幾らお腹が空いたと言っても、コーヒーは無理なんじゃないかと」
「ガーネ。たまには冒険も必要よ。もっとも、どうしても飲めないようなら、後はガーネにお願いするわね」
「先程も言いましたが、あんまりコーヒーは」
「まぁ、実際に飲んでみましょうよ」
やがて、レイラはお盆にコーヒーカップを二つ乗せて、運んで来ました。その一つは猫でも飲み易いように、大き目なものとなっています。
「ガーネ、いいわよ。シャッターを開けても」
レイラの言葉に従い、シャッターを開けると、そこには先程のコーヒーカップが置かれています。
ガーネはコーヒーカップや一緒に置かれてあった物を手に取ると、ベッドの横に据え付けられている台の上に載せます。
「はい、お望みのコーヒーですよ。トラ、どうぞ」
「有難う、ガーネ。レイラも有難う」
カプセルの外にいるレイラにお礼を言った後、トラはそれを舐めてみました。
「どうです。お味は?」「ちょっと苦い感じがしない事も無いけど、ミルクでうまく中和されているわね。でも出来れば、もっと甘さが欲しいんだけど」
「甘さと言っても…… あっ、ひょっとして、これでは」
ガーネは一緒に置かれてあった物に眼を向けます。
一つはスプーンで、もう一つは紙で包装されている細いスティック状の物です。ガーネは後者の端を手で切り、中に入っていた白い粒をちょっと指に載せて、舐めてみました。
「やっぱり。これは甘味料ですね」
ガーネはスティック状の物をコーヒーカップに傾けて、白くて細かい粒をカップへと流し込み、用意されていたスプーンでかき混ぜます。
「じゃあ、どうぞ」「有難う。頂きます」トラは恐る恐る舐めてみました。
「うん? いいわね、これなら。美味しいわ。熱さもこのくらいなら大丈夫よ」
トラは嬉しそうに、ペロペロ舐め始めます。
「よかったですね、トラ。レイラさん、有難うございました」
「どういたしまして」
レイラはにっこり微笑んで、盛んに舐めているトラを見つめています。
ガーネも躊躇いながら、カフェラテに口をつけてみました。
「うん、ミルクたっぷりです。これなら美味しいですね」
「ねっ、ガーネもそう思うでしょ」トラもミルク味に満足のようです。
「ガーネ。あなたって、甘党なのかもね」
レイラがガーネに声を掛けると、ガーネはにっこりと微笑んで、それに応じました。
「そうかも知れません」
カプセル越しではありましたが、みんなで向き合ってカフェラテを楽しんだのです。
コーヒータイムの最中、レイラはガーネたちの事を尋ねました。
「ねぇ、ガーネ。あなた方は自分たちの事を、迷宮の旅人だって言ってたわね」
「あっ、はい。そうですが」
「あなた方は迷宮から来たって言ってたけど、どうやってここに来られるの?」
「ああ、それなら、私たちは「迷宮のドア」を通って来たのですよ」
「「迷宮のドア」って?」
「前にも話したと思いますが、迷宮にあるのは道だけなんです。その道の脇に「迷宮のドア」と呼ばれるドアが立っている事があるんです。その中に入る事で、そのドアに繋がっている世界へ入ることが出来るという訳です」
「ふーん、そうなの。で、その「迷宮のドア」は自分が好きな場所に行けるの?」
「いえ、違います。あくまでもそのドアに繋がっている世界に行けるだけです。私たちが選べる訳じゃないんです」
「じゃあ、例えば気に入った場所があったとするわね。その場合、いつまでもそこにいる事が出来る訳? 又そこから一旦出たとして、また同じ場所に戻ることも出来るの?」
「いいえ、その世界が本当に自分の世界ならともかく、そうでないなら、数日後には「迷宮のドア」が現れるので、すぐに迷宮に戻らなければなりません。そうしないと」
「そうしないと?」
「「迷宮のドア」が現れた瞬間から、私たちの身体は徐々に消えていきます。もし、戻らなければ、多分、そのまま、消滅してしまうでしょう。もちろん、今までは身体が完全に消える前に、ドアの中に入れたので、実際にどうなるか体験した事はありませんがね」
「当たり前よ。そんな事試してみたいとも思わないわ」トラはむきになって口を挟みます。
「なるほどね」レイラは頷きました。
「後、迷宮に戻ると、そのドアは消えてしまいます。戻った場所は入った時とは違う場所なので、同じ世界に行く事は出来ません。旅を続けていれば、偶然起こる可能性も無くは無いと思いますが、少なくとも今まで、私たちにそういう事が起きた事は無いんですよ」
「あっちゃ困るわ。戻って来たって事は、そこがあたしたちの世界じゃ無かったって事でしょ。早く自分たちの世界に戻りたいのに、違う世界と判っている場所へ何回も行きたいとは思わないわね」
