第5話 居場所と、対価
村に来て、五日目の朝だった。
アリアは宿屋の裏で、結界点の手帳を見返していた。大きな歪みは減り、応急的な調整は一通り終わっている。あとは、無理のない形で安定させていくだけだ。
(……長居するつもりは、なかったんですけど)
心の中でそう呟きながら、少しだけ苦笑する。
朝食の後、村長のグスタフに呼ばれた。
集会所として使われている木造の建物は、質素だが手入れが行き届いている。
「座れ」
向かいに腰を下ろすと、彼は卓の上に小さな袋を置いた。
「これが、対価だ」
袋の口を開けると、入っていたのは決して多くない硬貨だった。
王都での報酬と比べるまでもない。
アリアは一瞬、言葉に迷った。
「……こんなに、いただけません」
「仕事に対する分だ」
「でも、私は……」
続けようとした言葉を、グスタフが短く遮る。
「助かっている。それで十分だ」
それ以上、説明はなかった。
だがその一言に、この村の考え方が詰まっている気がした。
アリアは袋を押し返さず、そっと受け取る。
「ありがとうございます」
それは礼であり、受諾でもあった。
集会所を出ると、外はいつも通りの村の朝だった。
特別なことは何も起きていない。ただ、人が動き、生活が続いている。
見張り台の近くで、レオンが剣の手入れをしていた。
「結界、いい感じだな」
「そうですか?」
「ああ。夜の巡回が、だいぶ楽になった」
それだけ言って、彼は剣を鞘に収める。
「ここに、残るのか?」
不意に問われて、アリアは少し考えた。
「……しばらくは」
「そうか」
それで終わりだった。
引き止めも、期待も、押しつけもない。
昼前、畑の様子を見に行くと、土の状態が以前より落ち着いているのがわかる。魔力の流れが安定した影響だろう。農作業をしていた人たちが、自然に作業を続けている。
「最近、芽が揃ってきたな」
「風が穏やかだ」
原因を知らなくても、変化は伝わる。
それでいい。
午後、オルドの鍛冶場に立ち寄ると、彼は何も言わず、新しい金具を作っていた。
「また、必要になる」
それだけ告げられる。
「……はい」
夕方、ミラが駆け寄ってきた。
「お姉さん、今日も泊まるんですよね?」
「ええ。たぶん」
「よかった!」
その言葉を聞いたとき、胸の奥に、はっきりとした感覚が生まれた。
(ああ……私は今、“いていい”んだ)
役に立つからではない。
必要とされているからでもない。
ただ、ここにいることが、当たり前になり始めている。
夜、結界の最終確認を終えたアリアは、星空を見上げた。
王都のような眩しさはないが、静かで、遠くまで見える。
この村での生活は、まだ始まったばかりだ。
問題も、きっとこれから出てくるだろう。
それでも。
「……大丈夫」
自然と、その言葉が口をついて出た。
ここは、もう“逃げ先”ではない。
少しずつ、居場所になりつつあるのだから。




