表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『悪役令嬢、石で死んだ中学生の続きやってます』  作者: 月白ふゆ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/5

第1話 鼻血で始まる続編

第一話 鼻血で始まる続編


 処刑台の木目を、私は最後まで覚えていると思う。


 王都の広場は、朝の空気だけがやけに澄んでいた。人のざわめきは濁っているのに、空だけが無関係みたいに青い。断罪の言葉は長かった。長いわりに中身は薄い。誰が何を見たのか、いつ、どこで、どう確認したのか。そういう当たり前の順序は、最初から最後まで出てこなかった。


 それでも私は、背筋を伸ばして立っていた。


 アルヴェイン公爵家長女。エレオノーラ・アルヴェイン。貴族としての矜持なんて、都合よく笑われるものだと分かっている。でも、最後の最後まで、それだけは手放したくなかった。


 刃が落ちる気配がして、視界が一瞬だけ白くなる。


 終わりだ、と私は思った。


 成仏。解放。無。


 そういう、物語の幕引き。


 ──のはずだった。


     *


「……っ、いった……!」


 鼻の奥が、ずん、と痛い。


 痛い、というより、熱い。鈍い熱が鼻骨の内側から頭蓋まで響いて、思わず目を開けた。開けた瞬間、空が見えた。青い。広い。やけに平和。


 自分が寝台ではなく、硬い地面に倒れていることに気づく。背中が冷たくて、頬がざらつく。アスファルト。王都の石畳ではない。石畳じゃないのに、なんで私は倒れている。


 考えるより先に、鼻に手をやった。


 ぬるり。


 指先が赤くなった。


「……鼻血?」


 声が高い。喉の位置が違う。自分の声じゃない。軽い。子どもの声だ。


 その一言を言い終わる前に、頭の中へ、別の人生が洪水みたいに流れ込んできた。


 名前。黒川ひより。


 年齢。十三歳。中学二年生。


 家族。父は会社員、母はパート。妹が一人。住んでいる家の間取り。自分の部屋のカーテンの柄。昨日の夕飯。今日の持ち物。体育がある。ジャージは鞄の中。国語の小テストがある。嫌だ。


 通学路。駅前の交差点。コンビニの角。歩道の縁の段差。そこにある小石。今朝、急いでいて──足を取られて──前のめりになって──


 鼻から、地面に突っ込む。


 ゴン、という鈍い音。


 痛み。


 そして、ぷつん。


 ……。


 …………。


 私は、鼻血を垂らしたまま、思考を止めた。


 数秒。いや、もっと短いかもしれない。脳が「それ」を処理しきれずにフリーズしている。


 でも次の瞬間、処刑台の景色が割り込む。


 断罪の声。


 群衆。


 刃。


 首が落ちる直前の静けさ。


 それと、いま。


 アスファルト。


 鼻血。


 中学生。


「………………は?」


 声が漏れた。素で。


 もう一度、鼻から血が落ちる。ぽた、ぽた。妙に律儀なリズム。


 私は起き上がった。ふらつく。でも立てる。首もある。腕もある。鼻は痛いが付いている。血は出ている。


 立てる、という事実が、状況を確定させる。


「ちょっと待って」


 誰に言うでもなく、私は言った。全部言葉に出る。そう決めたとかじゃない。決める前に、もう出ていた。脳内だけで抱えるには、馬鹿らしすぎた。


「私、公爵令嬢として処刑されたよね?」


 返事はない。もちろんだ。通学路の朝に、処刑の返事をくれる者などいない。


「で、その直後に、石で転んで死んだ中学生に憑依?」


 鼻の下を指で拭う。血がまた付く。制服の袖で拭ったら汚れる。いや、もう汚れている。最悪。


「……死に方の格差ひどくない?」


 言ってから、笑いがこみ上げた。笑っていいのか分からないのに、笑いが勝つ。断頭台と鼻血だ。王都の広場とコンビニの角だ。観衆と、通学路の小石だ。


「前世、断罪。公開処刑。公式イベント」


 私は指を折った。


「今世、石。鼻。即死」


 指を折り切って、鼻をつまむ。痛い。


「……雑すぎでしょ、神様」


 言い終わって、ふっと息を吐く。


 呆れが勝つ。怒りより、悲しみより、未練より、呆れが勝つ。たぶんそれが、私が処刑台で吹っ切れていたせいだ。公爵令嬢としての人生は終わった。終わったものを、また引き戻されても困る。


