第29話 基準になる人
その日、アリアはいつもより巡回を短く切り上げた。
結界は安定している。前夜の選択が、流れに無理を残していないことも確認できた。触れる必要はない。だから、手帳を閉じるのも早かった。
村の中央では、作業の相談が小さく行われていた。
誰かが声を張るわけでもなく、輪も大きくならない。
「今日は、どこまでやる?」
「風、夕方に変わるらしいな」
その会話の中に、結界という言葉は出てこない。
けれど、判断の基準には、確かにそれが含まれている。
リーナは、その輪の少し外に立っていた。
口を出すわけでも、聞き役に徹するわけでもない。視線だけを向け、必要なときに一言添える。
「……日が落ちる前に、切り上げた方がいいと思います」
断定ではなかった。
提案として置かれた言葉だ。
「そうだな」
「じゃあ、今日はここまでにしよう」
それで話は終わる。
理由を求められることも、確認されることもない。
アリアは、少し離れた場所からそれを見ていた。
(聞かれなくなりましたね)
それは、役割が変わった証だ。
昼前、見張り台の下でレオンとすれ違う。
「最近、静かだな」
「ええ」
「誰かが頑張ってる、って感じでもない」
「そういう方が、長持ちします」
レオンは、納得したように頷いた。
午後、村の外れで小さな違和感が生じた。
人の動きが重なり、音が集まりかける。以前なら、すぐに誰かが結界を意識しただろう。
けれど今日は違った。
誰かが言う前に、人が散る。
焚き火の位置が自然と変わり、作業の時間がずれる。
リーナは、何もしなかった。
アリアも、触らなかった。
夕方、リーナが宿の前で立ち止まる。
「……最近、聞かれません」
「何を、ですか」
「どうするか、です」
少しだけ、不安そうな声だった。
「聞かれなくなったのは……」
アリアは、言葉を選んで答える。
「答えを持っている人から、基準になる人に変わったからです」
「基準……」
「決める人ではありません。戻れる場所、です」
リーナは、すぐには理解できない顔をしていた。
それでも、否定はしなかった。
夜、村は静かだった。
結界は、相変わらず薄く、均一だ。
アリアは結界点に手を当て、最後の確認をする。
問題はない。
(もう……この村は)
誰か一人の判断で、揺れ動く場所ではない。
結界は今日も、薄く村を包んでいる。
基準が、静かに共有されたまま。
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