「そうですね。確かに」ガーネはカフェラテを啜りながら、トラに同意しました。
「つまり、「迷宮のドア」を使えても、自分たちが望む世界には行けないし、同じ世界に戻りたくても戻れないって訳ね。それって随分と不便なシステムね」
「楽しい旅行をしている訳じゃないんですよ。多分、「迷宮」自体も私たちの本当の世界は判らないんでしょうね。だから、迷宮のドアを使って、いろいろな世界に導くんでしょう。私たちが自分たちの世界に戻れるまではね」
「本当に不思議な話なのね。その迷宮もそのドアも」
「全くです。私たちもそう思います」ガーネは苦笑しながら、答えました。
レイラからの質問が途切れたので、今度はガーネが質問を始めました。
「ところで、レイラさんはどうしてこんな不便なところに来たんですか?」
「えっ、アタシ? そうねぇ。アタシは別な仕事をしていたんだけど、たまたま自分の知人から、あの博士を紹介されてね。ここの作業を手伝う事になったって訳なの。とは言っても、最初はもっと国の中央の方にいたんだけど、博士がドジをやったものだから、安全の為に、こっちへ飛ばされちゃったって訳。本当、迷惑な話よね」
「はぁ。それでそのドジって言うのは?」
「プルートに関することなんだけど。ごめんなさいね、これ以上は機密とかで教える事が出来ないのよ」
「それなら、無理に言う必要はありません。どうせ、暇つぶしに聞いているだけですからね。じゃあ、レイラさんも生物学者だって考えていいんでしょうか?」
「ガーネ。確かにアタシはガイル所長の助手だけどね。アルバイトに過ぎないの。パードもそうなのよ」
「えっ、でも、プルートは機密って言ってましたよね。それを扱っているのに、アルバイトなんですか?」
「今回やっている仕事の身分上はね。ただアタシもパードも大きな声じゃ言えないけど、普段は政府関連のお仕事に携わっているの。だからこの作業を手伝えるって訳よ」
「へぇ、で、あなたとパードは、本当はどんな身分なんですか?」
「パードについて話せるのは、ガイル所長と同じ役所から来ているって事ぐらいかしら。でも、アタシ自身についてはね」
レイラはそう言いながら、人差し指を立てて、口元に引き寄せます。
「聞かない方がいいわ。あなた方に迷惑を掛けてもいけないしね」
レイラはそう言って、微笑みました。
その後は話題を変え、今、この世界で話題になっている事など取り留めの無い話を、レイラはガーネたちに喋っていました。その話が尽きようとした頃、レイラは腕時計で現在時刻を確認して、立ち上がります。
「じゃあ、ワタシはそろそろ行くわ」
レイラはガーネたちから、飲み終わったコーヒーコップを回収後、部屋を出て行きました。
ガーネはレイラが部屋のドアを閉じた後、小さい声でトラに尋ねます。
「どうです。レイラさんは? どんな風に感じましたか?」
「うーん、カフェラテをご馳走してくれたり、話している時も物腰が柔らかそうで、全体的には優しい人に見えたわね。だけど……」
「だけど、どうかしましたか?」
「ガーネが「迷宮のドア」について話始めた途端、眼が光ったわね。ガーネが喋る言葉の一つ一つを吟味するように、注意深く聴いていたわ。それにガーネがレイラさんの身分の事に言及した時、顔は微笑んでいたけど、眼は決して笑ってはいなかったわ。むしろ冷酷さを湛えていて怖くなっちゃったぐらいよ」
「これはこれは。さすがトラですね。そのご慧眼から導き出されたお答え。私も的確な回答だと思います」ガーネはそう言って、トラの言葉を賛辞しました。
「ところで、この部屋。盗聴されているんでしょ? こんな話をして大丈夫なの?」
「どうせ、見張られているんです。構わないでしょう。それにそれを気にしていたら、何にも言えなくなりますよ」「それもそうね」
「まぁ、それで相手が気分を害したら、その時はその時で対処するしかありません」
ガーネの少し投げやりな言い方に、トラはその精神を気遣います。
ひょっとしたら、見掛け以上に、精神的には参っているのかも知れないわね。やがて発狂して、ここの食事を出しても、「こんなのいつまでも喰えるか!」って、台ごとひっくり返し、あたしを焼いて食べようとするんじゃないかしら。きっと、そうよね。そうに決まっているわ。あたしはそんな場合に備えて、「あたしは食べても骨ばかりよ」って、それとなくアピールしておく必要があるかも。あたし、危うし。
トラは今後の、自分の「身の振り方」について、真剣に考え始めたのです。
第10話「ブリザード」③-1(終)




