第4話 静かな夜が続く理由
その夜も、村は静かだった。
アリアは宿屋の裏手にある小さな空き地で、結界の流れを確かめていた。夜風は穏やかで、肌を刺すような魔力の乱れもない。昨日調整した点は、きちんと機能している。
(急ぎの歪みは……なし)
深く息を吐き、手帳に短く記す。
問題なし。経過観察。
王都にいた頃と、やっていることは変わらない。違うのは、誰かが眠れているという結果が、すぐ近くにあることだった。
見張り台の方から、足音が近づいてくる。
昨日、休憩地で見かけた冒険者の青年だった。
「……やっぱり、あんたか」
「え?」
「結界が落ち着いてる。昨日までとは、空気が違う」
彼は空を見上げ、低く唸るように言った。
「俺はレオンだ。護衛の仕事で、この辺を回ってる」
「アリアです。結界の……調整を、少し」
「少し、ね」
半信半疑の視線だったが、敵意はない。むしろ、確認するような目だった。
「魔物の気配が、外に押し出されてる。戦う側からすると、ありがたい話だ」
「そうですか……」
褒め言葉だと理解するまで、少し時間がかかった。
「王都から来たのか?」
「……はい」
それ以上、聞かれなかった。
レオンは一度頷き、それだけで話を切り上げる。
「無理はするな。結界は、人の生活に近い分、壊れると厄介だ」
その忠告に、アリアは小さく笑った。
「ええ。無理は、しません」
夜が更けても、村は騒がしくならなかった。
遠くで獣の鳴き声はするが、近づいてはこない。結界が、きちんと役目を果たしている証拠だ。
翌朝、村はいつもより少しだけ早く動き出していた。
畑に出る人、修繕を始める人。夜に備えて休んでいた分、朝が長い。
村長のグスタフが、アリアに声をかけた。
「昨夜も、問題なかった」
「よかったです」
「……結界が安定すると、人も動ける」
それは報告というより、確認だった。
昼前、鍛冶場から金属音が聞こえてくる。
オルドと呼ばれる老鍛冶師が、作業の手を止めてアリアを見た。
「嬢ちゃん」
「はい」
「これ、使え」
差し出されたのは、簡素だが丈夫そうな小型の金具だった。
「結界点の固定用だ。村じゃ使い道がなかったが……今は、違う」
「……ありがとうございます」
理由は聞かれなかった。
感謝も、言葉にはしなかった。
午後、アリアは結界の補助線を一つ引き直した。
完璧にはしない。あくまで、この村が維持できる範囲で。
(守りすぎない、ですね)
それが、この場所でのやり方だ。
夕方、ミラがパンを持って駆け寄ってきた。
「お姉さん、今日も夜、静かですよね?」
「ええ。たぶん、続きます」
「よかった……じゃあ、明日は弟と畑に行ける」
未来の話を、当たり前のようにする。
その光景に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
夜、アリアは宿の窓辺に腰掛け、村を包む結界を感じ取る。
薄く、だが確かに、ここにある。
(誰かが戦わなくても、守れる夜がある)
それを知れただけで、この場所に来た意味は、もう十分だった。
静かな夜は、今日も続いていく。




