第31話 視察に来た人
昼下がり、村の入口に見慣れない男が立っていた。
旅装ではあるが、商人ほど荷は多くない。武具も最小限で、剣よりも書類袋の方が目立つ。周囲を慎重に観察しているが、威圧感はなかった。
見張り台から降りてきたレオンが声をかける。
「用件は」
「……地方巡察の者です」
男は少し緊張した様子で名乗った。
「サイラス・エルディン。王都直轄の下級巡察役です」
王都、という言葉に村人の動きが一瞬だけ止まる。
だが、騒ぎにはならない。
「異常がないか、確認に来ただけです」
それだけを、はっきりと言った。
アリアが呼ばれたのは、その後だった。
集会所の前で、サイラスと向き合う。
彼は書類袋を抱えたまま、深く頭を下げた。
「突然の訪問、失礼いたします。結界に関する報告が、最近いくつか上がっておりまして」
「……異常はありません」
簡潔に答える。
「ええ。そう聞いております。ただ、念のため」
敵意はない。
義務として来ていることが、声色から伝わる。
村の外れまで案内する間、サイラスはほとんど喋らなかった。
代わりに、足元や家の配置、焚き火の位置を注意深く見ている。
結界点に着くと、彼は距離を保ったまま立ち止まった。
「触れても?」
「構いません。ただ……」
アリアは一言、付け足す。
「数値は出ませんよ」
サイラスは、少しだけ困ったように笑った。
「ええ。それは……承知しております」
彼は簡易の測定具を取り出し、結界の層を測ろうとする。
表示された数値は、平均よりわずかに下。
「……強度は、高くありませんね」
「はい」
「ですが……」
夜の記録と照らし合わせ、眉をひそめる。
「魔物接近の頻度が低い」
アリアは答えない。
「層も薄い。魔力消費も少ない。それなのに……」
言葉が続かない。
「異常はありません」
アリアは、繰り返した。
サイラスは、しばらく沈黙した後、測定具をしまった。
「……報告には、異常なしと記します」
「それで、十分です」
村へ戻る途中、サイラスがぽつりと尋ねる。
「何か、特別な術式を?」
「ありません」
「では……」
アリアは歩みを止めずに答える。
「夜は、休みます」
サイラスは、その意味をすぐには理解できない様子だった。
夕方、村はいつも通りに作業を切り上げる。
灯りは内側に寄り、焚き火は小さい。
サイラスは、それを黙って見ていた。
夜、結界は静かだった。
外からの圧もない。
宿に戻る前、サイラスが小さく言う。
「……再現、できませんね」
独り言に近い声だった。
アリアは答えなかった。
結界は今日も、薄く村を包んでいる。
数値に残らない形で。
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