第34話 基準の外側
サイラスが三度目にアリアを訪ねてきたのは、夕刻前だった。
書類袋は開かれていない。
代わりに、何かを確かめるような目をしている。
「もう一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「はい」
「この形は……再現可能ですか」
単刀直入だった。
アリアは、少しだけ考える間を置いた。
「どの形を、ですか」
「この村の結界の安定です」
サイラスは、言葉を選びながら続ける。
「強度は高くない。層も厚くない。それでも夜が静かで、接近も少ない。この“結果”を、他の村で再現できるでしょうか」
アリアは首を横に振った。
「生活が違えば、形も違います」
「ですが、理論はあるはずです」
「理論はあります」
あっさりと答える。
「けれど、理論だけでは足りません」
「何が、足りないのですか」
サイラスの声には焦りが混じっていた。
アリアは、村の中央を見渡す。
子どもが走り、焚き火が小さく揺れている。
「急がないことです」
短い答えだった。
サイラスは、眉を寄せる。
「急がない……」
「強くしようと急がない。整えようと急がない。結果を出そうと急がない」
アリアは続ける。
「急ぐと、形だけを持ち帰ります」
その言葉に、サイラスは息を止めた。
形だけ。
それは、まさに報告書に書ける部分だ。
「……形だけでは、足りない」
「はい」
沈黙が落ちる。
遠くで、作業を終えた村人が自然に片付けを始める。
誰かの号令ではない。
サイラスは、その光景を見つめながら言った。
「もし、王都がこの村のやり方を取り入れようとしたら」
「取り入れられません」
即答だった。
「生活を変えない限り」
サイラスは、苦笑する。
「それは……最も難しい」
「ええ」
夕暮れが近づき、空気が少し冷える。
「では、私は何を持ち帰ればいいのでしょう」
その問いは、半ば自問だった。
アリアは、焚き火の灰を踏み消しながら言う。
「異常なし、で十分です」
評価も、推奨も、改善案もない。
ただ、異常なし。
夜、結界は静かだった。
サイラスは測定具を取り出さなかった。
数値ではなく、空気を感じようとしているようだった。
「……基準の外側ですね」
小さく呟く。
報告書に書ける基準の、外側。
アリアは答えない。
結界は今日も、薄く村を包んでいる。
再現されないまま。
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