惚れ薬が街中に広がって、みんなが私に夢中。意中の幼馴染み騎士以外は。
「うーん、もうちょっとかなぁ…」
首を傾げながら唸っているのは、国立魔法研究院に勤める、アリシャ・マクガルフその人である。
今日も今日とてアリシャは、『とある薬』の研究に余念がない。
一つにまとめたオールドローズの髪は所々ハネていて、母譲りの蜂蜜色の瞳は少し充血している。
目元にはうっすらとクマが出来ており、白衣には深々と皺が寄り…全身の至るところから、連日に及ぶ残業の疲れが色濃く見えた。
「…うーーん、ラーベリの葉をもう少し入れてみるか…。………あ!いい感じかも!?」
ゆらゆらと手元の試験管を揺らすと、黄金色の液体の中にじゅわっと紅色のエキスが溶け込んだ。夕焼けのような濃いオレンジへと変化していくそれを見て、アリシャは手応えを感じていた。
こんなに色が濃いなんて、レシピよりもずっと効果の高い薬が出来たかも…!
「アリシャ?まだ残っていたの」
その声に、ビクッと反応する。
現在、早朝5時。
もう、外はすっかり明るい。こんな時間に誰かがいるなんて…初めてのことにアリシャは動揺し、弾かれたように後ろを振り向く。
「……あ、マーティン施設長!?お疲れ様です」
そこにいたのは、サリア・マーティン施設長だった。
貴族出身の女性でありながらその才能と知識を認められ、異例のスピードで施設長まで登り詰めた辣腕だ。
もちろん、アリシャも心から尊敬している。
一介の研究員は、普段はめったにお目にかかれない…そんな人が、ドアの前で腕を組んでアリシャをじっと見つめている。
「業務時間以外の研究が奨励されているのは確かだけれど、もう朝よ?今日は豊穣祭で休みとはいえ…さすがに、帰った方が良いんじゃない?」
そう、今日は一年に一度の豊穣祭。
王都から田舎、僻地まで、各地から人やものが集まる。
みんなが農作物や加工品、芸術品などを持ち寄り、収穫に感謝して今後の豊作を祈るお祭りの日だ。
早朝なのにやたらと外が賑やかなのも、そのせい。
その豊穣祭までに『とある薬』を完成させたくて、しぶとくこんな時間までアリシャは居残っているのだ。
「すみません!今すぐ片付けま……うわ、あっ!」
酷く慌てたせいで、派手に転んでしまう。
その拍子に、ビーカーから溢れんばかりに作っていた薬を…開けっ放しの薬品棚めがけて、吹っ飛ばしてしまった。
棚にずらりと並んだ色とりどりの薬品に、ビーカーが大きな音を立ててぶつかり…薬が混ざり合ってしまった。
「あ、煙が……!危ない!!」
「えっ」
パン、と小気味良い破裂音がしたかと思うと、次の瞬間。
ドオオオオオオオン!!!!!!!
耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。
大量の煙が、もうもうと立ち込める。
アリシャは、必死に机の下に伏せて目を瞑った。
「し、施設長っ!!大丈夫ですか……!?」
情けない体勢のまま呼びかける。
しかし返事はないし、床に突っ伏したままでは姿が見えない。
爆発が起こって薬が広がったからといって、毒性も致死性もない薬だから、命には関わらない。…それは間違いない。
でも本来、こんな爆発は起きないはず。
それに薬品棚の薬を全て覚えているわけではないため、アリシャの頭に一抹の不安が過る。
大失態で、資格剥奪の上追放されてしまうかも……!?
まだ薄い煙が、一帯を覆っている。
アリシャはゆっくりと立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回した。
「すみません、施設長ーーー!いたら返事をーーー……」
すると、目の前にヌッと施設長が現れた。
突然出くわして、驚きのあまり一歩後ずさった。
「あ、し、施設長…。ご無事でしたか、本当にこの度はすみま…」
「アリシャ………あなた、本当に可愛らしいわ。ベヒシュをかけて、食べてしまいたいくらい」
ベヒシュとは繊維に反応して、衣服を溶かす薬だ。
主に災害や事故の現場で使われ、その危険性からレシピは門外不出である。
この魔法研究所のみで厳重に保管されている。
アリシャは、サーッと血の気が引いた。
ヤバい。『とある薬』、出来ちゃってた…!?
『とある薬』
……そう。それは、禁忌の惚れ薬。
研究所の秘伝レシピを元に、入所してからの五年間…アリシャは密かに、コツコツと地道に研究を重ねてきた。
それがまさか、施設長を惚れさせてしまうなんてー…!!!