 困るが。


 目の前に現実があるなら、やるしかない。


「なるほどね。続編呼ばれたわけだ」


 私は周囲を見回す。通学路に人がいる。自転車。犬の散歩。見知らぬ家々。電柱。標識。看板。読める。読めてしまう。


 日本語。


 異世界語は、もう舌に残っていない。でも意味だけは残っている。公爵令嬢としての理屈と矜持だけは残っている。


 そして、この身体の記憶も、全部ある。


 黒川ひよりの癖。歩き方。家の場所。担任の顔。養護教諭の名前。クラスの面倒な子。空気を作る子。泣けば勝てると思っている子。声が大きいだけの正義。事なかれの大人。


「……知ってたなら避けなよ、石」


 私は小石を睨んで言った。石は当然、反省しない。


「とりあえず保健室だよね。鼻血出てるし」


 そう言って歩き出したら、足首が少し痛い。転んだせいだ。痛いが、生きている。生きているのが妙に可笑しい。


 ふと、胸の奥が軽い。


 死んだはずなのに。


 死んだのに、また始まったのに。


 平和すぎて、笑える。


     *


 学校の門は、知っている場所だった。黒川ひよりの記憶が勝手に足を運ぶ。門の前で一瞬だけ立ち止まり、鼻にティッシュを詰める。保健室にあるはずだが、今はない。鞄の中を探ると、ポケットティッシュが出てくる。用意の良い中学生だ。偉い。石で死んだけど。


 ティッシュを詰めた顔で校門をくぐると、ちょうど登校指導の先生と目が合った。ひよりの担任、佐伯先生。三十代後半。体育会系の声。正義と秩序を好む。悪意はない。ないが、雑。


「あ、黒川! おい、どうしたその鼻!」


 普通なら焦る場面だろう。私も焦るべきなのだろう。だが、焦りより先に言葉が出た。


「見て分からない? 鼻血」


「分かるよ! そうじゃなくて……転んだのか? 保健室行け!」


「行くとこ。今行ってる」


 私がそう言うと、佐伯先生は一瞬だけ口を開いたまま止まった。中学生がこんな返しをする想定がない顔だ。面白い。


「……いや、待て。遅刻だぞ。理由は?」


「石で転んだ」


「ふざけてるのか?」


 ここで私は、鼻に詰めたティッシュを指で押さえながら、真顔で答えた。


「ふざけてない。石はふざけてるかもしれないけど」


「……黒川」


 先生の声が低くなる。叱る準備の声だ。だが、叱る前に確認すべきことがあるはずだ。


「先生、確認していい?」


「なんだ」


「遅刻の理由、いま聞いたよね。石で転んだって」


「聞いた」


「じゃあ次は、どう確認するの? ここに石持ってくる?」


 自分でも驚くくらい、言葉が止まらない。しかも、全部口から出ていく。頭の中だけで回す余裕がない。いや、余裕があるからこそ、全部言ってしまうのかもしれない。


 先生がまた止まった。


「……いや、そういうことじゃなくてだな」


「そういうことだよ。理由を聞いて、確認もしないで、“ふざけてる”って言うの、順序逆」


 私は肩をすくめた。制服の肩が少し汚れている。鼻血のせいだ。最悪。


「怪我してるかもしれないんだから、保健室行かせるのが先。遅刻の説教は後」


「……だから保健室行けって言っただろ」


「止めたの先生じゃん」


 佐伯先生のこめかみに筋が立った。おお、分かりやすい。


 私は一歩だけ近づいて、にやっと笑った。


「なに? せんせ。これくらいの正論で殴られたくらいで、もう黙るの?」


 先生の目が見開かれる。


 いい反応。そう、こういう反応が欲しい。断罪の場で群衆が見せた顔と、同じ種類の顔。立場の弱い者が口を開いた瞬間の、「え?」という顔。


 私はさらに言った。


「ざぁこ。ざぁこざぁこ」


「……黒川!!」


 怒鳴る声が校門前に響いた。周囲の生徒が振り向く。ざわっと空気が動く。


 私は鼻のティッシュを押さえたまま、涼しい顔をする。鼻は痛いが、心は痛くない。心が痛いほど繊細だったら、処刑台に立ってない。


「怒鳴るのは反論じゃないよ」


 淡々と言うと、佐伯先生は言葉を詰まらせた。ここで追い詰めすぎると、話が進まない。今日は第1話だ。ほどほどにしておくべきだ。


「……とにかく、保健室行け。あとで指導だ」


「はーい」


 返事は素直にして、私は歩き出した。歩きながら、また言ってしまう。


「でも先生、さっきの順序、次から直したほうがいいよ。事故が起きたら責任取るの先生なんだから」


「黒川!」


「呼んだ?」


 背後で先生が呻いた気がした。


 面白い。


 そして、平和。


     *


 保健室は、ひよりの記憶どおりの匂いがした。消毒液と柔軟剤が混ざった匂い。養護教諭の結城先生は、優しいが、事なかれの達人でもある。ひよりはここでよく休んでいたらしい。中二の現実は、だいたい疲れる。


