第3話 正義ごっこは嫌いです
黒川ひよりが“厨二”としてクラスに受理されたのは、思ったより早かった。
私が「前世基準で言うと」だの「断罪」だの「公爵家長女」だのを、息をするみたいに言うからだ。みんなは最初こそ困惑したが、次の日には上手いこと棚に入れた。
――あ、あれは設定ね。
設定なら、笑って済ませられる。怖くない。責任が発生しない。現実を見なくていい。
便利な言葉だよね、厨二って。
私はその便利さを、むしろ自分の武器にすることにした。
反論できない正論を投げられたとき、人はよく「言い方がさ」とか「キャラ濃いよね」とか「厨二じゃん」で逃げる。逃げるなら逃げればいい。逃げたままでも、言葉は刺さる。刺さったあとに、勝手に自分の中で効いてくる。
それで十分だ。
*
事件は、また“正義”の顔でやってきた。
昼休み、咲と購買に並んでいたときだ。廊下の掲示板前に人だかりができていた。生徒会の張り紙。いかにも真面目な紙面。フォントが真面目。余白まで真面目。
私はパンの袋を抱えたまま、つい口に出した。
「やだ。正義の匂いする」
咲が即座に突っ込む。
「匂いで分かるのやめて」
「分かる。紙が真面目すぎるもん」
人だかりの中心で、委員長っぽい女子が声を張っていた。三つ編み。眼鏡。背筋が一本の棒みたい。学級委員長の紗月だ。クラスの秩序担当。善意で人を追い詰める才能がある。
「みんな、見て! 来週から学校のルールが厳しくなるって」
誰かが「え、なにそれ」と言うと、紗月は嬉しそうに紙を指差した。
「スマホの持ち込み、今までグレーだったでしょ? これからは完全に禁止。見つかったら預かり。反省文」
ざわっと空気が揺れる。
「え、でもみんな持ってきてるじゃん」
「部活の連絡とか」
「親から連絡くるし」
まともな理由が並ぶ。並ぶのに、紗月は一歩も引かない。
「ルールはルールだから。例外を作ると乱れるの。みんなが守れば、トラブルも無くなる」
うわ。出た。「みんなが守れば」構文。
私はパンの袋を抱えたまま、咲に小声で言った。
「前世基準で言うと、これ、禁制品取り締まり令」
「やめて、また始まる」
「始まるよ。これは始まる匂い」
紗月はそのまま続けた。
「あと、SNSでのトラブルが増えてるから、学校としても厳しくするって。匿名の誹謗中傷、裏アカ、グループでの悪口、そういうの」
廊下の空気が一瞬だけ冷たくなる。ここからだ。ここから、“正しいこと”の名目で、誰かが切られる。
私は目を細めた。
「……あー。これ、誰かを吊るす流れだ」
「ひより、やめなって」
咲が私の袖を引く。分かってる。まだ突っ込まない。突っ込むなら、切られる人が決まってからだ。空気が作る犠牲者は、だいたい弱いところに落ちる。
そして、そのとおりだった。
*
午後のホームルームで、佐伯先生が珍しく真顔だった。
「連絡がある」
黒板の前に立ち、紙を手にしている。校内全体への通達と、もう一枚。別の紙。別の紙は、事件の匂いがする。
「最近、SNS上でのトラブルが増えている。学校としても注意喚起をする。……それでだ」
先生が一拍置いて、教室を見回した。
ここで言う。言うのは分かってる。誰かの名前が出る。出た瞬間、その人は“説明の対象”になる。説明の対象は、たいてい“処理”される。
「本校の生徒が、他校の生徒を含むグループで、ある特定の生徒の悪口を投稿していた件がある」
教室がざわつく。
「え、誰」
「まじ?」
「やば」
先生が言葉を重くした。
「名前は……」
ここで私は、反射的に口を挟んだ。
「先生、順序」
佐伯先生の目が私に向く。
「黒川、黙れ」
「黙らない。順序」
教室が一斉に私を見る。ああ、これも空気だ。空気は、黙るべき人を指差す。黙らない人を嫌う。
私は先生に向かって、淡々と続けた。
「名前を出す前に、確認して。いま言ってるのは“トラブルがあった”って事実だけ。犯人の確定は別」
「……確定してる」
「何が?」
佐伯先生が苛立った。
「学校に報告が来ている。スクリーンショットもある」
「スクショは“投稿が存在した”証拠で、投稿した人の確定は別。アカウント名が本人と一致してる? 端末のログは? 誰がいつ操作したかは?」
言いながら、自分でも思う。中学生が言う内容じゃない。でも私は中学生じゃない。中学生の身体に入ってるだけで、処刑台の上に立った経験がある。