施設長が腕を掴んでこようとしたので、身の危険を感じて素早く躱す。
「あっ!アリシャ待って、」
なりふり構わず、転がるように猛ダッシュで一直線に出口へと向かった。
外に飛び出してみると、つい先程まで薄暗かった街はすっかり朝日に照らされて、キラキラと煌めいている。
豊穣祭の準備のため、この時間にしては多くの人々が忙しなく外に出ていた。
いつになく街全体が色めき立ち、どこか浮かれている。
「アリシャ!珍しいね、こんな朝早くから。今帰りかい?」
研究所を出ると、すぐそこで設営をしているアリシャの叔母とその友人が声を掛けてきた。
「あっ、叔母さん!久しぶりだわ、……あの、えーっと…家に帰るところなの!」
「こんな時間まで仕事だったの?体は大事にしないといけないよ!」
「うん大丈夫よ、ありが……」
叔母さんと話していると、ぞろぞろと人が集まってきている気配がした。
恐る恐る周りを見渡すと、ざっと十人くらいの人に囲まれてしまっている。
その中には、顔見知りのおじさんや学園時代の知り合い…そして、全く知らない人もいた。
「え……!?な、何!?」
「アリシャ…アリシャか?綺麗になって」
「本当に可愛いね、アリシャ!今からぼくと…」
「いいえ、私と一緒に来てちょうだい!」
「一目惚れしてしまったよ!アリシャっていうのかい?」
……はっ!?
あ!?まさか……
アリシャは、ふと夜中のことを思い出す。
実験中、熱がこもってあまりに蒸し暑くて…窓を開けた。
開け放した窓から、惚れ薬がこんなところまで漏れて来たの…!?
一体、どこまで……
よりによって、今日は一年で一番人がたくさんいる日なのに……!
「ご、ごめんなさい~……、私、い…行かなきゃ……!!!」
人だかりを無理矢理割ったアリシャは、また猛ダッシュでその場から逃げ出した。
街中に張り巡らされた万国旗に導かれていくように、無我夢中で駆けていく。
四方八方から、アリシャを呼ぶ声が聞こえていた。
今はとにかく、少しでも遠くへ行かなきゃ……!!
惚れ薬の持続時間は、多分レシピと変わらないはずだから、せいぜい一日。
だから今日だけ隠れて逃げ果せれば、明日は私が始末書と謹慎…あとはもしかしたら減給もあるかもしれないけれど、どうにかなる……!!
そう自身を鼓舞して、脇目も振らずひたすら走り続けた。
どのくらい走ったのだろう。
はあはあと息を切らせて顔を上げると、もう万国旗もなければ設営もしていない…街の外れまで来たようだった。
少しだけほっとして、膝に手をついて息を整える。
ここまで来れば、さすがに…
「アリシャ?」
アリシャはその声を聞いた途端、大袈裟すぎるほどにビクッ!と体を跳ねさせた。
「ジェイル……」
ばっと顔を上げると…幼馴染みの騎士である、ジェイル・フォレットが眉を寄せて怪訝な顔で立っていた。
瑞々しい若葉色の瞳は鋭く細められ、メープルのように甘やかな薄茶色のふんわりとした髪が風に揺れている。
「何だよ、こんな外れの方まで走って来たのか?」
「そ、そう…なのよ…。ジェイルは、ここの警備だったのね…」
今日の豊穣祭では、騎士はほぼ全員が警備へと駆り出される。
ジェイルもどこかの警備をしていることは分かっていたけれど、まさかこんなところで会うなんて…。
さすがにこんなところまで惚れ薬は飛散してきていないとは思うのだけれど。
そんなことを悶々と考えていると、ジェイルを押し退けて仲間の騎士が声をかけてきた。
「ああ、きみはアリシャじゃないか!本当に美しい!!」
「……はぁ?何言ってんだ、マーク…?」
ジェイルは、マークと呼んだその騎士を間抜けな顔で見つめている。
そうしている内に、離れたところにいた騎士がまた一人、目の前にずいっと立ち塞がった。
「アリシャというのか、何て可愛らしいんだ。どうだい、今日の夜は僕とディナーでも…」
「おい!お前には、結婚したばかりの妻がいるだろう!?何なんだ、一体……」
まさか、まさかこんなところまで……。
絶望したアリシャが、小刻みに震え出す。
私がバカだった。
惚れ薬なんて作ろうとしたから、罰が当たったんだ。
自分の力で何とかしなければいけなかったのに、薬なんかに頼ろうとして…みんなに迷惑をかけてしまった。
どうしよう、どうしよう。
早く、家に帰って閉じこもらないと…。
ぐるぐる考えを巡らせても、戸惑いのあまり体が動かない。
すると、アリシャに伸びてきたマークの腕をジェイルがぱしっと叩き落とした。
そして、アリシャの手を取る。
「…とりあえず、こっちに来い!」
そう言ってジェイルは、震えるアリシャの手を力強く掴んで走り出した。
「……惚れ薬ぃ??」
とにかく人のいないところに…と少し走ってたどり着いた森の茂みに、二人で隠れるようにして座り込む。
もう誤魔化せないと観念して、アリシャは恥ずかしながら…全てをジェイルに打ち明けた。
「アホか、お前は!!そんなもん振りまいてどうするんだよ!?」
「ごもっともでございます…。あ、あのね、でももちろん!わざと振りまいたわけじゃないの…。あれは事故で……!」
「…はぁー。何でよりによって、こんな人の多い日に…」
ジェイルに心底呆れられた軽蔑の目で睨まれ、アリシャの体が冷えていく。
…だって。
だって、だって…!