「黒川さん、どうしたの、その鼻」


「見て分からない? 鼻血」


 口が勝手に煽り口調になる。最初の掴みとしては良いが、相手が養護教諭だと少し可哀想な気もする。気がするだけだ。私は止まらない。


「転んだ?」


「石で」


「……また石?」


 結城先生が一瞬だけ笑った。笑ったが、すぐに真面目な顔に戻る。プロだ。


「座って。ティッシュ取るね」


 ティッシュと氷のうが出てくる。鼻を押さえられて、私は椅子に座る。


「痛みは? 頭は打ってない?」


「鼻からいった。だから鼻が痛い」


「頭痛は?」


「頭痛は……この世界がぬるすぎて起きてる」


「黒川さん」


 結城先生が私の額を軽く叩くふりをした。注意というより、ツッコミだ。良い。大人にこういう余裕があるのは、前世にはなかった。


 鼻血は少しずつ治まっていく。氷のうが冷たい。


「それで、どうして転んだの?」


「急いでた」


「遅刻しそうだった?」


「うん」


「じゃあ、早めに出ればよかったね」


 ここで私は一瞬だけ、口を閉じた。


 前世なら、この一言で「怠慢」とされる。個人の努力不足に全部押し付けて、構造を見ない。断罪の場と同じ匂いがする。悪意はないのに、雑。


 私は息を吸って、言った。


「結城先生、それ、“正しい”けど、雑だよ」


「……雑?」


「うん。私の行動だけ見て、原因を全部そこに寄せてる」


 結城先生が少し目を細める。観察する目だ。叱る目ではない。ここが違う。


「原因って?」


「遅刻しそうになる理由がある。家の事情とか、朝の役割とか。ひより……いや、私、妹の世話してるし」


 口から「ひより」と出かけて、私は止めた。いや、止まらないのだった。だからそのまま言う。


「あと、通学路の石、普通に危ない。あれ何。罠? この世界、罠が小さすぎる」


「黒川さん、罠じゃないよ」


「でも人が死ぬサイズの罠だよ。石のくせに」


 結城先生は、笑いをこらえるように口元を押さえた。笑っている。良い。笑える話に落とし込めるなら、前世の死も軽くできる。


「……とりあえず今日は、鼻血止まったら教室行こうね」


「うん」


「担任の先生には私から話しておく。遅刻の理由も」


「お願い。さっき校門で説教始めようとしてた」


「佐伯先生、真面目だからね」


「真面目なのはいいけど、順序が逆。正義ごっこは順序が命」


「黒川さん、正義ごっこって言わない」


「言う。言わないと伝わらない」


 私は氷のうを鼻に当てたまま、天井を見上げる。


 この保健室の天井は、処刑台の空より低い。でも、怖くない。誰も刃を落とさない。誰も群衆を煽らない。誰も、私の名を叫んで石を投げない。


 その差が、笑えるくらい大きい。


 結城先生がカルテのような紙に何かを書きながら言った。


「黒川さん、今日は無理しないでね。頭を打っていたら危ないから」


「分かった。無理しない。石で死ぬ世界、ほんと平和すぎるし」


「だから死んでないってば」


「いや、そこは……」


 言いかけて、私は止めた。止められたのは、結城先生が私の目をまっすぐ見たからだ。軽い目じゃない。ちゃんと生徒の目を見ている。


「黒川さん、今ちょっと変だよ」


 私は鼻のティッシュを押さえたまま、笑った。


「だって、変だもん」


「……何が?」


 結城先生は追及しない。問いだけ置いて、逃げ道を残す。こういう大人がいる世界は、前世にはなかった。


 私は少しだけ黙ってから、言った。


「私、いま、いろいろ整理中」


「うん。整理できたら、話してね」


「気が向いたら」


「そういうとこだよ」


 結城先生が笑って、私は鼻を押さえたまま笑った。


     *


 鼻血が止まると、私は教室へ向かった。廊下の掲示物が目に入る。生徒会のお知らせ。部活動のポスター。文化祭の告知。全部、くだらなくて、愛おしい。断罪の布告よりずっといい。


 教室の前で深呼吸する。ひよりの記憶が、扉の向こうの空気を予測する。今日は、クラスの何人かが小テストを嫌がっている。ある子が、別の子のノートを勝手に見て揉める。先生が「みんな仲良く」を言う。言うだけ。行動はしない。


 私は扉を開けた。


「……あ、黒川。鼻どうしたの?」


 数人が声をかける。ひよりの友達、咲。距離の取り方が上手い子。うまくやっている。前世なら貴族社会で生き残れたタイプ。


「石で転んだ」


「え、また?」


「石が私のこと好きすぎ」


「何それ」


 笑いが起きる。良い。これでいい。この世界は、笑って済む。鼻血で済む。命で済まないことが、こんなに少ない。


 そこへ担任の佐伯先生が入ってきた。さっきの怒鳴り顔は少し薄れている。結城先生が話したのだろう。ありがたい。


 先生は出欠を取り始め、私にだけ一瞬、視線を向けた。説教の予告だ。でも、今はしない。順序を覚えたらしい。良い。成長だ。


 私は椅子に座り、教科書を出す。手が、少しだけ震えた。痛みのせいではない。生きている現実の、妙な軽さのせいだ。


 私は小さく呟く。


「……前世基準で言うとさ」


 誰にも聞こえないくらいの声で、でも、ちゃんと口に出して。


「ここ、断罪にもなってない」


 それが、たまらなく可笑しい。


 そして――悪くない。


 私は、黒川ひよりとして、今日の授業を受ける。


 公爵令嬢の人生は、もう終わった。処刑台で終わった。


 その代わり、ここで続きが始まった。


 鼻血つきで。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