先生は一瞬だけ固まった。固まって、逃げ道を探すように視線を逸らす。
「……黒川、お前は話をややこしくする」
「ややこしいのは現実」
教室の後ろの方から、誰かが小声で笑った。
「出た、前世基準」
「厨二だ」
笑いが流れて、空気が少し軽くなる。先生もその軽さに乗りかける。乗ったら危ない。軽さは、誰かを切るための刃になる。
先生は紙を見て、結局、名前を出した。
「……関係している可能性があるとして、瀬戸」
瀬戸。クラスの女子、真央。いつも静かで、目立たない。咲と同じグループではないが、特に敵もいない。だからこそ、狙いやすい。反論が弱い。空気に勝てない。
真央がびくっとした。
「え……私?」
「学校に報告があり、名前が挙がっている。本人から事情を聞く」
真央の顔が白くなる。
「私、そんなの……」
声が小さい。かき消されそうな声。
紗月が手を挙げた。こういう場で一番最初に手を挙げるのが紗月だ。正義を握りたい人。
「先生、それって、本人がやったってことですか」
先生が苦しそうに言う。
「まだ確定ではない」
「でも、疑いがあるなら、クラスとしても対応しないと。だって、放置したらまたトラブルになります」
出た。「放置したら」。未来の不安で現在を裁くやつ。
教室の空気が一気に“真央をどう扱うか”へ向き始める。みんなの目が、真央を見る。真央は小さく縮む。縮んだ人間に、空気は容赦がない。
私は椅子を引く音をわざと大きく立てて、立ち上がった。
「はい、ここ」
佐伯先生が眉をひそめる。
「黒川、今は……」
「今だから」
私は真央を見て、先に言った。
「真央、あなた、その投稿した?」
真央が目を潤ませて首を振った。
「してない……知らない……」
その言葉だけで十分だ。十分だけど、空気は十分じゃない。空気は証拠を求めないくせに、納得を求める。矛盾の塊。
私は紗月の方を見た。
「紗月。さっき言ったよね。放置したらまたトラブルって」
「うん。だってそうじゃん」
「じゃあ聞く。真央がやったって、何で分かるの?」
紗月が胸を張った。
「報告が来てるって先生が言ってた」
「報告が来てる=真央がやった、は成立しない」
私は指を一本立てた。
「まず一個。スクショは投稿の証拠で、本人の証拠じゃない」
二本。
「二個。アカウント名が本人っぽい、は証拠じゃない。誰でも作れる」
三本。
「三個。端末の操作は本人だけができるとは限らない。盗み見、貸し借り、乗っ取り」
教室がしんとなる。
紗月が唇を噛んだ。
「でも……疑われてるなら、説明するべきでしょ。潔白なら説明できるはず」
出た。無実の証明要求。正義ごっこの大好物。
私はあえて、明るい声で言った。
「なに? これくらいの正論で殴られたくらいで黙るの?」
紗月が目を見開く。
周囲がざわつく。笑いが起きる。「また始まった」って感じの笑い。厨二ラベルの笑い。
私はその笑いに乗って、さらに軽く言った。
「ざぁこ。ざぁこざぁこ」
咲が机に突っ伏した。直人が苦笑いをした。先生が頭を抱えそうな顔をする。
でも、空気は止まった。
止まったなら、次は本題。
「説明ってさ。何を? “やってない”って言っても信じないなら、永遠に終わらないよ」
私は黒板の前に一歩出る。
「疑う側が証拠を出す。基本。これを崩したら、誰でもいつでも吊れる」
先生が低い声で言った。
「黒川、学校は正義を守るために……」
私は先生を見た。
「正義って言葉、便利だね。責任を誰かに押し付けるときに使えるから」
教室がまた静まる。先生の顔が硬くなる。刺さった。
私は続ける。全部言葉に出る。止まらない。
「先生。学校がやるべきなのは、真央を“処理”することじゃない。確認して、事実を積み上げて、必要なら専門の対応に繋ぐこと。クラスで吊るすのは違う」
紗月が食い下がる。
「でも、クラスの雰囲気が悪くなる。みんな不安だし」
「不安だからって誰かを生贄にすると、安心する?」
私は笑った。
「それ、前世で何回も見た。結果、首が落ちる」
誰かが吹き出した。「首」とか言い出した、って笑い。厨二ラベルの笑い。私はそれを、否定しない。
「うん、厨二でいいよ」
私はあえて胸を張る。
「アルヴェイン公爵家長女、エレオノーラ・アルヴェイン。前世基準で言うけど、いまの流れ、断罪そのもの」
笑いが起きた。起きたが、さっきより弱い笑いだ。笑いながらも、みんな考えてる。自分が吊るす側に回っていたことに、うっすら気づき始める。