聞いちゃったんだもん。
「豊穣祭の後、ジェイルに告白する」って言っているのを……!!
そう、アリシャが惚れ薬を使いたかった人は……今まさに目の前でアリシャに呆れ果てている、ジェイル・フォレットその人であった。
幼馴染みということもあり、なかなか面と向かって言えなかったけれど…ずっとずっと、好きだった。
ジェイルは鍛練一筋の脳筋で女っ気がないから、すっかり安心しきっていたのだ。
それに、研究員と騎士という関係になっても…ジェイルは、たまに会ってご飯を食べて近況報告するという友人関係を続けてくれていた。
そのうち惚れ薬を使って好きになってほしいけど…今じゃなくていいや。
長い間そう考えていて、アリシャは完全に油断していた。
あれは一ヶ月くらい前のこと、たまたま学園時代の友人たちで集まった時。
その中のひとりの令嬢が、「豊穣祭の後、ジェイルに告白するつもりなの」と言って爆弾を投下し、他人の色恋沙汰に目がない友人たちは大盛り上がりだった。
アリシャ以外は。
アリシャは目に見えて生気がなくなり、その後どうやって家に帰ったのかすら覚えていないほどショックを受けた。
ジェイルは女性にも分け隔てなく優しいから、告白されたらきっと断らない。
……そうだ、やるしかない。
惚れ薬、完成させなきゃ……!!!
こうしてアリシャは死ぬ気でラストスパートをかけて研究し、アクシデントがあったとはいえ…冒頭の惚れ薬の完成に至ったのだった。
「っごめんなさい……私、こんなことになるなんて……っ!」
情けなくて、申し訳なくて、ぽろぽろと涙が溢れてくる。
ジェイルはため息をついて、そっぽを向いてしまった。
「俺に謝ったところで、もう撒き散らしちまったもんは仕方ないだろ。お前の家、研究所の寮だから人がいるよな?今日は、俺の家ん中に引きこもってろ。どうせ俺は、今日は警備で帰らないから」
ん、と家の鍵を握らせてきて、そんな気遣いや仕草にもアリシャはキュンとしてしまう。
「…そこまで迷惑、かけられないよ」
「アリシャに迷惑かけられるのなんて、今さらだろ。酔い潰れたお前を、何回家まで運んでやったと思ってんだ」
……。
いやしかも、だってだって、そんな…ジェイルの家、だなんて……。
勝手に想像してしまって、アリシャはみるみる顔が茹で上がってしまう。
「……」
「……何だよ?」
「いやいや、何でもな……」
ん?
アリシャは、とある疑問を抱いた。
……あれ?
っていうか……何で?
何で、ジェイルにだけ効果がないの!?
今さら重大な事実に気付き、顔をしかめながらじーっとジェイルを観察した。
「どうしたんだよ、不細工な顔して」
「ぶさ……!?……あ、あの!ジェイルは、私に惚れてない!?」
「……はぁー!?」
私の問いかけに、今度はジェイルの顔がみるみる紅潮していく。
あ、まさか…実は、効いてるのかも!?
「だって、惚れ薬は確かに街の外れまで飛散しているのに…。ジェイルがあまりにも脳筋すぎて、効かなかったのかな…?」
「お前…誰が脳筋だって?」
……おかしい。
みんな私に、可愛いとか好きだとか、美しい…と言っていた。
ということは、どうやら効いていないみたい。
いや、本当に何で肝心のジェイルにだけ効いていないの?
天罰?神様の悪戯?
それともやっぱり、脳筋には効果がないの…?
酷く落ち込み、アリシャの視界がぼんやりと滲んでいく。
「ジェイルには…効かなかったんだ…」
「だーーーっもう!!何でまた泣くんだよ!?」
「だって、ジェイルに使いたかったのに!!私の五年間、意味なかったーーーっ!!」
「………は?………俺!?」
………あ。
言っちゃった。
もう自棄糞だ……ええい、ままよ!!!