佐伯先生が咳払いをした。
「……分かった。ここでこれ以上はやらない。瀬戸、放課後に来い。学校として調べる」
真央が小さく頷いた。泣きそうな顔のまま。
紗月が不満そうに口を開いた。
「でも先生、クラスとしても……」
私は紗月を真っ直ぐ見た。
「紗月、あなたがやりたいのは“正義”じゃなくて“統制”」
紗月が固まった。
「統制は、責任を背負える人だけがやる。背負えないなら、口を閉じる」
紗月の頬が赤くなる。怒りか、羞恥か、どっちもだろう。
私は最後に、真央に視線を向けた。
「真央、怖いよね」
真央が小さく頷く。
「うん……」
「でも、声は出して。小さい声でもいい。出さないと空気が勝手に言葉作るから」
真央が涙をこぼして、でも頷いた。
佐伯先生が「以上」と言ってホームルームを終わらせた。
空気がほどける。ほどけた瞬間、みんなが同時に“なかったこと”に逃げようとする。人は速い。逃げ足が。
*
放課後、咲が私の机に肘をついた。
「ひより、やりすぎ」
「やりすぎてない。止めただけ」
「止め方がさ……」
「言い方?」
私がにやっとすると、咲が「うっ」と詰まる。咲は正直だ。そこが好きだ。
「ていうか、あれ。真央、ほんとにやってないと思う?」
「知らない。でも、やってないって言った」
「それだけ?」
「それだけで十分な場面がある。十分じゃない場面もある。だから確認する。クラスで吊らない」
咲が少し黙った。
「……厨二っぽいこと言うじゃん」
「うん。厨二だから」
私はわざと胸を張る。
「厨二って便利。みんなが笑ってる間、ちゃんと止められる」
「怖い、その使い方」
「怖いよ。正義って、もっと怖い」
そのとき、教室の後ろで小さな騒ぎが起きた。花梨が誰かに言っている。
「黒川さ、ほんと痛いよね。なんなの、前世とか」
周りが笑う。「分かる」「厨二」「ウケる」。笑いで処理。責任回避。いつもの。
私は振り返って、花梨に言った。
「痛いのは鼻だけで十分なんだけど」
笑いが起きる。花梨がむっとする。
「そういうとこだよ。いつもさ、正論で殴ってくるじゃん」
「殴られてるって感じるなら、図星なんじゃない」
「は?」
「図星って言葉、便利?」
花梨が言葉に詰まる。詰まって、逃げ道に走る。
「……ほんと、厨二」
私は肩をすくめた。
「うん。で、反論は?」
花梨は舌打ちして去った。周りも散る。空気が解散する。
咲が息を吐いた。
「ひより、敵作りすぎ」
「敵ってほどでもない。相手が勝手に敵にしてるだけ」
「それが敵なんだよ」
「じゃあ、敵でいい」
私は鞄を肩にかけた。
「正義ごっこで人が潰れるの、見たくない。前世で見飽きた」
咲が私を見た。真面目な目。からかいじゃない目。
「……前世ってさ、本当に?」
その一言だけ、空気が変わった。
私は、咲の目を見返した。咲は笑ってない。ラベルで逃げない目だ。
私は一拍だけ黙った。黙って、でも結局、全部口に出した。
「本当だよ」
咲の瞳が揺れた。揺れたが、結局、笑いに逃げる。逃げた方が、咲も楽だから。
「……はいはい。エレオノーラ様」
私は小さく笑った。
「うむ。側近、今日もよく働いた」
「そのノリ、やめて」
「やだ。便利だもん」
咲が肩を落として笑う。笑いながらも、さっきの真面目な目が消えきっていない。
いい。誰か一人でも、ラベルの外側に片足を置いてくれたら十分だ。
*
帰り道、私は歩道の端の小石を避けた。避けながら、思った。
正義ごっこは、気持ちいい。
自分が正しい側にいると錯覚できる。責任を取らずに、誰かを裁ける。空気に乗って、強くなった気になれる。
だから、人はやる。
だから、止める必要がある。
私は立ち止まって、空を見上げた。今日も平和な青。処刑台の空と同じ色なのに、意味が違う。
私は小さく呟いた。誰もいないから、少しだけ“格”を戻す。
「私は、空気で人を裁く行為を認めません」
声が落ち着く。背筋が伸びる。ほんの一瞬、アルヴェイン公爵家長女の私が立つ。
すぐに私は、その格を脱ぎ捨てるみたいに肩をすくめた。
「……ま、厨二って言われるけど」
言われるだけなら、安い。
首は落ちない。
鼻血で済む。
私は歩き出しながら、いつもの調子で口にした。
「前世基準で言うとさ。今日の学校、断罪の練習場すぎ」
小石が転がっている。私はそれを避けて、笑った。