「そ…そうだよ!ジェイルに惚れ薬を使いたくて、今まで研究してきたの。……ずっと好きだったから、ジェイルにも私のこと好きになってほしかったのっ!!なんて……、バカだよね。結局、効かなかったし」
ジェイルは、しばらく目を見開いて固まっていた。
静かな森の中で、アリシャがズビズビと鼻をすする音だけが響いている。
ゆっくりと動き出したジェイルは気まずそうにこちらに目を遣って、事も無げに言った。
「薬は……効いてないと思う。悪いけど」
「分かってるよ、いつも通りだもん……」
「そりゃあ、元からアリシャのこと好きだから……効果ないだろうな」
うん、そうだよね……。
元から私のこと好きだったら、効果ないよね……
「………ん?」
「……」
「え、待って……。え?何て言った?」
「だから……」
ジェイルは耳まで真っ赤になって俯いてしまった。
「っくそ、聞き返すなよ…!せっかくさらっと言ったのに!!」
「うそ………」
「…こんな時に、わざわざ嘘つかねーよ」
信じられなくて、混乱して、嬉しくて…アリシャまで、顔が火照って熱くなってしまう。
「私のこと、いっつも散々チビとか太ったとか、前髪短すぎだとかバカにしてたのに…!?」
「そ、それは……。か、……可愛いって、言えなくて……」
「何なのそれっ!?もう…もっと、早く言ってくれてたら……っ!!」
「お前なぁ………いや、………そうだな」
ジェイルは、気まずそうに頭を掻いた。
そうも急に素直になられると…恥ずかしくて、アリシャはふいっと目を逸らしてしまう。
夢見心地のままふわふわしていると、「ジェイルー」「アリシャー?」と先程の騎士たちの声が聞こえてきた。
「やべ、もう行かないと…。アリシャ、このまま走って俺の家まで行って、ちゃんと引きこもってろよ。食い物は色々買ってあるから、適当に好きなもん食え」
「……うん、ごめんなさい……」
俯いて、足元の雑草を見つめる。
さっきジェイルから渡された鍵を、ぎゅっと力強く握り締めた。
「じゃ、俺もう行くから。あ、アリシャ」
「えっ?」
ふいに名前を呼ばれて顔を上げると、ジェイルの顔が近付いてきて……その薄い唇が、アリシャの唇に重なった。
「……!」
唇はすぐに離れていき、耳まで真っ赤に染まったジェイルが勢い良く立ち上がった。
「気を付けろよ!…朝には帰るから、大人しく待ってろ」
「は、……はひ、」
いきなりのキスに、自然とアリシャの目が点になる。
仲間の声がした方に走っていくジェイルが一瞬振り向いて「その間抜け顔、何とかしとけ!」と人差し指を頬に当てながら意地悪く笑った。
…アリシャの表情は不自然に強張って、すごいことになっている。
ジェイルの姿が見えなくなるまで手を振って、バチン!と自分の頬を両手で叩いた。
「よしっ…!」
そうしてようやく立ち上がり、ジェイルの家まで一目散に走った。
息を切らしながら、アリシャは思う。
今日の私、人生で一番走ってる。
足でもだけど、……鼓動も。
ーーーー
翌日。
言い付け通り、ジェイルの家に引きこもっていたアリシャは「惚れ薬の効果が切れたみたいだ」と、朝になって帰ってきたジェイルから教えてもらった。
その足でアリシャは、記憶が曖昧な施設長や何も知らない研究所の上層部に事の顛末を説明しに行く。
毒性のない薬であるため危険性は少ないが、研究所の所員としての自覚が足りない!と言われ、反省文と壊れたものや使ってしまった薬品の弁償、あとは当面の残業禁止で許してもらえた。
とても寛大な措置をしていただいて、頭が上がらない。
この研究所に骨を埋める覚悟で、これからも骨身を砕いていこうとアリシャは決意を新たにした。
そして、アリシャとジェイルは晴れて恋人同士になった。
親同士も昔から仲良しで、共通の友人も多い。
報告すると、みんなが喜んでくれた。
…例の令嬢にだけは申し訳なくて、直接報告は出来なかったけれど。
「実は学園にいた頃から、ジェイルのことが好きだったの…!」
そう言ったアリシャの髪を、ジェイルはぐちゃぐちゃになるほどしつこく撫で回した。そして、
「………俺は、一目惚れだった」
と、爆弾発言をかましてきた。
ジェイルは顔を背けていて、その表情は見えなかったけれど…その耳が真っ赤になっているのを見て、
私の幼馴染みは、こんなにも照れ屋だったんだな。
本音を引き出せたという意味で…
惚れ薬を研究した五年間は、やっぱり無駄じゃなかったかも…
と、思わず笑ってしまったのだった。




